『血文字屋敷』(1962年/工藤栄一監督)を見た。
物語は、「江戸城番士・神尾喬之助(大友柳太朗)は、江戸小町と評判の園絵(丘さとみ)との祝言も近かったが、神尾の上司で、女狂いと悪評の高い番士組頭・戸部近江之介(平幹二朗)は、園絵にふられた腹いせに、常日頃から喬之助を目の敵として苛めていた。しかも、同僚の荒木陽一郎(山本麟一)ら十七人の全番士までもが、戸部の尻馬に乗って喬之助を罵しるばかりで、誰一人として庇い立てする者はいないのだった。そして婚礼の日。同僚は一人も姿を現さなかったが、皆が寝静まった頃、女郎を引き連れて騒々しく神尾家の屋敷に押し掛けた。そのような事情を偶然耳にした町奉行の大岡越前守(大川橋蔵)は・・・」という内容。
婚礼が行われた日の深夜、まるで押し入るかのように屋敷に上がり、「そういえばお主、本日休んでおったな。どうしたのだ」などとぬけぬけと言ってのける同僚達。
これは酷すぎる仕打ちだ。
職場でも言いがかりをつけられっぱなしで、遂には頭までも踏みつけられるに至ってはもはや我慢も限界を超えてしまった。
江戸城内の畳の上に、戸部の生首がごろんと転がり、十七人への復讐を誓った喬之助は姿をくらましてしまったのだから、そんなことになるだなんて、まったく想像もしていなかっただろう十七人は、それからというもの生きた心地がしなかったことだろう。
面識はなかったが、評判を頼りに黒門町の壁辰(三島雅夫)を訪ねた喬之助は、彼ではなく、金山寺音松(多々良純)に助けられ、自分と瓜二つの浪人・茨右近(大友柳太朗/二役)と出会うのだが、二人は右近の女房・知らずのお弦(久保菜穂子)でさえも見間違うほど。
まぁ二役なので当たり前なのだが・・・。
(^_^;)
喬之助が復讐を果たしていく過程で、"逆さ屏風"が立て掛けられて不吉さを表現する場面があるのだが、これは、死者の亡骸の枕元に、逆さにした屏風を置くという風習があったのだそうで、これは知らなかった。
襟のあわせを反対にするというのは知っていたが、足袋を左右反対に履かせたりとか何でも反対にするだなんて、宗教的な意味合いは無いらしいのだが、考えてみれば妙な風習だ。
物語は、「江戸城番士・神尾喬之助(大友柳太朗)は、江戸小町と評判の園絵(丘さとみ)との祝言も近かったが、神尾の上司で、女狂いと悪評の高い番士組頭・戸部近江之介(平幹二朗)は、園絵にふられた腹いせに、常日頃から喬之助を目の敵として苛めていた。しかも、同僚の荒木陽一郎(山本麟一)ら十七人の全番士までもが、戸部の尻馬に乗って喬之助を罵しるばかりで、誰一人として庇い立てする者はいないのだった。そして婚礼の日。同僚は一人も姿を現さなかったが、皆が寝静まった頃、女郎を引き連れて騒々しく神尾家の屋敷に押し掛けた。そのような事情を偶然耳にした町奉行の大岡越前守(大川橋蔵)は・・・」という内容。
婚礼が行われた日の深夜、まるで押し入るかのように屋敷に上がり、「そういえばお主、本日休んでおったな。どうしたのだ」などとぬけぬけと言ってのける同僚達。
これは酷すぎる仕打ちだ。
職場でも言いがかりをつけられっぱなしで、遂には頭までも踏みつけられるに至ってはもはや我慢も限界を超えてしまった。
江戸城内の畳の上に、戸部の生首がごろんと転がり、十七人への復讐を誓った喬之助は姿をくらましてしまったのだから、そんなことになるだなんて、まったく想像もしていなかっただろう十七人は、それからというもの生きた心地がしなかったことだろう。
面識はなかったが、評判を頼りに黒門町の壁辰(三島雅夫)を訪ねた喬之助は、彼ではなく、金山寺音松(多々良純)に助けられ、自分と瓜二つの浪人・茨右近(大友柳太朗/二役)と出会うのだが、二人は右近の女房・知らずのお弦(久保菜穂子)でさえも見間違うほど。
まぁ二役なので当たり前なのだが・・・。
(^_^;)
喬之助が復讐を果たしていく過程で、"逆さ屏風"が立て掛けられて不吉さを表現する場面があるのだが、これは、死者の亡骸の枕元に、逆さにした屏風を置くという風習があったのだそうで、これは知らなかった。
襟のあわせを反対にするというのは知っていたが、足袋を左右反対に履かせたりとか何でも反対にするだなんて、宗教的な意味合いは無いらしいのだが、考えてみれば妙な風習だ。