『浅草四人姉妹』(1952年/佐伯清監督)を見た。
物語は、「昭和27(1952)年の浅草。季節小料理"お獅子"を経営している井手藤吉(三島雅夫)と梅子(沢村貞子)の夫婦には4人の娘がいた。長女は東京隅田病院の内科医・美佐子(相馬千恵子)、次女は踊りで身を立てようと芸者になった幸子(関千恵子)、三女は洋裁店いづみに勤めながら将来のデザイナーを夢見ている千枝子(杉葉子)、四女は男にばかり任せていたらいつまた戦争になるか分からないから代議士になりたいという高校生の恵美子(岩崎加根子)。ある日、"姉ちゃん先生"と呼ばれて家族にも近所の人達からも頼りにされている美佐子のところへお見合いの話が舞い込み・・・」という内容。
"姉ちゃん先生"は、隣でアイスクリーム屋"蝶々"を営んでいる加代(飯田蝶子)の息子・三平(高島忠夫)と碁を打つのに、2階の物干し場から互いの家を行き来したり、当時の流行語らしい「とんでもはっぷん!!」という台詞があったり、なかなか面白い人のようだったが、性格は相当に勝気らしく、彼女に密かな好意を持っている同僚の外科医・田中(山内明)の気持ちにはまったく気がつかず、いつもキツイ言葉で対応していた。
三女・千枝子が盲腸の緊急手術を受けるべく病院に運ばれた深夜の当直医師が田中だったが、起こされた仮眠中の田中が思わず「何でこんな時間に怒りに来たの!?」と言っていたのには笑った。
かなり怖がられていたようだ。
(^。^)
この作品が劇場公開されたのは、前年に締結された"サンフランシスコ講和条約"が発効して日本が主権を回復した昭和27(1952)年。
「あら、地震だわ。地震と雷と空襲だけはどうもねぇ・・・」という台詞や、何度も"男が少ない世の中"といった言葉が出てきたり、(パーティーで)美佐子と田中が病院のアルコールを三角フラスコを使って水割りにし、じっと見てはお酒の名前を言いながらテキーラのように飲む場面など、まだまだ太平洋戦争の後遺症の中にいる時代に見えた。
物がなかったりあふれていたり、時代によって世の中の暮らしぶりは違うのかもしれないのだが、人の心や思いというのはいつの時代も変わらないものなのだろうと思いながら、面白く見られた作品だった。
(^_^)
物語は、「昭和27(1952)年の浅草。季節小料理"お獅子"を経営している井手藤吉(三島雅夫)と梅子(沢村貞子)の夫婦には4人の娘がいた。長女は東京隅田病院の内科医・美佐子(相馬千恵子)、次女は踊りで身を立てようと芸者になった幸子(関千恵子)、三女は洋裁店いづみに勤めながら将来のデザイナーを夢見ている千枝子(杉葉子)、四女は男にばかり任せていたらいつまた戦争になるか分からないから代議士になりたいという高校生の恵美子(岩崎加根子)。ある日、"姉ちゃん先生"と呼ばれて家族にも近所の人達からも頼りにされている美佐子のところへお見合いの話が舞い込み・・・」という内容。
"姉ちゃん先生"は、隣でアイスクリーム屋"蝶々"を営んでいる加代(飯田蝶子)の息子・三平(高島忠夫)と碁を打つのに、2階の物干し場から互いの家を行き来したり、当時の流行語らしい「とんでもはっぷん!!」という台詞があったり、なかなか面白い人のようだったが、性格は相当に勝気らしく、彼女に密かな好意を持っている同僚の外科医・田中(山内明)の気持ちにはまったく気がつかず、いつもキツイ言葉で対応していた。
三女・千枝子が盲腸の緊急手術を受けるべく病院に運ばれた深夜の当直医師が田中だったが、起こされた仮眠中の田中が思わず「何でこんな時間に怒りに来たの!?」と言っていたのには笑った。
かなり怖がられていたようだ。
(^。^)
この作品が劇場公開されたのは、前年に締結された"サンフランシスコ講和条約"が発効して日本が主権を回復した昭和27(1952)年。
「あら、地震だわ。地震と雷と空襲だけはどうもねぇ・・・」という台詞や、何度も"男が少ない世の中"といった言葉が出てきたり、(パーティーで)美佐子と田中が病院のアルコールを三角フラスコを使って水割りにし、じっと見てはお酒の名前を言いながらテキーラのように飲む場面など、まだまだ太平洋戦争の後遺症の中にいる時代に見えた。
物がなかったりあふれていたり、時代によって世の中の暮らしぶりは違うのかもしれないのだが、人の心や思いというのはいつの時代も変わらないものなのだろうと思いながら、面白く見られた作品だった。
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