悟りへの至宝(三宝)は、聖人から聖人(単伝独授)に伝えられていました。
弥勒の世は、縁が熟してすべての人に「三宝」を得る機会が与えられます。
私も「三宝」を得ることができましたが、先に「三宝」を得て後に修道することがでます。
世間のお話のように、仮の大円境地になることが重要ではなく、人生そのもの、生活そのものが修道で、行くところ、会う人、聞く内容、話すこと・・・全てが学び高めて行く軌道上にあります。
佳い機会を得るために、謹慎し心穏やかにすることを心掛けています。
自分で感じた事を天意と確信することができるのは、春分・秋分に開かれる班会で必ずその答えが得られるからです。
今までに仙仏の降臨によって、世界で数十万の聖訓が降ろされています。
毎年、先天(天界)の易から始まって内省・外省について厳しい現実を諭されます。
その聖訓を常に卓上に置き、学ぶことが出来ますから、静けさの重要性が恒常的になります。
この世の役割も天から与えられ、無限に続く軌道上で「生死の境界」を超えることができます。
弥勒浄土では、誰もが「自己の尊厳に憧憬の境地」を得ることができます。
「悟りとは何か?悟るために必要なこと」(5min)