ANANDA・Cafe

独善的偏向偏執的毒舌紅茶&カフェのブログ 真実は香り高く甘くそして…渋い 良い紅茶のようにね

東インド会社の紅茶を飲む…つまりそれは世界史を淹れること だが!しかし?二転三転するオチの行方

2011年04月28日 | 茶話
今月誕生日なのです

そんでもって先日吾が夫に
「服か帽子でも買ってあげる♪」
という有難い申し出を頂いたのです
嬉しくて涙が出ます

だがしかし
ものを買ってもらうのに普段から慣れていない私は
申し訳ない気持ちの方が先に立つ
私のためにそんな散財は望まないのです
服などは季節毎に洗いがえがあれば事足ります
しかも帽子は季節に合うだけのものを買ってもらってしまったし

これを3秒もかからずに夫に即答
「いいえ~あなた~私は欲しいものはないのよ~」
だがしかし夫は
「何か買わせろー!」
と言うのです
いいひとだなあ

服を買うとしてもそんなお高いもの着る気も機会もありません
なにしろ掃き溜めの白鳥ですからね
もう何を着ようが充分優雅でラグジュアリーなのです

そこで私は考えた
2~3000円の服ならユニクロで終了だが
これ2~3000円の紅茶となると俄然話は変わってくる
そうです
高級茶葉ですよ奥さん!
1パック2円だの5円だのと
安いが美味いティーバッグを探し求めていた日々が
この日報われるのです!

私は3秒もかからずそこまで考え
又しても即答する

「わかった…では紅茶を買ってはくれないだろうか?」
「それで良いの?」
「ああ…それが一番素敵なプレゼントなんだ」
おお…僕はなんて男前なんだろう
りりしくそう夫に告げたのだよキミ(←誰だ?)
「ではどの紅茶を?ムジカに行く?それともルピシアにする?」
「マイスイートハニー、いきなりでなんだが元町の明治屋に行かないか?」
「おお…なんと意表を突く展開!果たしてそのわけは?」(←なんとわざとらしい導入)


実は先日BOHのゴールド・ブレンドを買いに元町まで歩いた時のこと
安さ爆発カルディでBOHとスイートサクラティーを購入したあと
その先にある高さ爆烈明治屋にうっかり入り込んでしまったのだ

ま…まずい
この店は私の洗練された嗜好と趣味をある部分満たしてしまう店なのだ
輸入食料品店の草分けである明治屋
過去に良く世話になった店である
だが時は経ち
生活は変わり
輸入食料品店もカルディに格下げ(笑)
しかもたまに行く程度になった

さて、久々に明治屋に入った私は
多少の脇目をふりながらクネクネと紅茶売り場にたどり着いた
やはり神戸の明治屋の紅茶のラインナップは気になるところである

基本は『えいこく屋』の紅茶が主軸らしい
他にも磯淵ブランドとか
明治屋ブランドセイロンとか
気になるものの多い中…

こっ…これはっ

《東インド会社紅茶》である

はーい皆さーん
世界史で必ず出てきますね
東インド会社!
…あれですよ
あの欧州による植民地支配の象徴ともいえる
誰でも知ってる「あの会社」です

前にもその紅茶の存在は知っていたが
ここで逢ったか…
明治屋のあまりのスタンダードさに感慨すら覚える
そういうわけでこの機会に私はこの紅茶を夫にプレゼントとして
買っていただいたのであった
もちろんアッサム…久々の高級アッサム!
125g/1890円

なにしろインドにおいて《アッサム種》を発見した会社だからね!
中国にしか自生していないと思われていた茶の木が
なんとインドのアッサムに生えていた
インドの原生種なのである

それを発見したのが世界の資本主義の先駆け
イギリス東インド会社だったのだ
1600年イギリス女王の肝いりで設立
ちなみに東インドとは自分ち(欧州)より東のアジアを指す
インドの東部にはあらず

アンボイナ事件後は東南アジアから手を引きインドへ着手
フランス東インド会社と戦争し勝利
そしてついにベンガルを支配
商社が太守だぜ
政治的軍事的に無能だったために
反乱や戦争が多発した
1757年以降はインドはほとんどがイギリス東インド会社が統治することとなったが
支配には向いていない政治的な無能と社員の私貿易の横行から
イギリスが会社に替わり政権を安定化し
1772年インドオタクのヘースティングズが初代ベンガル総督に就任
ここにイギリスのインドにおける支配体制が確立しはじめる

