「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

荒熊神社の節分祭

2019-02-12 07:30:58 | 日記
11月の京都の旅の三日目は、伏見稲荷大社に行きました。

私は、伏見の稲荷山を登りながら荒熊神社の清水宮司さんのことを考えていました。

清水宮司さんは、大正15年生まれなので、もう93才になられます。

Iさんと私が、荒熊の神に導かれて、全然知らない荒熊神社に行ったのは、3年前の10月1日でした。
そのことを記事にしたことで、私の読者の方々やIさんの「雲完」の読者の方々が、遠くからも行っていただくようになって、私達は記事にして良かったと思っています。

一昨年の夏には、私達タイタマ会の四人で、荒熊神社にご招待頂き、その時も感動的なことが沢山ありました。

🐷南知多徒然 5



そして、その時からのお付き合いになる、Oさんとはまたご縁があり、不思議な繋がりが出来ました。

Oさんは、Iさんと私が初めて荒熊神社に行った少し前に、体の具合が悪くて呼ばれるように清水宮司さんと出会い、本当に奇跡はあるのだ、神様はやっぱりいらっしゃるのだと、思ったそうです。

彼は見た目がすごく若く見えますが、50才になっていて、20代から独立して会社を立ち上げて仕事をしているので、時代背景を考えると、かなり厳しい局面もあったと思います。
荒熊神社に行くまでは、神様はいないと思っていた彼が、行ってから体だけではなく、仕事も良い方向になっていったので、信じざるを得ないと思ったそうです。

それからは、荒熊神社のお祭りなどの運営にも、なくてはならない存在になっているのですね。

Oさんは、私達がブログで記事にしていたことは、知っていて一昨年の夏にみんなで行った時には、東京の方から、清水宮司さんを騙しに来るのではないか?と身構えていたと、後で言って、笑っていました。

そのOさんが、荒熊神社に鳥居を建てたと聞いて、私は昨年還暦を迎えたので、記念に建てようと思っていました。

清水宮司さんに伝えると、奉納金のことを思ってか、「申し訳ない」と何度もおっしゃっていましたが、私とすれば、高価なアクセサリーやバッグ等も、欲しいとは思ったことはないので、そう考えれば金額的に問題ないし、昨年の9月に定年退職した時の会社の持ち株会を脱退した時の差額が丁度その金額になったこともあり、暮れに鳥居を建てて頂きました。

その時も、Oさんが写真を送ってくれました。



そして、このタイミングでもあり2月3日の節分祭は、何とか行こうと思っていました。

「魂の会」にいつもリピーターで来ていただいている方達は、私よりも荒熊神社に何度も行っている方が多くて、1月に会った時に8人くらいの人が関東から行くことになっていました。

私は、さすがに今の夫の状態では日帰りしか考えられない感じでしたし、私の家の近くのバス停からの始発の時間を見ると、7時半に新横浜がギリギリと言っていると、モッチーが新幹線の指定席も取ってくれていて、朝に待ち合わせして行くことになりました。
とても気持ちのいい天気でした。




東京からの人達は、とても安いツアーを申し込んでかなり早くから行っていて、朝から「宮きしめん」を食べていたそうです。

私ともっちーは、新幹線で並んで座って、途中でのキレイな富士山も撮ることが出来て、満足でした。



名古屋に着くと、ホームにヒロミさんが待っていて、そこから名鉄に乗り換えて内海駅まで行きました。

荒熊神社には、内海駅が一番近いそうですが、そこからは、車で行くのがいいので、近くにいらっしゃる方にヒロミさんは、お願いしてくれていました。

私達3人は、きびのさんの車に乗り込み荒熊神社を目指しました。

いつものことですが、私は皆様のお陰様で、スムーズに行くことが出来て、本当にありがたいと思います。

きびのさんは、私と同い年で3人の娘さんの真ん中の方が、厄年なのでいらしていました。

11月に、そのお嬢さんと一緒に荒熊神社の宮司さんのところにいらっしゃると連絡があり、いつも何を持って行けばいいか聞かれていて、以前には、荒熊の神が「つみれ汁」が欲しいと言っていたことを伝えていましたが、またこの時に聞いてみた話です。


荒熊の神だ。

きびのさんに聞かれましたが、何か欲しい物はありますか?

