盗撮失敗

2007-11-13 14:23:42 | 散歩

朝9時 お早々と「今日のお昼 何にする」のご質問

「中華饅頭にしないか」と希望を言うと 少し間をおいて「それな

ら大珍楼へ行ってくる」と中華街へ出かけると言う

私は 公園散歩とし バス停までは一緒にと出かけた 

何時もの場所を通ると いつものウサギを抱いて老人が帰ると

ころだった 「ウサギちゃんの名前はなんて言うんですか」と

聞くと「名前は 未だ無い」と 我輩は猫であるの様な事を言う

「子供達が 色々と呼ぶので 何が何だか分からない だから名

が無い だいいち名前を呼んでもこいつは犬と違って知らん顔

だよ」 「こいつは生まれたばかりの時に買った 5,000円だっ

たよ 餌も売っているけど餌代も月5,000円だよ」とのこと

おじいちゃんの よきパートナー


ゲートボールを楽しんでいる同年代の人々を横目に行くと 向こ

うから私が歩いてきた 「やー奇遇ですな」パチりとやった

 

落ち葉も大分多くなった いつもは時計回りだが今日は逆廻り

のコースをとった





さて そろそろ帰るかと公園出口に 東屋風の傍らにあるベンチ

でタバコで休憩 J T から恵送のアルミ製携帯用吸殻入れ 兼

灰皿を取り出す

実は 此処へ近づいてきた時ちょっと気になる男女が居た

確か KISS していたように見えたのが パッと離れた

知らん顔してベンチに座り タバコに火をつけた さりげない顔で

それとなく観察していると やっぱりイチャイチャしている  

お互い側を離れない 少し経つと野外ではまずいとでも思った

のか東屋の中へ入っていった 遂に私は見た 合体

慌ててシャッターを切ったが見事失敗 ピンボケ 悪い事をし

てはいけないよと言う事か 「盗撮失敗」 反省しています

青春真っ盛り                      注釈をつけないと 意味不明 が いいのです
 

コンビニでモンブランを1個 珈琲でも飲んで落ち着きましょう

女房殿ご帰館はどうせ正午頃 点てるのも面倒ハンディドリップ

で間に合わせる事にしました



 






