仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

男はつらいよ フーテンの寅

2021年09月25日 | ムービー
シリーズ第3作『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年/森崎東監督)を見た。
物語は、「久しぶりに故郷、葛飾柴又の実家・団子屋とらやに帰ってきた車寅次郎(寅/渥美清)を、梅太郎(タコ社長/太宰久雄)が口利きをした縁談が待っていた。見合い相手は料理屋の駒子(春川ますみ)という女中だったが、実は彼女は寅の知り合い。しかも駒子には夫がいたはずで、身ごもってもいるのだった。すっかり酒に酔って泣きまくる駒子と夫・為吉(晴乃ピーチク)のよりを戻させるために奮闘し、二人をとらやに連れて来た寅だったが・・・」という内容。
二人のために結婚祝賀会を開いた寅だったものの、宴会費用もハイヤー代もすべてとらや宛の請求。
縁も所縁もない二人のためにお金を使わされる羽目になった車竜造(おいちゃん/森川信)もつね(おばちゃん/三崎千恵子)も怒り心頭だが、それはもっともな話だ。
大騒ぎした挙げ句に、妹・さくら(倍賞千恵子)の夫・諏訪博(前田吟)と取っ組み合いの喧嘩をして家を後にした寅だったが、滞在先の三重県湯の山温泉で、おいちゃんとおばちゃんにバッタリ出くわしてしまうのだから笑える。
(^_^)
それにしても、さくらは優しい妹だ。
自分の見合い相手の結婚を祝う立場になってしまった寅の気持ちをおもんばかって慰めるなんてことは、さくらにしか出来ない芸当だ。
これにはいくらか寅も救われたことだろう。
(^_^)
冒頭の場面では、天涯孤独だという信州の旅館の仲居(悠木千帆 / 樹木希林)にさくらやおいちゃんの写真を見せ、女房だ親父だと嘘をつく寅が映し出されていたが、借金から芸者をしている娘・染奴(香山美子)を妾に出さざるを得なくなった同業・坂口清太郎(花沢徳衛)と同様、どうにも哀れに描かれていた。
シリーズ第5作『男はつらいよ 望郷篇』(1970年/山田洋次監督)もそうだが、男はつらいよシリーズの初期の作品は、恋愛云々と同じくらいにテキヤ稼業の儚さというものが描かれていたように思う。

下妻物語

2019年04月04日 | 映画サークル

ましけ映画サークル3月例会は、長○企画の『下妻物語』(2004年/中島哲也監督)だった。
物語は、「茨城県の下妻市に住んでいる竜ヶ崎桃子(深田恭子)は、ロリータ・ファッションをこよなく愛する高校生。収入を得るために父(宮迫博之)が扱っていた偽ブランド品を販売しようとする。売れないだろうという予想に反して女子高生・白百合イチゴ(土屋アンナ)というレディース(暴走族)の一員が興味を示し・・・」という内容。
桃子はマイペースを崩さない、徹底した個人主義者。
父と母(篠原涼子)の離婚の際には、医者(阿部サダヲ)と再婚して裕福な暮らしになった母親よりも、「一緒にいた方がきっと面白い」という理由から、ヤクザの父に着いて行くことを決めたほどに、独特で面白い基準の持ち主だ。
それゆえに茨城の田舎でも徹底したロリータファッションでいられるのだろう。
桃子の祖母(樹木希林)は、桃子の唯一の理解者といってもよい存在だが、昔は相当なヤンキーだったらしく、桃子とは何か通じるものがあるのだろう。
公開年の春には、カンヌ国際映画祭のフィルムマーケットで『Kamikaze Girls』と題して上映され、世界7か国でも公開されたそうだし、その後、フランスでは日本映画としては過去最大約100館での公開ということになったらしい。
なかなか面白い日本文化が紹介されたようだ。
これも "COOL JAPAN" か。
(^_^)
さて、例会終了後は転出する長○氏の送別会。
見知らぬ環境で寂しくもあるだろうが、新しい場所で頑張っていただきたく思うのである。


海よりもまだ深く

2018年10月08日 | ムービー
『海よりもまだ深く』(2016年/是枝裕和監督)を見た。
物語は、「15年前に小説の島尾敏雄文学賞を受賞した経歴を持っている篠田良多(阿部寛)。その後は鳴かず飛ばずで、現在は小説のリサーチと称し山辺(リリー・フランキー)の興信所で探偵業をしていた。同僚の町田(池松壮亮)に金を借りながら競輪をするほどのギャンブル好きな篠田は、出版社からギャンブルものの漫画の原作をやらないかと勧められたが、純文学作家というプライドから二の足を踏んでいたのだった」という内容。
離婚した元妻の響子(真木よう子)には毎月50,000円の養育費を支払うことを条件に息子の真悟(吉澤太陽)との面会を許されている良多だが、実際その金額を用意するのも大変で、姉の千奈津(小林聡美)や、年金暮らしの母親・淑子(樹木希林)を頼ることも度々。
興信所の調査で掴んだ情報を元に、対象者をゆすることもする仕事の仕方は何とも酷い。
これは長くは続かないだろうと想像できる生活ぶりだ。
響子に出来た恋人・福住(小澤征悦)のことも調べあげ、まるでストーカーのようにも見えて、気持ち悪くもあるほどで、どうしようもない人間に見えてくるのだった。
(^_^;)
母親が住む団地のベランダに、良多が高校生の時に植えたミカンの木の鉢があり、「花も実も付かないんだけどね、あんただと思って毎日水をやってるのよ」と言われる時のエピソードは少し情けない。
また、疎遠だった父親の話をしてくれる質屋の主人・二村(ミッキー・カーチス)が良い感じだった。