私が欲しいのは、つみれ汁だよ。
イサキのつみれ汁が好きだからな。
知多半島は、大事な場所だとわかってくれてありがとう。
伊勢の対岸にあるので、通り道だったのだよ。
トヨウケヒメの参道が壊れているので、直して欲しいと英勝に伝えてくれ。
門があると、余計にいいと伝えてくれ。
利他の心が大事だと伝えてくれ。


私は、荒熊の神がまた「つみれ汁」と言っていたので、やっぱり好きなのだなと思いました。

以前に聞いた時は、サワラと言ったのですが、この時はイサキでしたね。

私はきびのさんに、そのままを伝え、もう一つ言われたことは、荒熊神社の清水宮司さんの息子さんで、禰宜(ねぎ)さんの英勝さんに伝えていました。


続きます。
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タツミヒメの話

2019-02-11 07:30:59 | 日記
タマヨリヒメの次は、タツミヒメの話ですね。


京都の旅の1日目に行った鞍馬寺の放生池(ほうじょういけ)の白い鯉が、タツミヒメだとスサノオノミコトに言われました。
タツミヒメも、スサノオノミコトの子供だという話でしたね。

タツミヒメは、巽弁財天(たつみべんざいてん)のことだったようです。


2月2日にそのことを聞いていました。


タツミヒメです。

今はどこにいますか?

今はあくえりと一緒にいますよ。

祇園白川にいたのですか?

白川にいたのです。
巽弁財天は、後からです。
白川にいて、(源)義経様が好きでした。
静(御前)の中にいました。
京の五条の橋の上に、いつもいた義経様はカッコ良かったです。
欄干の上に乗って、ヒラリヒラリと飛んでいました。
弁慶は、それを見て敵わないと思ったようです。
弁慶にはサナトクマラが入っていましたからね。


地図で見ると、五条大橋と祇園白川は、近いのです。



源義経と弁慶の出会いは、やっぱり五条の橋の上だったのでしょうか、、、


調べると、五条大橋はこの時とは違う場所のようですね。



『義経記』を基に書かれたとされる御伽草子『橋弁慶』や謡曲の『橋弁慶』には“五条の橋”が登場するのですが、どうも童謡はこの『橋弁慶』を参考にして作られたようで、それで“京の五条の橋の上”というフレーズになったわけです。
『義経記』よりも、童謡『牛若丸』や謡曲『橋弁慶』の方が広く知られているので、通説として義経と弁慶の出会った場所は五条大橋だということになったのでしょうね。



現在の五条大橋と河原町五条交差点の間の中央分離帯に義経(牛若)と弁慶の立ち回りをイメージした石像が置かれていますが、五条大橋は1590(天正18)年に鴨川の上流にあった橋を豊臣秀吉が今の場所に移築したもので、義経と弁慶が生きた時代には五条大橋はまだ存在していなかったのです。


調べると、今の松原橋の辺りだということで、祇園白川からはもっと近いですね。



五条大橋を今のところに移したのは、京都の旅の2日目に行った、方広寺にあった大仏のために、豊臣秀吉が作ったそうですよ。


タツミヒメの話の続きです。


(義経が)東北に行った時は、淋しかったです。
私は、京都御所の辰巳の方角ということで、辰巳大明神と言われていましたが、鞍馬寺の巽弁財天になってから放生池の底にいました。
だから、待っていたのです。
静(御前)のカケラの入った人が来て、伏見の酒をくれたら出られると、言われていました。
今回のことは、かつて何度も伝えられてきたのですが、何かが足りなかったのです。
強くなったのは、友達の輪が出来たからですよ。
一昨年のサナトクマラのことがなければ、今回はなかったでしょう。
全部が繋がりの話ですよ。
連携が大事ですね。
ありがとうございます。
M子さんが、繋いでくれたから、、、
疑いがないのが、いいです。



