戦争と私の色々

2017-12-08 22:00:00 | 思い出

もう76年の昔となりましたか。 昭和16年12月8日は 神風特攻隊 真珠湾攻撃で日米が開戦の日です。
私は小学校6年生でした。先生が職員室から教室に飛び込んで来て、「戦争だ」と知らせてくれました。

「欲しがりません 勝つまでは」<社会風潮一新生活改善十則>の戦時体制で締めつけられました。
現在でもその頃の思い出は鮮明に残っています。

①時艱の克服、一致団結。②不動の精神、困苦に耐えよ。③協力一致、銃後の固め。④働け身の為、
 国の為。⑤備えよ常に、あらゆる力。⑥陋習の打破、形よりは精神。⑦工夫して物を活かせ。
⑧舶来品より国産品。⑨無駄を省いて、国力を培へ。⑩戦に勝っても、奢りに負けるな。
  (註)⑩は未だ緒戦で一見優勢を思わされた頃の「お達し」だったかな

旧制中学生になると、国の勧誘が激しくなり、「七つボタンは桜に錨」の予科練や少年兵の募集が
激しくなってきたようだった。

青学の友人と先日中華街で食事をしたが、「先生に予科練だか、少年兵を何度も勧められ参ったよ」
と聞かされた。
「相手と刺し違える特攻隊じゃあ、命が幾つあっても人員不足だよ」と二人とも複雑な心境だった。

憲兵が鋭い目つきでオールウエーブの電蓄をジロジロ・・・敵国の宣伝放送を聞いているか等の調査
をされた。案内した洋間でスイッチを入れたり、質問されたりしたこともありました。 

〇〇屋さんから顧客宛に 葉書 で特販のお知らせがあり、チーズやバターなど在庫品が購入できた。
大手の実力でしょうかね。 休業日でシャッターが降りた日で入口は勿論表ではなく別口だった。

流石に終戦後は食糧難に全国民が苦しい思いをした。 幸いなことに私は東京駅に勤務する従兄弟がいた。
毎日差し入れの食べ物を伯母が従兄弟に持たせてくれた。それがなかったら飢え死にしていたかも

色々な苦労があった。戦争を知らない政治家は「知らぬが仏」で、私に言わせれば「いい気な人たち」
と言える。






 


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