1823年東インド会社の軍人ブルース兄弟(ブルース・ブラザース(笑))が
アッサムにおいて中国種とは葉も樹高も異なる茶の原種を発見した
※チャールズブルースによるアッサム茶のレポートを発見したので参考にされたし
(http://liyn-an.com/tea_room/bruce/bruce_assam_tea-J.html)
茶樹を手に入れた東インド会社は生産を独占していた中国からある意味解放され
インドの人々は茶の生産に奴隷の如き過酷な労働を強いられたのだ
さすが海賊の末裔国家である
経緯は下記の『イギリス東インド会社の茶生産』が詳しい
http://www.o-cha.net/japan/teacha/detail_j.asp?id=65

そして有名な『セポイの反乱』…今はインド大反乱という名称になっているらしいが
それををきっかけに「商社が植民地支配は無理だろ」という判断をしたイギリス議会は、
1858年8月2日、インド統治改善法を可決し、
東インド会社が保有する全ての権限をイギリス国王に委譲させた。
250年以上にわたり、活動を展開したイギリス東インド会社の歴史はこの時点で終わりを告げた。(wiki抜粋)

ひどい話だと言いながらアッサムを飲む
アジア民族の紅茶マニアはこの桎梏により
ヨーロッパ人より多少苦い紅茶に耐えなければならない!


…あれ?
東インド会社…もう終わってるんじゃねーか
じゃあこの東インド会社は一体どこから出てきたんだ?

http://www.eastindiacompany.jp/history/
これが今の会社のホームページの会社の歴史のアドレスなんだがね
まるで1600年から地続きのように書いてあるが
実はwikiにはこう記述がある

『なお、現在でも東インド会社の名を冠した紅茶が販売されているが、
これは1978年に紅茶販売のため、紋章院の許可を得て設立された会社である。』

これは磯淵猛氏の『紅茶事典』新星出版社、2005、p.185より引用されている

というわけでブランドを買い取ったわけだ
ちなみに明治屋のオンラインショップのご説明には
『東インド会社は、エリザベス1世の勅命により設立され、イギリスに初めて紅茶を持ち込んだ由緒正しきブランド。1978年に現在の東インド会社が許可を得て、当時の紋章、トレードマークを受け継ぎました。17世紀当時の伝統的なブレンドを今に再現しています。』
と控えめにその経緯が記されている
ブランドイメージは大切ですからね!
ね~リプトンさん!(いつもの軽いイヤミ)
(もちろんリプトンはこの会社にはかんけーないっす)

さて、記事のためにあれこれと調べているうちに
私はある重大な発見をしてしまったのだ

これを見てほしい

http://cnn.com/video/?/video/business/2010/08/13/boulden.east.india.company.cnn

これはCNNのニュースである。
内容は
『2010年8月、東インド会社が生まれ変わる。インド人の実業家サジーヴ・メヘター氏、東インド会社を買収』

なんとインド人は東インド会社を買収してしまったのである!
ヒャッハー!
パッケージがリニューアルしたのもそのせいかもしれない
前よりセンスがいいかもね(笑)
元ネタは『indo. to』という日本とインドのコミュニティサイト
これが重箱の隅をつつくような私の検索に引っかかった

『…会社は1874年に解散したが、その後も『East India Company』というブランド名は存続していたことはよく知らなかった。1970年代中盤に創立し、この商標で紅茶やコーヒーを扱う会社が操業していたそうだが、これをイギリス在住のインド人企業家サジーヴ・メヘター氏がこれを買収することにより権利を取得し、ロンドンにて紅茶、コーヒー、チョコレートその他の嗜好品その他を販売する店East India Company (7-8 Conduit Street, London, W1S 2XF )を開業したのは昨年8月。
そして今年はインド、シンガポール、香港といった、往年の東インド会社の活動拠点であった国・地域に進出するのだという。商標と紋章を利用しているだけのことで、歴史上の東インド会社と縁もゆかりもないのだが、かつてインドならびにその周辺地域等の広大な地域に君臨した、伝統ある『East India Company』ブランドの会社が、インド人企業家の指揮下にあるという事実はなかなか興味深いものがある。』以上コピペ

インド人のウィットの効いた報復に多少溜飲が下がったnirvana cafeであった
(※ちなみにサジーヴ・メヘター氏は2021年現在サンジブ・メフタ(イギリスの実業家)の読み方でwikiが作成されている! 出世したなぁ…)

紅茶のレビュー…

長すぎるので次回に!
(いつの間にか3600文字も書いてる)