私は、やっぱりずっと続きの話だったのだと思いました。
Iさんが、命懸けのように行った一昨年の7月7日の鞍馬寺の話は、私が行くことで完結したようです。

🐷鞍馬徒然 2


ただ、私が一人で行ってもダメで、あくえりさんとミワンちゃんが行くことが大事だったみたいですね。

今までも、そしてこれからも、神様達が言ったことを、みんなに伝えて新たな物語を作っていければと、思っています。
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タマヨリヒメの話

2019-02-09 07:30:32 | 日記
タマヨリヒメの話の続きからです。


終わらない鴨氏は、五島列島に行った時の鴨ですよ。
カモとアヒルではなく、アヒルとカモです。
タネの神が、種氏になったように、アヒルの神が、阿比留(あびる)氏になったのです。
阿比留氏から分かれたのが鴨氏ですよ。
誰も知らなかったことです。
神武(天皇)が生まれるずっと前のことですからね。


私はやっぱり驚いていました。
私達(Iさん、みこちゃん、みゆきちゃん、私)が、五島列島に行っていた時に、確かにアヒルの神の話が出てきていたからですね。



話したい。
私は、片身の弟を待っている。

どちらの神様ですか?

五島列島にいるよ。

五島列島のどこにいるのですか?

オエイシにいる。

土曜日に行くつもりですよ。

来てくれるのか。
待っている。

何か欲しい物はありますか?

私は玉子が欲しい。

生玉子ですか?

生ではなくて、ゆで玉子でいいよ。

お名前は?

私は、アヒルの神と言う。
阿比留氏の元の神だ。
ずっと、封じられていた。
背の高い椅子のところだ。

この話の続きがありました。
また、次の日にいきなり話してきたのですね。


魂の話は、元がノナだから出来るのだな。
くだらないことが多いのが、人間の世界だよ。
繋がりが沢山出来ると、悪い気がなくなっていくよ。
ホツマツタエの時も、初めはそうだったが、だんだんよくなっていったのだ。
だから、また出来ると思う。

「つくばねの、みねよりおつる、みなのかわ、こいぞつもりて、ふちとなりぬる」の人にも伝えたよ。

どなたですか?

私は、アヒルの神だ。
昨日話したと思う。
阿比留氏の元になっていた。

どちらの星の神様ですか?

私は、ホツマツタエの神の子供だよ。

では、ノナのお兄さんですか?

そうだよ。
タネの神とウミの神と不惑の袖丸と兄弟だ。
私も憑いていいか?

はい。

ありがとう。土曜日に待っている。

天気をお願いします。

天気は大丈夫だと思う。
待っているよ。


私達が五島列島に行ったのは、2017年11月のことです。
船が欠航したりして、言われていた「オエイシ」には行けませんでしたが、なんとか渡った無人島の野崎島と小値賀島での、Iさんの天然の感覚で選んだ場所が良かったらしく、封印は解かれたようでした。



ゆで玉子がありますね。


今になって、また阿比留氏の元の話をタマヨリヒメから言われるとは思いませんでした。


タマヨリヒメの話の続きです。


私は、神武の母ということになっていますが、産んだのはトヨタマヒメです。
トヨタマヒメは海の底にいますからね。
ウガヤフキアエズの子供ですよ。


私は、またまた以前に記事にしたことをタマヨリヒメに言われて、やっぱり繰り返し伝えられる話なのだと思いました。

これは、五島列島の時よりもっと前の話ですね。
ウガヤフキアエズは、自分のことをクツネの神と言っていました。
縄文の民のことだったみたいです。




🌟2016,2,24の記事


2月7日

(前略)

(鹿児島の)開聞岳の「麓」と呼ばれる島津の武士達は、私の子孫だったよ。
ウガヤフキアエズ王朝は、1000年は続いていたのだ。
神武(天皇)が生まれる前だ。

クツネの神様は、1000年生きていたのですか?