 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウォーターフロント

2007-11-12 07:45:30 | 散歩
みなとみらい21地区と 山下公園を結ぶウォーターフロントの中心地

区としての存在が期待された 赤煉瓦倉庫  今日 念願通り脚光を

浴びる結果となり得たことは同慶の至りと言えるでしょう

見事な実現と変貌を祝しつつ桜木町駅に向かった





昔は 立ち入る事ができなかった線路道を歩き 鉄橋を渡り 整備され

た遊歩道は本当に楽しかった

桜木町は目前です 根岸線の無い頃始発駅だった駅から ゆっくり座

り 新聞を読みながら通勤した我が人生が懐かしい





『港みらい』 先ず思い出すのは 高島町から桜木町まで延々と続く 

三○重○の工場です

三○原○力○工○(株)の 常務さんは同じ ゴルフクラブのメンバ

ーでした 何故か私とのプレーを望まれご一緒する事が多かった

大工学部ご出身で 戦前は陸・海軍の顧問 戦車 ディーゼルエンジ

ン等の著書もあり 三○重○でも要職におつきであったと伺っています

昭和37年には 日本機械学会 会長にご就任

昭和40年には プルトニウム専門部会の部会長としても 報告書を纏

められるなど実にご多忙の方でした 

この時は ときの○○大臣について面白いエピソードがあり その時は

ただ何となく伺っていましたが 今日ただ今現在になってハッとするよう

な事に気がつき 私の鈍感さを思い知らされました

御用繁多のなか 土曜 日曜 ときには平日にゴルフ タフな方だと安

心していたのですが・・・

川奈 大洗 軽井沢 湘南CCなどへ大型のアメ車でよく出かけました

私が20代後半  さんは父親の年代で年齢差はありましたが 月に

3~4回はご一緒し 芝生の上で楽しみ合いました

秋9月にホームコースでお別れしてから 10 11 12月とお見えにな

らず心配しました 年賀状をお出ししたのですが 松が明けてから封書

が届き 肝臓の病で急逝なされたとの悲しいお便りでした

もう40年も昔の事でした

朝夕 通勤電車から三○重○はいやでも目に入ります

「この工場は 大型外国の貨客船の緊急的 応急的な修理 などで

経営実績はいいんですよ」と お聞きした言葉がありました

「昭和は遠くなりにけり」か・・・弁天橋たもとの飲み屋「田舎」にもよく

寄ったなあと思い出に浸る1日でした








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤煉瓦倉庫の今昔

2007-11-11 06:34:38 | 散歩
山下公園から赤煉瓦倉庫のエリアに向かった 昔は海岸通りを

生検(きーけん=生糸検査所)の通りに向かい万国橋通りを右

折 万国橋を渡るルートしかなかった 万国橋を渡ってもそこに

は確かゲートがあり 関係者以外は倉庫の方に入るには何

かしらの制約があったような気がするがはてさて


26年も万国橋に数分の所に居住しながら 知っているのは目と

鼻の先にある喫茶店ルノアールだけ ゆったり寛げるので足繁く

通ったが 今はその姿は無い

初めて赤煉瓦倉庫を見たが 2号倉庫は全長150㍍ぐらいと長

い 1号は関東大震災で三分の二が消失し短くなったとのこと

復興に手間取った間に 貨物取扱量の王座を神戸に奪われた

らしい 明治 大正と生糸や絹製品の輸出で赤煉瓦倉庫は活況

を呈した・・・のだがとか 大量輸送のためのコンテナ化で寂

れてしまったのかとか いろいろ考察を巡らしたのだがそれは

少々短絡的な見方のようだ まあこれからゆっくりその推移を勉

強する心算だ

それよりも現実に目をむけ 1F~3 Fの面白くて興味をそそる

テナント探検の方に走った方がメリットがありそうだ

2号倉庫の Cafe Madu に入り休憩 今日は大分歩いた

珈琲は私にピタリ美味しかった 女房殿は濃いの 苦いのと言

ってシュガーは何時もの倍の6㌘ 周囲の席はおば様方のグル

ープが幾つもの盛況で満席 平和日本万歳です

さてそろそろ帰ろうと 港みらい地区を目指しました

2号倉庫 内部は面白そうですよ



1号倉庫 この次はこちらも探検




来年の夏はこれに乗って夕涼み


大阪を含む24年間の<横浜ブランク>は 私を吃驚させることばかり 戸惑う事が逆に面白くなってきた


 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山下公園物語

2007-11-10 12:05:10 | 散歩

昨9日は 中華街漫歩のあと 山下公園を歩きました

山下公園といえば 中華街と並んで横浜の顔 以前の住まいか

ら徒歩で10分ぐらいだから 思い出に事欠かぬ公園です

アメリカ独立記念日の 夜空を焦がす花火大会など 家に居た

まま観賞できる環境でした

港祭りの 国際仮装行列 春未だ浅い国際女子駅伝 大桟橋

の豪華客船の見物 中華街での食事の帰り道など 生活と密着

不可分の場所でした

下の写真は45年ほど前の 山下公園でのものです



義理の姉(右側)が 姪二人を連れ遊びに来てくれた時の写真

で 私の長男(左)次男(右)も一緒です

今にして思えば 次男がじっと海を見つめる目線が気になります

その時は予想だにしなかったのは当然で 数年後にこの足元の

場所でアクシデントがありました

その足元とは下の写真の通り 立ち入り禁止の場所です



小学3年生か4年生の頃 子供達の間で釣りがブームでした

放課後 この場所に集合 柵を乗り越え下へ降りようとした時

濡れていた階段で滑ってしまい転がりました

