つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

30近い年齢差のお友達・・・

2006-06-11 | Weblog
 昨日は、前にいたケアハウスから先輩たちが遊びに来てくれた。93歳、84歳、80歳のお三方で、足元は少し悪いが、みんな頭はしっかりしていてお元気そのものである。 
 前日の夜に電話があって、「明日の訪問をみんな楽しみにしている。まるで北海道へでも行くような気でいる」と笑って言う。日頃あまり外出することがないので、たまには気晴らしをしたいらしい。
 11時前に来られたが、前からお好み焼きを食べたいということだったので、近所のお店に予約しておいた。普段余り食べられないせいか、「おいしい、おいしい」の連発で、割と大きなモダン焼きを全部平らげた。食後は、持参のみかんやお菓子、焼き芋でお茶タイムになり、しゃべり、笑い、食べるで、あっという間に時間が経ち、3時ごろにタクシーを呼んで帰っていった。
 そして夜になって電話があり、「今日は本当に楽しかった。お好み焼きがおいしかった」と大変喜んでくれたが、「高齢だから、これが最後かもね」と言われたのには参った。
 友達とは恐れ多いほどの人生の大先輩で、皆さんそれぞれ戦前戦後の苦難の時期を乗り越えてこられた方ばかりである。それに加えて、昔は親のめんどうをみるのは当たり前の時代で、大姑や舅、姑に仕え、最期の看取りまでの苦労は、今の若い人には想像もつかない話である。
 今は姑が小さくなっている時代だが、私くらいの年齢以上の女性は、昔は姑に仕えて苦労し、今は嫁の顔色を窺いながらの、良いとこなしの立場にある人が多い。お三方のうちのお二人は、早くにご主人を亡くし、女手一つで子どもを育て、多くの苦労を重ねて現在に至っている。だが、幸いなことに、お三方の子ども達はみんな親孝行で、遠方にいても絶えず気遣い、顔を見せに来られる。だから、一人暮らしがのんきで、今の生活に不満はないという。幸せな親の典型的な姿かも。
 たとえ親子でも一つ家に暮らしていれば、何らかの言いごとができ、お互いの自我が強くなり諍いも起こるようになる。決してテレビのホームドラマのようにハッピーエンドな最期を迎えるなんてことは、先ずありえないと思われる。私も生前の母とは、離れて暮らして初めて気持ちの交流がスムーズにいくようになったと思うし、理解し合えるようになった。だが、これと言ってしてあげることも思いつかず、高齢で体が不自由になると電話に出るのも大変なので、手紙を喜んでくれた。旅にでたら必ずお土産と、行程表に沿って撮った写真を添えた手紙を出していたが、それがうれしかったのか、死後の片づけをしたときには、私からの手紙が全部束ねて残されていた。誰にも知られることなく持ち帰り、読み返しながら燃やして処分したが、こんなことしか親孝行の真似事をしなかった不肖の娘を恥じている。
 せめて、お三方に母の姿を重ね、楽しい時を喜んでもらえたら私もうれしい。だが30近い年齢の差があっても、話が合い、弾むのは、いかにお三方が若いか、はたまた私が年取っているからだろうか。負けられない!
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2 コメント

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Unknown (関西のヤングばーば)
2006-06-14 10:20:34
 年が離れていても生き方や考え方、その方の精神に触れて、自分も意気投合したと感じたら、やはり人生の先輩は尊敬できるというもの。

 そんな方とよい時間をすごせたら、それは何にも変えがたいでしょう。よかったですね。 
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そうですよね。 (オールドレディー)
2006-06-14 16:21:18
 若い人にはない、穏やかな時間が過ごせることはいいけど、本当にこれが最後という不安を感じ、別離の悲しさが思われます。

 余計なことだけど、お母様を大事にしてあげてくださいね。
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