六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

本日の読書

2007年10月05日 | 読書
 久々に「ウ~ン」と唸る文章を読んだ。「正論 11月号」のP300、評論家 佐藤健志の「バラバラ殺人と歴史認識 武藤亜澄が『富江』になるとき」である(・・すごいタイトル)。
 私はホラーは苦手なので、当然『富江』は観ていないけれど(カンベンして・・)、本文中にあらすじを書いてくれているので、理解には困らなかった。

 このブログをまめにお読み頂いている方はご記憶かもしれない。私は以前、「殺された娘」というタイトルで、この事件のことについて書いた。
 歯科医師の息子である予備校生が妹を殺してバラバラにした事件の後、被害者家族であり加害者家族でもある両親が新聞に寄せた手記を読んでその文面に仰天し、「殺された挙句、新聞という公の場で家族からこんな言われようをして、いくら何でも亜澄さんがかわいそう過ぎる。こんな手記を全文掲載したら家族の内情が分かってしまうのに、新聞の編集責任者は無神経だ、誰か止めなかったのか」という趣旨で書いたところ、文章力が拙いせいかその後、「実情をよく知らない家庭のことを興味本位で書きたてるのはいかがなものか」という匿名のコメントがつき、私としては、「理解に苦しむわが子の問題行動は、実は親自身が作りあげた家庭の問題のあぶり出しに過ぎない、そのことを親である人々に気づいて欲しい」という想いも込めて書いたのだけれど、別にそれは余計なお世話だ人の家庭に口を出すなと言われりゃーそれはそーかなと面倒になって、結局記事ごと削除してしまった。

 そのあたりのことを、さすがは本職の方である、佐藤氏はきっちりとしかも分かり易く書いていて、敬服してしまう(あたりまえだけど)。私もあの事件を知りあの両親の手記を読んで、大体同じようなことを思いました。弁護側が犯人を広汎性発達障害と主張しているとは知らなかったので、被告に対する家族の態度についてはちょっと違う意見をもっているけれど。

 それよりも、この事例を用いることによって、歴史認識の周囲に渦巻く強烈なエネルギーを明解に描写し問題提起をされていたので、思わずヒザを打ち身を乗り出して読んでしまいました。

 自らの内にある「不都合な真実」を外部に投影して「怪物(モンスター)」を作り上げ、それを攻撃し殺しバラバラにすることで自らの欺瞞から目をそらし現実との折り合いをつける、その黒いエネルギーが今の日本には渦巻いている。とりわけ集団内の弱い部分にその滓がふきだまる。
 家庭内においては虐待がそうだし、国内においてはたとえば「主催者発表11万人」の集会を開いた沖縄がそうだ。

 そもそも主催者発表って、何だ。
 ヘンな言い方だなぁと耳にひっかかってた。新聞も、あとNHKニュースもそう報道したけれど、実際その会場に11万人が収容されたとしたら、1平方メートルあたり4人くらいの密度で居ないと無理なんだって。満員電車並みの立ちっぱなしってコト。本当は会場にはその半分以下しかいなかったらしい。でも天下のNHKさえ「主催者発表」をそのまま報じ、本来は警備なんかの関係で人数を把握するはずの沖縄県警は黙して語らず。・・関係ないけどライブドア絡みの死亡事件で沖縄県警って何かあるんじゃないかなぁと思っちゃったけど、今回の沈黙でも何かその土地ならではのしがらみがありそう、と思わされる。
 警察も報道も真実を公正に扱ってくれなきゃ困る。(でも現実は、こういう話題に関しては「主催者発表」・・

 しかも集会の主旨「教科書から軍の関与の記述を消したことに抗議する」なんて。
 利口そうなイタイケな高校生が涙ながらに訴える。「軍が関与したという記述を消さないで下さい」「ボクたちのおじぃ、おばぁが、嘘をついていたと言うのですか!」
 ・・教科書、ちゃんと読んだか?
 軍の関与の記述が消された教科書って、あるの??

 『「戦前の日本」や「旧日本軍」が「怪物」でなければならないからくり』を解かないかぎり、目を覚まさない人々が多すぎる。この国はまだまだ敗戦・占領下の悪夢の中にまどろんでいたがっている。

 それが民意ってもんだろうか。


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