その時 釣り針は魚を釣らず次男の手を釣ってしまいました

曲がった釣り針は子供に抜くことができません

この時は確か家内から 水上警察の車で送られてきたと聞きま

したが 後で聞くと元町の 医院だか病院とかにも連れて行って

くださり 治療にまで立ち会って下さったとのこと 本当に恐縮の

極みでございました 

私は会社 家内は自由が丘とやらで不在 携帯電話など無い時

代で本当に申し訳なく思っています

勿論 電話でお礼を申し上げましたが お名前は教えて頂けま

せんでした

40年も昔「そんな事もあったなあ」と 港を眺めながらフッと感慨

に耽りました





そのまま赤レンガエリアに歩を進めました

昔は 山下公園からは生糸検査所まで海岸通りを歩き 万国橋

を渡らないと行けませんでした 

然し一般の人は殆ど行かなかった淋しい場所でした 

今は大桟橋入り口付近 または県庁裏がわ税関の所に立派な

道路が出来ているのに 浦島太郎は吃驚しました 

また明日アップしたいと思います





 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若き頃の横浜を回顧しつつ

2007-11-09 19:20:51 | 散歩

その昔 ベーブルースが来日 沢村投手たちオール日本と対戦

した当時の横浜球場を知る人は少なくなった

次男が幼稚園 小学一~二年生の頃は高校野球甲子園予選

の神奈川大会をよく見に行った 外野は芝生席でライト側席に

は大きな木が一本あり 太陽の光を遮ってくれたので私の指定

席はそこであった 芝生に寝転んで外野観客はただ一人だった

次男は未だ野球をよく知る年齢ではなく アイスクリームやジュ

ースや菓子などがおねだりできるので 嬉々として私についてき

た 内野席に渡るため針金の線を潜り抜け 何回もバイトのお

兄ちゃんの所へ走っていった姿を思い出します

新球場になったときは 綺麗な球場になったものだと感心したも

のです 慶応の山下が遊撃手で入団 彼はネット裏前から五列

目ぐらいだったでしょうか 10席ぐらい買った席を確保していた

ので ナイターといえば浴衣に下駄でカラコロと行ったものです

なにしろ家は近い 延長だろうと 電車の混雑も気にするものは

何も無いと楽しませてもらったものです

久しぶり(26~7年ぶりか?)に球場周辺を歩いてみる事にしま

した

 



懐かしさで無言の状態 ベンチでタバコの小休止 

女房殿は中華街の方に気はそぞろのようで落ち着きが無い

それではと 道路を一本またいで昼食に向かいました

正午まで未だ30分 比較的店は空いていました

今日は 飲茶&点心 コース料理は止めてあっさりにする約束

40年~30年前に家族でよく行った「新新」にしました

鳩や鮭ではないが 帰巣性があるのでしょうか 勝手知ったる店

が入りやすい ご主人と話してきたが一昨年リニューアルしまし

たと言う言葉通り 昔のイメージとはすっかり変わっていました

私は先代の時代であり 今のご主人は当時は幼稚園児でした

女房殿は五目らーめん 私はチャーシュー入り葱そばでした

散歩でぶらぶらしていると 「榨菜を買っていこう ここは300円

よ」と言い出しました 「待てよ こんな通りは高いぜ」と市場通り

へ連れて行きました 四川榨菜500㌘ 同じものが130円で

女房殿吃驚するやら  嬉しいのやら 「へーっ」でした

それからは あっちをキョロキョロ こっちをキョロキョロ ここは

230円よあら ここは180円と面白がっていました

調味料にしろ 何にしろ中華ものは此処と覚えておきなよ・・・に

完全納得の様子でしたよ

これだけあれば 当分の間食べられそうです



さて 次は山下公園に行くかと中華街にさよならしました



山下公園に向かう道すがら「しまった 忘れてしまってた」があり

ました

新新さんに「バナナ」の天麩羅を頼んでみる事でした 



山下公園着きました 明日に譲りたいと思います



  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高反発か? 低反発か?

2007-11-08 21:50:13 | 雑記帳

この頃は何だか変だ  10時になると眠くて眠くて我慢ができな

い 布団に入ると即爆睡 朝6時まで8時間ぐっすり 寝起きは

爽快の日が続いている

夜型人間だったので夜半までが常だったのに
???

公園散歩 澄んだ空気の影響だろうか 体調はいいと思う

今日は横浜駅西口 高島屋へ行った  ベッド用下敷きキルティン

グとマットの品定めの為である 下敷きは吸湿性を考慮木綿の

素材と決めていたが マットの方は過去はずっと低反発を愛用し

ていた  最近高反発のCMをよく見るので迷いが生じている

何しろマスコマレ易い私である 食指はそちらに動いている

来たついでに そごう横浜店も見て歩いた 

結果は同じようなもの ならばと高島屋 8 Fの寝具売り場へ戻り

高反発マット 下敷きキルティングと高反発枕を購入 配送を依

頼した

帰宅して今度は女房殿の買い物のお供 バスタオル入れの籠

を見たいと言う 「車で無いと運べないわよ」のお言葉に従って

車で出発した

そうそう 来週14日には陸運局へ行く日 湘南ナンバーとも遂

にお別れ横浜ナンバーになる そう言えば昔ス カ G のナンバ

ーは横浜の100だとか 横浜1311だったなあとつまらぬことを

思い出した 

買い物が終わり いつものコーナーで女房殿はソフトクリーム

私はホット珈琲 因みに今回は女房殿がおごる番の日でした

近所の お花屋さん




  