1000年は生きていないが、800年は生きていたよ。
ニニギが意思が弱かったので、短命になったのだよ。
コノハナサクヤヒメの呪いのようなものだな。
イワナガヒメも一緒にいればよかったのだ。
コノハナサクヤヒメを疑ったからだな。
ニニギの疑いが滅ぼしたな。

クツネの神様は、ニギハヤヒ様は知っているのですか?

ニギハヤヒは知っているよ。
私は好きだったな。かわいそうだった。
スサノオノミコトもそうだ。隠された日本の歴史だな。私も含めて。


🌟2016,2,26の記事


2月9日


クツネの神

話したい。クツネの神だ。
昨日は、Iに申し訳なかったと伝えてくれ。
「からくれないに水くくるとは」なのだよ。

どういう意味ですか?

昔、血で血を洗う戦いがあった。
ウガヤフキアエズ王朝も、同じだった。
私は、アイラを愛していたからな。
神武(天皇)は、私の子供だが、豊玉姫との子供だ。
浮気ではないよ。
子供がいなかったから仕方なかったのだ。
私はホオリの子供だからな。
(ホオリは)ニニギとコノハナサクヤヒメの子供ではないよ。
ニニギと「クツネ」の子供だ。
「クツネ」とは、卑しい身分のことを言ったのだ。
「クツネ」とは、出雲族のことだよ。
出雲族は、だんだん少なくなっていたのだ。縄文人とも言うな。
だから、私は赤い血になっていたのだよ。
タイゲタ星寄りということだな。


🌟2017,2,27の記事


タイゲタ星は、アトランティスのことだよ。
アイラは、アトランティスの姫だった。と、いうことは、(子供は)大和族にはならないので、私は、豊玉姫と契らないといけなくなった。
豊玉姫は、龍だった。

え?龍ですか?

龍の体だったよ。私はひるんだが、パワーが強かった。
だから、神武は角がはえていた。
アイラは、自分の子供のようにかわいがった。
玉依姫と言われているのは、アイラのことだ。

玉依姫は、他にもいたのですか?

玉依姫は沢山いるからな。
好きで(王に)なった訳ではないが、私は辛かったよ。
私が死んでから神武を認めない勢力が現れて戦いになっていったからな。
旗神社の時と同じだな。
スサノオノミコトの苦しみがわかったよ。
魂は変わらないのだ。


そして、2018年の1月4日にクツネの神が話してきました。


クツネの神だ。

ウガヤフキアエズ様ですか?

ウガヤフキアエズだよ。
かつてのホツマツタエの子供達が繋がってきたな。
アヒルの神も出られたということは、大変なことなのだよ。
私は鹿児島にいたからな。
近いだろう。
かたじけないことだよ。
新しい年明けに、かつての話が出来るということは。。。
古代からの願いだったからな。
レナ星のナタデココも話せるらしいな。
リラ星の辣腕なルーツの神のこともわかったらしいな。
織田信長のこともだ。
利他の心で頼んだよ。
Iは、アイラのことがわかってくれたからな。
霊能は、使い方次第ということだよ。
未来は、少しずつ明るくなっているのだよ。
自分のためではなく使われているからな。
ホツマツタエの時代は、弥勒(みろく)の世だったよ。タオの話だな。
繋がりが大事だよ。
頼んだよ。

🐶クツネの神の話



タマヨリヒメに、アイラだったのか聞いてみると、タマヨリヒメは何代もあるそうです。

ウガヤフキアエズのお妃のアイラは、タマヨリヒメの始祖になるのかもしれませんね。


タマヨリヒメの話の続きです。


真のスミは、強くないのです。

「真のスミ」ですか?

真のスミは、見つからないということですね。
見つかったら大変だから、隠されているのですよ。
隠しきれないのは、M子さんのような人がいるからです。
魂は伝えたいからですね。
終わりがないようにしたいということです。
かつてのことは、続いていますからね。


そして、タツミヒメが話してきました。


続きます。

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京都の旅の後に

2019-02-08 07:30:00 | 日記
京都の旅の後に話してきた神様の話からです。


11月13日に話してきたのは、知多半島の荒熊神社の荒熊の神でした。


荒熊の神だ。

昨日は、伏見に来てくれてありがとう。

魅惑のウォッカも、少しもらったよ。

変わらない愛があるから、大丈夫だよ。

背中にセミのベールもあるし、ドレスもキレイだな。

王冠に石が入ったよ。

色は緑だよ。

ウカノミタマ様が入れたのだよ。

後は、オレンジではないか?

最後はどこか知らないが、よくがんばったな。



荒熊の神が話してくるとは思いませんでしたが、荒熊神社は伏見稲荷大社の熊鷹社の神様がいらっしゃるので、だからかと思いました。


ウォッカが欲しいと言っていたウカノミタマが、王冠の石を入れてくれたらしいですね。

ウカノミタマも話してきました。


ウカノミタマだ。
昨日は、ウォッカありがとう。
伏見の末廣社までは、かなり大変だったろう。
だわして(待って)いたよ。
M子が来てくれるのを。
青森の神社でも会ったな。
死が別つまで、頼んだよ。
友達の輪を広げてくれよ。
レーーーーナーーーー星のナタデココが話したいそうだ。



レナ星のナタデココも、なぜか話してきました。


レナ星のナタデココだ。
先手が取れるようになったのは、大したものだな。
本当に強くなったよ。
Iの「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」の腕輪と、M子の王冠が出来上がったら、本当に最強になるよ。
愛が溢れているので、楽しみだ。



11月14日に話してきたのは、カラツの神でした。


カラツの神です。
「たられば」ですが、モミの木の神が出られなかったら、サンタクロースのソリも出来ませんでした。
サンタクロースのソリが出来たから、トナカイも渡せました。
全部、繋がりの話だったのです。
9月は、3週間ありがとうございました。
M子さんは、今回京都に行って台風の被害を見てくれましたね。
台風22号が来ていたら、壊滅的になっていたと思います。
関東に来ていたら、北海道にも行けなかったでしょう。
何とか進路が変わったのは、わかってくれたからですよ。
荒熊の神も、清水宮司に言っていたはずです。
わかっていた人は、沢山いました。
だから、M子さんとIさんの同時な話が大事だったのです。
つーーーーづーーーーくーーーーですよ。



私は改めて、カラツの神が言っていたことを思い出しました。

昨年の台風は、関西を直撃していて、特に21号の被害がひどく、私が行った11月にも、京都にはまだまだ、大きな爪痕がありました。

以前に記事にした通り、22号の進路は、日本に来る予定だったのが、変わったらしいです。

それを変えたのは、伝わった多くの人達の祈りの力だったのかもしれませんね。

なぜなら、私の9月9日の誕生日のパーティーに来て下さった、愛知県在住のOさんが、清水宮司さんも同じようなことをおっしゃっていたと、聞いていたからです。

9月の3週間とは、ソラタマ会で動いていた話ですね。
立川と富士山と水戸と北海道
ですが、サンタクロースのソリのためだったようです。

🐶カラツの神の話 その2


そして、今回の京都の話の中で、私が疑問に思っていたことを聞いてみました。

一つ目は、タマヨリヒメのことです。

私の話では、タマヨリヒメは鎌倉の龍口明神社にいて龍神を束ねているということでしたが、下鴨神社の御祭神のタマヨリヒメと同じ神様なのかという疑問ですね。

そして二つ目は、今回の鞍馬寺でのタツミヒメについて、もう少し詳しく聞いてみようと思ったことです。


話を聞いたのは、最近のことです。

夫が退院したのは、12月17日でしたが、その後は自宅でほとんど寝たきり状態だったので、私は振り子で話が出来る環境ではなかったのです。

やっと、1月末くらいから少し状態が良くなってきたので、聞いてみたのですね。

タマヨリヒメから、話してくれました。


2月2日


タマヨリヒメです。

タマヨリヒメ様は、龍神を束ねていますか?

