《参考文献》
○ 掌蹠膿疱症とは?
《辞書すべて》を検索すると、次のように書いてあります。
【掌蹠膿疱症の症状 】
手掌・足底に多数の膿疱が両側に急に出現し、しばらくするとガサガサになる。こういった経過が寛解、増悪を繰り返す。
約10%に胸肋鎖骨関節、脊椎に関節炎を併発する。
特に胸肋鎖骨骨化症を合併することが多く、その場合は、上胸部の疼痛や運動制限が見られる。
【掌蹠膿疱症の原因】
原因は不明であるが、溶連菌やスーパー抗原に対する免疫応答に異常があるという報告がある。不思議なことに膿疱が無菌性であり局所感染ではないと考えられている。そのようなことから慢性扁桃炎・虫歯・歯肉炎などの病巣感染や、金属アレルギーの関連性があるとされる。(皮膚疾患診療実践ガイド 文光堂)
《発病から消滅まで》
(1)発病
24歳(S43年、渋川時代)のころ、発病した。症状は上記のとおり「手掌・足底に多数の膿疱が両側に急に出現し、しばらくするとガサガサになる。こういった経過が寛解、増悪を繰り返す。」というものだった。同時に胸肋鎖骨骨化症も併発し鎖骨、胸骨の関節が炎症をおこし、背中全体を激痛が襲った。
この病気は、近年女優奈美悦子が患い、激痛の様子などを公表したことにより一般にも知られるようになったが、当時は医師でさえ正確な診断が出来なかった。2年間くらいは、水虫の治療をしていた。
掌蹠膿疱症と解った後の治療は、副副腎皮質ホルモンの軟膏を手掌と足裏に塗り(この部位は皮膚が厚いので)サランラップを巻いて手袋と靴下を履いた。
鎖骨などの関節炎症や背中全体の激痛については、原因がわからなかった。肩こりの治療していたが我慢できないときは痛み止めを飲んだ。
(2)扁桃腺摘出~膿疱の消滅
私の扁桃腺は生まれつき質が悪かったのか、子供のころから年2回くらい高熱をひきおこした。小学校2年生のとき、群馬大学病院で摘出手術したが、いっこうによくならず、成人しても更に悪化する傾向にあった。思い切って31歳のとき再び扁桃腺摘出手術をおこなった。(前橋の田中耳鼻科医院)
2度目の手術の結果、扁桃腺の状況が良くなったのと同時に不思議なことにぴたりと膿疱が発症しなくなったのです。
膿疱が出なくなったが、激痛は治まらなかった。原因は相変わらず不明で、我慢が出来ないときだけ痛み止めを飲んで対処していた。
(3)病名の判明
34歳のとき太田の並木整形外科を受診し、初めて激痛の原因は『掌蹠膿疱症に合併する胸肋鎖骨関節炎』であることが判明した。
病名が判明したものの、効果的な治療方法が確立されていなかった。効果があるといわれるビオチンなども試したが、激痛は治まらなかった。
(4)群馬大学病院で受診~我慢する以外方法がない
40歳のとき、掌蹠膿疱症の権威の先生がいると聞いたので群大病院の診察を受けた。その先生は、
「3つの治療方法があるが、効果は定かでない。人によって効果がない場合もある。」
「この病気で起こる激痛で、死んだ人はいない。60歳になれば骨の新陳代謝が低くなり、それに伴って痛みがでなくなる。」
「治療の効果なければ60歳まで痛さに耐えるしかない。」
と言った。
3つの治療方法を試したが、効果がなかった。
痛みが消えるまで我慢しようとあきらめた。
(5)激痛消滅~59歳
56歳ころから、激痛の頻度が少なくなり59歳ころは、ほとんど痛みの症状が出なくなり、現在に至っている。
☆この病気の痛みで仕事を休んだことは1度もない。密かな私の自己満足である。
○ 掌蹠膿疱症とは?
《辞書すべて》を検索すると、次のように書いてあります。
【掌蹠膿疱症の症状 】
手掌・足底に多数の膿疱が両側に急に出現し、しばらくするとガサガサになる。こういった経過が寛解、増悪を繰り返す。
約10%に胸肋鎖骨関節、脊椎に関節炎を併発する。
特に胸肋鎖骨骨化症を合併することが多く、その場合は、上胸部の疼痛や運動制限が見られる。
【掌蹠膿疱症の原因】
原因は不明であるが、溶連菌やスーパー抗原に対する免疫応答に異常があるという報告がある。不思議なことに膿疱が無菌性であり局所感染ではないと考えられている。そのようなことから慢性扁桃炎・虫歯・歯肉炎などの病巣感染や、金属アレルギーの関連性があるとされる。(皮膚疾患診療実践ガイド 文光堂)
《発病から消滅まで》
(1)発病
24歳(S43年、渋川時代)のころ、発病した。症状は上記のとおり「手掌・足底に多数の膿疱が両側に急に出現し、しばらくするとガサガサになる。こういった経過が寛解、増悪を繰り返す。」というものだった。同時に胸肋鎖骨骨化症も併発し鎖骨、胸骨の関節が炎症をおこし、背中全体を激痛が襲った。
この病気は、近年女優奈美悦子が患い、激痛の様子などを公表したことにより一般にも知られるようになったが、当時は医師でさえ正確な診断が出来なかった。2年間くらいは、水虫の治療をしていた。
掌蹠膿疱症と解った後の治療は、副副腎皮質ホルモンの軟膏を手掌と足裏に塗り(この部位は皮膚が厚いので)サランラップを巻いて手袋と靴下を履いた。
鎖骨などの関節炎症や背中全体の激痛については、原因がわからなかった。肩こりの治療していたが我慢できないときは痛み止めを飲んだ。
(2)扁桃腺摘出~膿疱の消滅
私の扁桃腺は生まれつき質が悪かったのか、子供のころから年2回くらい高熱をひきおこした。小学校2年生のとき、群馬大学病院で摘出手術したが、いっこうによくならず、成人しても更に悪化する傾向にあった。思い切って31歳のとき再び扁桃腺摘出手術をおこなった。(前橋の田中耳鼻科医院)
2度目の手術の結果、扁桃腺の状況が良くなったのと同時に不思議なことにぴたりと膿疱が発症しなくなったのです。
膿疱が出なくなったが、激痛は治まらなかった。原因は相変わらず不明で、我慢が出来ないときだけ痛み止めを飲んで対処していた。
(3)病名の判明
34歳のとき太田の並木整形外科を受診し、初めて激痛の原因は『掌蹠膿疱症に合併する胸肋鎖骨関節炎』であることが判明した。
病名が判明したものの、効果的な治療方法が確立されていなかった。効果があるといわれるビオチンなども試したが、激痛は治まらなかった。
(4)群馬大学病院で受診~我慢する以外方法がない
40歳のとき、掌蹠膿疱症の権威の先生がいると聞いたので群大病院の診察を受けた。その先生は、
「3つの治療方法があるが、効果は定かでない。人によって効果がない場合もある。」
「この病気で起こる激痛で、死んだ人はいない。60歳になれば骨の新陳代謝が低くなり、それに伴って痛みがでなくなる。」
「治療の効果なければ60歳まで痛さに耐えるしかない。」
と言った。
3つの治療方法を試したが、効果がなかった。
痛みが消えるまで我慢しようとあきらめた。
(5)激痛消滅~59歳
56歳ころから、激痛の頻度が少なくなり59歳ころは、ほとんど痛みの症状が出なくなり、現在に至っている。
☆この病気の痛みで仕事を休んだことは1度もない。密かな私の自己満足である。