 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立冬

2007-11-07 17:28:53 | 散歩

明 8日は立冬 秋深い公園の気配を感じたく散歩してきました

春 夏のようにカラー豊な世界はなく そこは侘び 寂びの空間

でした

木々たちはこれから当分静かな佇まいの日々となるわけです

左サイドのトップに貼り付けたBlogパーツ    が咲くエリアをク

リックすると荒れ地が画面全体に現れ 花が次々に咲きます

蝶や鳥が飛び交い蜜を吸ったりします 

(画面をクリックすると終了です)

暫くの間は 画面を見ながら春を待ちたいと思います

1時間ほどの散歩が終わり帰宅 早速女房殿から仕事を頼まれ

ました

換気のメインスイッチをONにすると 各部屋7個の外気導入器

の小さなランプが緑の光を灯し 一斉に作動を開始します 器具

の清拭とフィルターの交換 脚立を持って各部屋を回りました

同時に冬を迎え寒風や冷気の侵入が予測されるわけで 北向

きと東向きの導入器 3個は<閉>にセット 西向き1個は<弱>

南向き3個は<中>にセット変更をしました 春になったら各々<全

開>にしたいと思います 

朝の冷気を考えるとオール<閉>でいいかも


床暖もチェックしましたが ダイニングはOKでしたが リビングは

温まらない 東京ガスに電話し業者の派遣を依頼 各部屋への

コンピュータの設定ミスと判明問題解決

これで暖かい冬が過ごせそうです 但し懐は
???


玄関ドアー上の 外気導入器         各ルームの別型外気導入器
 
公園 (以下 5枚)
 

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住めば都か? (2)

2007-11-05 16:45:46 | 
既成観念に邪魔されている 横浜にリターンして痛感したのはこ

のことである  

昭和33年といえば29才 頭も体の細胞も活き活きとした時代

であったと思う 新しい環境にも速やかに対応 順応できていた

ように思うし 更に進取の気概にも満ちていた

横浜の中区といえば市の中心中の中心である  馬車道へは2~

3分 ザキには5分ぐらいの所に住んでいた 

馬車道も ザキも庭のように思っていたし 事実26年も住んで

いると大体の店とはお知り合いの仲 といった具合であった

それが今 そのエリアに行くと間誤付く だから行きたくない と

深刻に考え込んだ一時期があった

特に車では・・・という心境に陥ってしまった 始末が悪い

29才から55才まで26年間 生活と密着不可分だった車で 通

勤 買い物 遊びなどで市内は目を瞑っても走り回れるくらい精

通していたが 大阪 平塚計23年間離れている間に 横浜は大

変貌していた 道路からの景色が違う 低い建物がなくなりコン

クリートジャングル 今何処を走っているのか確信が持てなくな

った この間も三ツ沢公園の付近を走ったが 昔は青空 太陽

が見えた道路の上に蓋が(高速道路)でき五里霧中(ちょっとオ

ーバー)時には方向感覚さえ失いそう 自分に今走っている地

点を言い聞かせながらキョロキョロやっている始末

知りすぎたのね」という歌があったが 昔の横浜が目に 頭に

染み込みすぎている これがネックになっていると思える

初めて横浜に来た人のほうが気楽に走れるのではとさえ思う

要するに私は「浦島太郎」的存在のようだ 

それに加えて高齢化 ボケているとは思わぬが或いは  

そろそろ枯葉マークでも付けましょうかね

でも みなとみらいも 生糸検査所付近も 横浜西口付近も 迷

いは無くなりスイスイとなりました さすが 人には言えぬ若き日

の古戦場 芋ずるしきに記憶が蘇ってきつつある 火が点き始

めてきたような  気がします

今日午前中は 横浜駅西口の横浜 三菱東京UFJ りそな銀行

の三銀行をはしご 振込みを済ませて帰宅

車庫証明提出とナンバー付け替えの代行を陸運支局へネットで

申し込み 運輸支局の見積もりは総額 15,440 だった

私の駐車場へ車引き取りに来る(乗ってきた車は私の駐車場へ

置く) 運輸支局へ持ち込み 代書とナンバーをつける 私の駐

車場へ納車する (乗ってきた自分の車で帰る) 私は一歩も動

かない

一方、先日記載の通りのディーラーは、店まで私が持ち込む 

引き取りにも行く それで料金は¥26,000である オイオイ

高いね と言えば 上司に相談します・・・とそこまではいいが

相変わらず何の音沙汰なしの梨の礫である

あれからもう 5日 ご承知のとうり車庫証明書の有効期間は

発行日から30日です 放って置くその神経が分からない

私が最も嫌う営業マンは 口先だけの不誠実タイプである 

カーナビで懲りている 仏の顔も三度までとか(まだ二度だが)

