のんののサカサカ日記

ドラゴンズが大好きで
  毎日サカサカ(忙しなく)してます
  

猫です

2015-02-28 15:22:58 | Weblog
わりと暖かかった今日、お雛さまを見に瀬戸まで行ってきた

その前に、姪のSちゃんに教えてもらった「招き猫ミュージアム」というところに立ち寄った

聞いていたとおり小さなところだったが、中には招き猫やら猫グッズがいっぱい

まゆちゃんが触って割らないかと心配したわ

   駐車場に停めてあった「猫仕様の車」
   

勿論 許可をもらって撮りましたよ   




   ≪ 2月28日 ≫

 ビスケットの日
   ・全国ビスケット協会が、1980年(昭和55年)に制定し、翌年から実施。
   ・1855年(安政2年)のこの日、パンの製法を学ぶために長崎に留学していた水戸藩の柴田方庵が、
    同藩の萩信之助に、パン・ビスケットの製法を書いた「パン・ビスコイト製法書」を送った。
    これが、ビスケットの製法を記した日本初の文書とされている。
   ・また、ビスケットの語原がラテン語で「二度焼かれた物」という意味の「ビス・コクトゥス
    (bis coctus)」であることから、「に(2)どや(8)く」の語呂合わせの意味も持たせている。

 バカヤローの日
   ・1953年(昭和28年)のこの日、吉田茂首相が衆議院予算委員会の席上、西村榮一議員の
    質問に対し興奮して「バカヤロー」と発言した。
    これがもとで内閣不信任案が提出・可決され、この年の3月14日に衆議院が解散してしまった。
    この解散は「バカヤロー解散」と呼ばれている。

 織部の日
   ・岐阜県土岐市が、1988年(昭和63年)に制定。
   ・1599年(慶長4年)のこの日、千利休亡き後の豊臣秀吉の茶頭・古田織部が、自分で焼いた
    茶器を用いて茶会を開いた。
    この器が後に織部焼きと呼ばれるようになった。

 エッセイ記念日
   ・エッセイストの元祖とされる、フランスのミッシェル・ド・モンテーニュの、1533年の誕生日。

 湾岸戦争終結(1991年)

 平和記念日(中華民国)
   ・1947年のこの日、台湾人(本省人)と、大陸から来た中国国民党政府の官僚・軍人との間の
    大規模な抗争事件「2.28事件」が起こった。

 逍遥忌
   ・小説家・演劇評論家・劇作家・英文学者の坪内逍遥(つぼうちしょうよう)の、1935年
    (昭和10年)の忌日。

 利休忌、宗易忌
   ・茶人・千利休の、1591年(天正19年)の忌日。
   ・1591年のこの日、千家流茶の湯の開祖・千利休は、豊臣秀吉の命で自刃して果てた。
    利休は、侘茶の心を「一期一会」と説き、まるで自らの悲劇の最期を暗示するような言葉を残した。
   ・3月27日・28日に墓所のある京都・大徳寺で、追善茶会が開かれる。


   ≪ 2月29日 ≫

 閏日(うるうび)
   ・4年に1度(ただし400年に97日)の閏年には、2月28日の翌日に閏日とぢて29日が入る。
    これは、1年の日数が365日ではなく365.2422日なので、そのずれを調整するためである。
   ・西暦の年が100で割り切れ、かつ、400で割り切れない年は閏日を入れない平年になる。
   ・なお、国によっては2月24日と25日の間に閏日「2月24日」を置き、以降の日を1日づつ
    ずらすとしている。これは、紀元前13年にローマ暦に閏日が導入された時以来の伝統であるが、
    日本の暦には採用されなかった。
   ・英語では閏日のことをleap day(跳躍の日)という。
    これは、普段の年はその前年の同じ日より1つだけ曜日がずれるが、閏年の翌年は2つずれる、
    つまり、曜日を1つ飛び越える(leap)からである。
   ・かつてイギリスでは、4年間のうちでこの日だけ女性から男性へのプロポーズが伝統的に公認され、
    男性はそれを断ることはできなとされていた。

 ニンニクの日
   ・ニンニクの生産量日本一の青森県田子市が実施。
    それとは別に、ニンニクを使用した健康食品を販売する株式会社健康家族が制定。
   ・「にん(2)に(2)く(9)」の語呂合わせ。

 富士急の日
   ・富士急行が2003年(平成15年)に制定。「ふ(2)じ(2)きゅう(9)」の語呂合わせ。
   ・富士急ハイランドなどでイベントが行われる。

 ロッシーニ誕生
   ・1792年のこの日、『セビリアの理髪師』など数々の名作歌劇を残したロッシーニが
    イタリアで生まれた。
   ・若い頃から多才ぶりを発揮し、次々とオペラをヒットさせた彼は、若くして富を築き、38歳で
    引退。
    「人生とは食べること、愛すること、歌うこと、消化することの4幕から成る喜歌劇である」
    という彼の言葉通り、76歳でこの世を去るまで、美食と美酒、美女に明け暮れ、悠悠自適の
    晩年を送った。