こんな豪勢な話を聞くと、チマチマした暮らしがイヤになりそうだ。持てる者と持たざる者の差もここまでくれば、もう声も出ない。
18~21日まで開催された高松市の「アジア太平洋盆栽水石大会」で、1億円の盆栽の松が売れたという。埼玉県羽生市の業者が出展したそうで、推定樹齢は300年、高さは105センチ。うねる太い幹と繊細な枝ぶりを兼ね備えた「理想の盆栽」だと業者はいう。
盆栽のことには全くの門外漢だが、写真でこれだけ立派なのだから、きっと実物をみたら圧倒されるくらい見事な松なのであろう。
買ったのは福島の愛好家だそうで、売約札に「船山様」とあるから、心当たりの人は多いだろう。おそらく大きなお屋敷で立派な庭園のある大金持ちだろうと、勝手に想像している。
こんなもの(失礼)にポンと1億円も出す人の気がしれない―とは貧乏人のやっかみである。が、絵画や彫刻などの美術品ならともかく、生き物に大枚をはたくなんて私には考えられない。世の中には、金魚や鯉などの生き物に1尾何百万円という大金をはたく人も少なくないと聞く。また、競走馬のように億単位の買い物をする人もいる。が、これら生き物は飼育を間違えば一瞬にして無価値な物体と化してしまう。盆栽とて例外ではなく、手入れを怠ればこれまたタダの枯れ木になってしまうのに、無粋な人間には到底理解できない話である。まっ、きなお世話か。
もう一つ、理解できない話。大王製紙前会長が、カジノで100億円以上の金をすったという話。シンガポールのカジノを頻繁に訪れ、多い時は1日に1億5000万円をギャンブルに投じていたという。私には1万5000円という金額なら実感がわくが、1億円なんてピンとこない。
この会長の金銭感覚はどうなっているのか、頭の中をかち割って見てみたい気がする。それにしても、ティシュやトイレットペーパーのような薄い紙切れが、あのような多額のお札を生み出すとは、紙業とはよほど儲かる商売のようである。
生活必需品でなくてはならない商品だが、どれだけ売ればあのような利益が出るのか、それを考えたらあのような浪費はできないだろう。大体、創業主が一代で築きあげたものは2代目で傾き、3代目が潰してしまうとはよく聞く話である。
あれだけの大企業で不行跡をとがめだてする人がいなかったというのも情けない。よくこれで会社が無事でいられたものである。
常軌を逸した金銭感覚では100億円のお札もティシュと同じ紙にしか見えなかったのかもしれない。が、こういう話を聞くとむかついてくる。
新しい年の初めに少々景気良いこの盆栽。常盤の緑と云うのも縁起がいいではありませんか
姿形醸し出す雰囲気1億と云うとてつもない金額、まあ縁のない庶民はからかいの種にうってつけ。
買主さまはこれからこの松の寿命を何処まで伸ばして行けるのでしょうね?
この盆栽の行く末に栄あることを祈るばかりで~す{/hiyo_
またまた古いブログをよくぞ探してくださいました。
2年前の話ですが、この松は今でも元気なのでしょうね。
私など無粋な人間には、固くて少々のことでは壊れない物以外に大金をはたく人のことが分かりません。
でも、立派な松であることはババにも分かります。
こういう趣味がもてる金持ちになりたいですわ。