彼岸随想

2015-09-22 17:17:17 | 思い出

秋の彼岸・・・明日は「お中日」です 昨日は墓参りでお線香を上げてきました
住職の「宗完和尚」 に挨拶  本堂の裏庭 静寂な池を具えた離れにお住いの今は亡き宗順和尚の
奥様にもご無沙汰を侘び ご挨拶を申し上げて辞去 ホッと一安心した今日であった

私にとって五歳にして病没の母を失った 何も分からぬ子供ではあったが今にして思えば 命日と
か新年 春秋の彼岸 お盆などで菩提寺「乗光寺」へ行く日は何故か嬉しいと云うか 浮足たって
お寺へ行くんだ という不可思議で微妙な歓び・・・を感じてきた事実を感じるのである
幼心とは言え霊感とも云うものが伝わって来たのであろうか 写真のみ知る面影の母から 

無心の状態の中で 亡き母が呼んでくれていたのかな 筋道 理屈もなく母を慕うのみの私の心の
作用があってのことだったのかなぁ・・・と不思議でならない事を今更ながら強く感じる

先祖が眠る父母をはじめとする墓標に合掌する時 心穏やかに心の拠り所に接している安らぎを
感じる そして人生を感じる 
墓石の背に悠久の富士を望みつつ 人生の儚さや無常さを想う大事な空間であった

お彼岸だからであろうか朝からテレビは彼岸特集調 の番組が見られた

レンタル!なぜ買うより得!?しられざる最新供養>・・・時代は変わりましたね!!!
人はさまざま 事情も色々・・・なるほどねェ と云うような趣もこれ在り候ということでしょうか
時の流れによりまして いつかはそれが正論の世となるかもしれません
私の持論・・・それは現時点における「仮説」に過ぎない・・・からです

「人は人 私は私」です ご先祖様との有形無形の繋がりを重く見るか軽く見るか と云う事や
様々な諸事情がある事です

私の場合は20年前 神奈川県真鶴でしか採れない小松石での墓石を求め 造園業を手広く
営む従兄に紹介されて真鶴を訪ねました

緻密で硬度も高い石で品格を漂わす石です 400年の昔今騒がれている箱根火山の噴火
の溶岩からの石で極く稀少の銘石と聞き及んでいます
研磨され年月を経ると緑がかった部分も見られるとか 緑がかり確かに上品さを感じさせる
ように想われました 1尺角の墓標でしたが当然ながらよい値段だと思いました
この石は日比谷公園の・・・何處か石垣にも使用されているようです
畏れ多い事ですが 第124代 昭和天皇陵 「武蔵野陵」 には100立方米の小松石を使用
されておられるようです
高尾駅から約1.5キロとの事で午前9時から参拝可能のようですね

昨日部屋の窓を開けたら 夕焼け空のサンセットが眼に飛びこんだ 綺麗だなぁと一枚
偶々今朝の お彼岸がらみ番組の僧侶が 「お彼岸に行けなかった人も 沈む夕日に向かって
合掌されると宜しい 心が穏やかになれる ご先祖供養
も叶えられる」とかの意を述べて居ら
れていたようだった

    




 

    

 


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