私は龍神を束ねていますよ。

11月に下鴨神社に行きましたが、下鴨神社にもいるのですよね。

下鴨神社にいるというより、「糺の森」の神木にいます。


私は、京都に行くことになった時に「糺の森」と言われたのは、そういうことかと思いました。

「糺の森」の御神木はやっぱりパワーがありましたからね。





下のは、あくえりさんの画像です。


タマヨリヒメは、この後に私達が一昨年の11月に行った五島列島の話をしていました。


続きます。
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京都の旅 3日目 その2

2019-02-05 07:30:00 | 日記
伏見稲荷大社の奥社の「おもかる石」のところにミワンちゃんとあくえりさんが並んでいた時に、私はその横の場所が気になって写真を撮っていました。



ここは調べると、やっぱり大事な場所だったようですね。

🌟奥宮より千本鳥居を潜りぬけると、奥社奉拝所が現れます。
命婦谷(みょうぶだに)と称されるところで、稲荷山三ケ峰が、この社殿の背後にあり一般には奥の院と呼ばれています。
この神社はお山の神々を離れた場所からお祈りするために設けられたもので、拝殿・本殿・稲荷大神の鳥居と一直線でお山の神様に遥拝します。社殿は室町時代・明応年間(1500年頃)の創建です。


その後は、ひたすら鳥居の階段を登っていましたが、私は甘く見ていて、失敗しました。



ここにもアオサギが。。。





丁度、クラス毎に違う色の帽子をかぶった保育園の遠足の子供達と一緒になり、子供達はわいわいと元気に登っていました。

保育士さん達も沢山いましたが、子供達はかなりな人数だったので、ヤンチャな子供や弱い子供やいろいろいる中で、励ましながら登っていて、私達も元気をもらったような気がしました。

ミワンちゃんは、ストックが無くてもサクサク登っていましたが、あまりの階段で私はしばらく痛くなかった左足がまた痛くなってしまいました。

伏見でも台風の被害はかなりあったようで、途中で工事中のところもありましたが、とりあえず、頂上の末廣社まではがんばろうと、途中にあったお茶屋さんは帰りに寄ることにしました。



お茶屋さんで、二人はソフトクリームを食べていましたが、私は3日連続は止めました。(笑)


私は、大変な階段を登りながら、荒熊神社の清水宮司さんのことを考えていました。

今でこそ、女性の行者さんはいらっしゃると思いますが、大正生まれで、もう九十才を越えている宮司さんが修行した頃は、今よりもっと過酷な場所だったろうと思い、頭が下がりました。

カラスの火事の時には、息子さんの英勝(ひでかつ)さんが、丁度伏見に修行にいらしていて、状況を知らせてくれたそうです。


後日に清水宮司さんにお電話して、伏見に行ったことをお話しすると、


いつも、伏見から鞍馬まで歩いていました。


と、おっしゃっていて、私は想像を絶するなと思いました。

伏見稲荷大社は、昼前くらいに出ました。
ますます、観光客が増えていました。
考えてみれば、月曜日だったので、土日はどんなことだろうと思いました。

私は、関東までですが、二人は東北までだったので、京都でお昼ご飯を食べて帰路につきました。

記事にしてみると、濃い旅でしたね。


私は、この記事を作るに当たって、鞍馬寺の方生池(ほうじょういけ)にいたタツミヒメと、下鴨神社の御祭神のタマヨリヒメと話してみました。


続きます。
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