次の車はトヨタと決めているので相手にする気はナッシング

  横浜駅西口 正午直前で静かです
 


 車内も空いている時間帯です
 










 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FERRIS FESTIVAL

2007-11-03 12:05:16 | 孫娘

2日 孫が招待してくれた「フェリス祭」に行ってきました 

乙女坂を お爺さん お婆さんはゆっくりゆっくりと登りました 

孫の大好きな チョコレートのおみやを大事に持って

カイパー講堂で シェイクスピア「十二夜」の英語劇を観劇

休憩時間があって いよいよ演劇部の公演です

みるみる講堂は観衆で膨れ上がり 父兄は三脚 カメラで撮影

準備に大童です

開演が迫ってチャイム 「携帯電話 PHS 糸電話のご使用は 

ご遠慮ください」・・・大音響とともに幕開けしました

『ロミオジュリエット』  原作:W.シェィクスピア

『脚本』 S さん Y さん A さん学友3人と 孫 N の4名

なお 孫の配役は主演の「ジュリエット 期待は更に深まりま

した 劇の進行は滑らか 違和感無く観衆を引きずりこんでいく

見事さ 爆笑も連発楽しい1時間はアッという間でした。

CASTの皆さんの発声も立派。台詞も立派。芸も中々のもの

流石定評ある フェリス演劇部です

プログラムの最後を見ると ここにも「舞台裏
支配人」に孫の名

N が印刷されていました 

中1から高2まで 勉強を適度に忘れ 演劇に集中してきたと思

います 人生で忘れえぬ体験を積む事ができ幸せだったと思い

ます もう直ぐ追い出しコンパ 残り少ない学園生活は演劇部に

投入した情熱を そのまま勉学に向けてくれると思います

夜 孫から電話が掛かってきました チョコレートのお礼でした

私も 楽しかった芝居の礼をいい 成功を祝ってあげました

素晴らしい孫姉妹をもって お爺さん お婆さんは幸せです

フェリス祭実行委員会 冊子の表紙です      蔦のからまる坂道を!
 

演劇部のプログラム


右が孫のジュリエット                 フィナーレ ロミオ ロレンス神父 ジュリエット
 

フェリス祭実行委員会 冊子の裏表紙です
 








 





 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スポーツクラブ ルネサンス

2007-11-01 15:33:54 | 
警察署へ行き「自動車保管場所証明書」と「ステッカー」を受領。

神奈川陸運支局へ行き、住所変更と横浜Noに変更を1ヵ月以

内に済ますよう言われた。

「ディーラーが、次の車に変えるまでその侭で良い」と言ってい

ますが?」と言うと「いけません。私もそうしていてペナルティー

を受けた経験がありますよ」と婦警さんが忠告してくれた。

面倒くさいので、ディーラーに代行の依頼電話をしたところ、「代

行料金は26,000円    とのこと。「おいおいそれが相場な

」と思わず聞きなおしてしまった。最悪の場合自分で行くし

かないようです。大阪から湘南Noに変えた時は自分でやった経

験があります。

時間があったので、散歩がてらバス停一つぶんを歩いて、以前

資料を送ってくれていたスポーツジムに行ってみました。

スポーツクラブ 「ルネサンス」です。

フロントに、施設(トレーニングルーム、プール、シャワー、バス、

ロッカー、ラウンジ、プロショップ。機械、器具(マシン及びフリー

用)の見学を申し込みました。

その後、会員種別と利用時間。料金。駐車場関係の説明を受け

入会申し込み用紙を受け取って辞去しました。

公営のスポーツセンターもガラス窓越しに覗いて見ましたが、

一見して、即「ノー」の判断を下しました。

スポーツクラブ ルネサンス


警察署で、車庫証明受領             ジム周辺のオフィスビル群の一部
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする