私と同年代の人ならよくご存知だと思うのだが、米国の往年の名俳優トニー・カーティスが29日夜、心不全のため85歳で死去したという。1950年代~60年代に最も活躍した俳優の1人で、甘いマスクの二枚目スターとして人気を博した。彼の出演する映画はよく見たように思うのだが、マリリン・モンローと共演した「お熱いのがお好き」(1959年)以外は、あまり記憶に残る作品はない。もっとも、この年になると、何度も観なおすほど魅せられた作品以外、覚えていなくても不思議ではない。
話は変わるが、先日、フランスが誇る俳優アラン・ドロンの生誕75周年を記念して、国内初の本格的な特集上映となる「アラン・ドロン生誕75周年記念映画祭」が開催されることになったという記事が目に付いた。
上映される映画は、『若者のすべて』(1960年)、『地下室のメロディー』(1963年)、『黒いチューリップ』(1964年)、『世にも怪奇な物語』(1968年)、『あの胸にもういちど』(1968年)の計5作品だそうである。しかし、私にとっては、『太陽がいっぱい』(1960年)、ジャン・ギャバンとの共演作『地下室のメロディー』の方がすばらしいと思っているのだが…。
下記の写真は、彼がデビューした1957年頃のものだと思うのだが「美男子」、今で言う「イケメン」の元祖といってもいいだろう。
次は1963年作『地下室のメロディー』での彼の表情を集めた写真だが、デビューから6年を経た彼の顔は、もはや単なる「美男子」ではなく、個性ある「男の顔」になっていた。
そして、現在75歳のアラン・ドロン。いかに大スターといえども寄る年波には勝てないようだ。深い皺は老いを隠せず、かつての「美男子」の面影はない。彼は1998年に一度引退宣言をしてからは、テレビドラマを中心に活躍していて、以後の彼の姿はもう映画では見られないそうである。
私としては、若かりし頃があまりに美しかっただけに、衰えを隠せない今の姿はあまり見たくはない。やはり夢を売るスターは、いつまでも若く美しい姿でいてほしいのである。
森光子のように90歳を過ぎてもなお現役で活躍する姿は立派ではあるが、やはり年相応の衰えは隠せないもので、顔の表情もどことなくうつろで、いつも半開きのしまりのない口元が気になって仕方なかった。最近は姿を見なくなったが、これ以上の老醜は見たくないというのが正直な気持ちである。
昔、私が子どもの頃、原節子という美しい女優がいた。戦前、戦後の日本映画を代表するスターの一人で、1920年生まれだから現在90歳、今なお鎌倉市でひっそりとお暮らしだという。映画デビューは1937年、16歳。写真は当時の彼女だが、聡明そうな顔立ち、大きな瞳が印象的である。
1962年の『忠臣蔵』を最後に42歳で映画界を引退。その翌年12月の小津監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現すことはなかったという。わずか26年間の女優人生で、その潔い引退は当時、大きな話題になったことを覚えている。彼女の生き様が、36歳で引退後、マスコミを徹底的に避け亡くなるまで一度も公の場に姿を現さなかったハリウッド女優のグレタ・ガルボに似ているとして「和製グレタ・ガルボ」ともいわれた。
「永遠の美女」原節子の生活は今もってベールに包まれたまま、何一つ情報は聞こえてこない。人々の記憶の中で永遠に若く美しい姿のままで、それが夢を与えるスターの引き際ではないだろうか。
話は変わるが、先日、フランスが誇る俳優アラン・ドロンの生誕75周年を記念して、国内初の本格的な特集上映となる「アラン・ドロン生誕75周年記念映画祭」が開催されることになったという記事が目に付いた。
上映される映画は、『若者のすべて』(1960年)、『地下室のメロディー』(1963年)、『黒いチューリップ』(1964年)、『世にも怪奇な物語』(1968年)、『あの胸にもういちど』(1968年)の計5作品だそうである。しかし、私にとっては、『太陽がいっぱい』(1960年)、ジャン・ギャバンとの共演作『地下室のメロディー』の方がすばらしいと思っているのだが…。
下記の写真は、彼がデビューした1957年頃のものだと思うのだが「美男子」、今で言う「イケメン」の元祖といってもいいだろう。
次は1963年作『地下室のメロディー』での彼の表情を集めた写真だが、デビューから6年を経た彼の顔は、もはや単なる「美男子」ではなく、個性ある「男の顔」になっていた。
そして、現在75歳のアラン・ドロン。いかに大スターといえども寄る年波には勝てないようだ。深い皺は老いを隠せず、かつての「美男子」の面影はない。彼は1998年に一度引退宣言をしてからは、テレビドラマを中心に活躍していて、以後の彼の姿はもう映画では見られないそうである。
私としては、若かりし頃があまりに美しかっただけに、衰えを隠せない今の姿はあまり見たくはない。やはり夢を売るスターは、いつまでも若く美しい姿でいてほしいのである。
森光子のように90歳を過ぎてもなお現役で活躍する姿は立派ではあるが、やはり年相応の衰えは隠せないもので、顔の表情もどことなくうつろで、いつも半開きのしまりのない口元が気になって仕方なかった。最近は姿を見なくなったが、これ以上の老醜は見たくないというのが正直な気持ちである。
昔、私が子どもの頃、原節子という美しい女優がいた。戦前、戦後の日本映画を代表するスターの一人で、1920年生まれだから現在90歳、今なお鎌倉市でひっそりとお暮らしだという。映画デビューは1937年、16歳。写真は当時の彼女だが、聡明そうな顔立ち、大きな瞳が印象的である。
1962年の『忠臣蔵』を最後に42歳で映画界を引退。その翌年12月の小津監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現すことはなかったという。わずか26年間の女優人生で、その潔い引退は当時、大きな話題になったことを覚えている。彼女の生き様が、36歳で引退後、マスコミを徹底的に避け亡くなるまで一度も公の場に姿を現さなかったハリウッド女優のグレタ・ガルボに似ているとして「和製グレタ・ガルボ」ともいわれた。
「永遠の美女」原節子の生活は今もってベールに包まれたまま、何一つ情報は聞こえてこない。人々の記憶の中で永遠に若く美しい姿のままで、それが夢を与えるスターの引き際ではないだろうか。
音楽もよかったですが、最後にクルーザーに引っかかっていた遺体が衝撃的でした。
映画というのは、やはり人の心琴に触れるビジュアルや感動、驚愕がないと、どんな豪華配役でもだめですね。
それでもアラン・ドロンのダンディなところに魅かれる人もいるでしょうね。
♠おくだっちさま
昨今の洋画は奇をてらったものが多く、しっとりと心にしみるような話題作がないように思います。
昔は映画の主題曲だけでレコードができるほど、すばらしい曲がありましたね。
先日、テレビショッピングで映画音楽ばかりをあつめたCDが売られていました。懐かしい作曲者、演奏者の名前がずらり、買いたい誘惑にかられています。