リターナー

2017年07月02日 | ムービー
『リターナー』(2002年/山崎貴監督)を見た。
物語は、「未来の地球は"ダグラ"と呼ばれる宇宙生物からの攻撃を受け、人類は絶滅寸前の状況だった。2084年、生き残ったわずかな人間はチベット高原の基地に隠れて生き延びていたが、ブラウン博士(ディーン・ハリントン)が発明した戦略時間兵器(タイムマシーン)を使い、ミリ(鈴木杏)が2002年の日本へとやって来た。目的は、地球に降り立った最初のダグラを抹殺するためだった。ミリが現れたのは、ミヤモト(金城武)が"人身売買の闇取引を妨害してブラックマネーを奪う"という裏世界の仕事をしている真っ最中だったことから、劉老板(高橋昌也)率いるチャイニーズマフィア"劉グループ"の溝口(岸谷五朗)らとの銃撃戦に巻き込まれてしまう。間違ってミリを撃ってしまったミヤモトは、彼女を自分の部屋へ連れて行き、休ませていたのだが、ミリが話す荒唐無稽な物語に、つきあいきれないとばかりに部屋から放り出してしまい・・・」という内容。
題名になっている"リターナー"とは、ミヤモトの闇稼業のことをさすらしいのだが、実は少しばかりのひねりも含まれているらしい。
へぇって感じだ。
(^。^)
溝口という人間は何とも残忍な男のようで、かつて、大陸(中国?)のマンホールチルドレンとして生活していた孤児のミヤモト(本郷奏多/少年時代)の仲間・シーファンを臓器売買のために連れ去り、殺害した張本人だった。
その男が"ダグラ"が乗ってきた宇宙船の超絶パワーを奪おうと画策するのだから、もしそれが成功すれば、未来の地球が宇宙人の攻撃を受けて人類壊滅寸前になってしまうという展開も充分納得できる仕立ての物語になっていた。
ただ、"ダグラ"のデザインや、「あれ!?この感じは何かの映画で見たことがあるな」という場面がいたるところに出てきて、その演出には「おいおい・・・」とも思ってしまう。
(^_^;)
日本に渡ってきた男に"ミヤモト"という名前を与えたのは、情報屋の謝(樹木希林)とのことだが、このばあちゃんが海千山千のつわもののようで、「人間は平気で嘘をつく生き物だよ。特にやましいことをした奴等はね」との台詞には、充分に納得させられる気がする。
表家業の店構えといい、絶妙な存在感が溢れる登場人物だった。
それに対して、少し残念だったのが国立宇宙開発研究所の第2研究所所属の科学者・八木(岡元夕起子)。
密かに劉グループと繋がっていて、機密情報を流出させる存在として描かれていたのだが、まだまだ悪人として活躍できる余地があるように思えた。
日本映画にしては珍しく、見ている側が恥ずかしくならない、まともなSFアクション作品だった。
(^_^)

駆込み女と駆出し男

2016年07月19日 | ムービー
『駆込み女と駆出し男』(2015年/原田眞人監督)を見た。
物語は、「天保12(1841)年、"天保の改革"の真っ只中にある江戸。綱紀粛正の徹底や、質素倹約令による消費の抑制により、庶民の暮らしには様々な制約が課せられようとしていた。曲亭馬琴(山崎努)に憧れている駆出しの戯作者兼医者見習いの中村信次郎(大泉洋)は、住みにくくなった江戸を離れ、鎌倉で柏屋を営んでいる親戚の源兵衛(樹木希林)を訪ね、居候を決め込む。その柏屋とは、駆込み寺である東慶寺の御用宿の一つだった。一方、放蕩三昧の夫・重蔵(武田真治)の暴力に耐えかねた働き者で腕の良い鉄練り職人じょご(戸田恵梨香)と、堀切屋三郎衛門(堤真一)に囲われていたお吟(満島ひかり)の2人は東慶寺を目指す道中に知り合い、じょごは足をくじいたお吟を大八車に乗せ、必死に引いていた。しかし、あと少しという所になって、後ろから一人の男が追い掛けるように近づいてきて・・・」という内容。
女性の側からの離婚が困難だったという江戸時代には幕府公認の駆込み寺(縁切寺)というのがあったらしく、東慶寺と満徳寺(現群馬県・旧上野国)の2寺が、離婚に対する家庭裁判所の役割を果たしていたとのことである。
ただ、駆込みがあってもすぐに寺に入れるわけではなく、柏屋のような御用宿で"身元調べ"が行われ、夫方との和解あるいは離縁の調停が代行されていたらしい。
御用宿とは現代の弁護士や司法書士といった役回りだったのだろうか。
いきなりのスピーディーな展開で始まり、台詞などは何を言っているのかよく聞き取れないほどだったので、映像の綺麗さにはとてもこだわっているものの、言葉についてはあまり重要視していないのだろうと感じた。
「見てりゃぁその内に分かるぜ。ふふん」ということなのだろう。
物語半ばに登場する戸賀崎ゆう(内山理名)と田の中勘助(松岡哲永)のエピソードは強烈だった。
なまじ剣豪な酔っ払いだけに、真剣を振り回されると到底無傷では止められない様子で、こういう"気違いに刃物"を地で行くような人物には、より強い力で一瞬のうちに対抗するしか手がないのだろうか。
江戸時代の権力もやはり"民事不介入"だったのだろうし。