仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

血文字屋敷

2018年09月16日 | ムービー
『血文字屋敷』(1962年/工藤栄一監督)を見た。
物語は、「江戸城番士・神尾喬之助(大友柳太朗)は、江戸小町と評判の園絵(丘さとみ)との祝言も近かったが、神尾の上司で、女狂いと悪評の高い番士組頭・戸部近江之介(平幹二朗)は、園絵にふられた腹いせに、常日頃から喬之助を目の敵として苛めていた。しかも、同僚の荒木陽一郎(山本麟一)ら十七人の全番士までもが、戸部の尻馬に乗って喬之助を罵しるばかりで、誰一人として庇い立てする者はいないのだった。そして婚礼の日。同僚は一人も姿を現さなかったが、皆が寝静まった頃、女郎を引き連れて騒々しく神尾家の屋敷に押し掛けた。そのような事情を偶然耳にした町奉行の大岡越前守(大川橋蔵)は・・・」という内容。
婚礼が行われた日の深夜、まるで押し入るかのように屋敷に上がり、「そういえばお主、本日休んでおったな。どうしたのだ」などとぬけぬけと言ってのける同僚達。
これは酷すぎる仕打ちだ。
職場でも言いがかりをつけられっぱなしで、遂には頭までも踏みつけられるに至ってはもはや我慢も限界を超えてしまった。
江戸城内の畳の上に、戸部の生首がごろんと転がり、十七人への復讐を誓った喬之助は姿をくらましてしまったのだから、そんなことになるだなんて、まったく想像もしていなかっただろう十七人は、それからというもの生きた心地がしなかったことだろう。
面識はなかったが、評判を頼りに黒門町の壁辰(三島雅夫)を訪ねた喬之助は、彼ではなく、金山寺音松(多々良純)に助けられ、自分と瓜二つの浪人・茨右近(大友柳太朗/二役)と出会うのだが、二人は右近の女房・知らずのお弦(久保菜穂子)でさえも見間違うほど。
まぁ二役なので当たり前なのだが・・・。
(^_^;)
喬之助が復讐を果たしていく過程で、"逆さ屏風"が立て掛けられて不吉さを表現する場面があるのだが、これは、死者の亡骸の枕元に、逆さにした屏風を置くという風習があったのだそうで、これは知らなかった。
襟のあわせを反対にするというのは知っていたが、足袋を左右反対に履かせたりとか何でも反対にするだなんて、宗教的な意味合いは無いらしいのだが、考えてみれば妙な風習だ。

浅草四人姉妹

2017年03月22日 | ムービー
『浅草四人姉妹』(1952年/佐伯清監督)を見た。
物語は、「昭和27(1952)年の浅草。季節小料理"お獅子"を経営している井手藤吉(三島雅夫)と梅子(沢村貞子)の夫婦には4人の娘がいた。長女は東京隅田病院の内科医・美佐子(相馬千恵子)、次女は踊りで身を立てようと芸者になった幸子(関千恵子)、三女は洋裁店いづみに勤めながら将来のデザイナーを夢見ている千枝子(杉葉子)、四女は男にばかり任せていたらいつまた戦争になるか分からないから代議士になりたいという高校生の恵美子(岩崎加根子)。ある日、"姉ちゃん先生"と呼ばれて家族にも近所の人達からも頼りにされている美佐子のところへお見合いの話が舞い込み・・・」という内容。
"姉ちゃん先生"は、隣でアイスクリーム屋"蝶々"を営んでいる加代(飯田蝶子)の息子・三平(高島忠夫)と碁を打つのに、2階の物干し場から互いの家を行き来したり、当時の流行語らしい「とんでもはっぷん!!」という台詞があったり、なかなか面白い人のようだったが、性格は相当に勝気らしく、彼女に密かな好意を持っている同僚の外科医・田中(山内明)の気持ちにはまったく気がつかず、いつもキツイ言葉で対応していた。
三女・千枝子が盲腸の緊急手術を受けるべく病院に運ばれた深夜の当直医師が田中だったが、起こされた仮眠中の田中が思わず「何でこんな時間に怒りに来たの!?」と言っていたのには笑った。
かなり怖がられていたようだ。
(^。^)
この作品が劇場公開されたのは、前年に締結された"サンフランシスコ講和条約"が発効して日本が主権を回復した昭和27(1952)年。
「あら、地震だわ。地震と雷と空襲だけはどうもねぇ・・・」という台詞や、何度も"男が少ない世の中"といった言葉が出てきたり、(パーティーで)美佐子と田中が病院のアルコールを三角フラスコを使って水割りにし、じっと見てはお酒の名前を言いながらテキーラのように飲む場面など、まだまだ太平洋戦争の後遺症の中にいる時代に見えた。
物がなかったりあふれていたり、時代によって世の中の暮らしぶりは違うのかもしれないのだが、人の心や思いというのはいつの時代も変わらないものなのだろうと思いながら、面白く見られた作品だった。
(^_^)