ここ数日、某日記で201系を追いかけているという記述がありまして。
で、世の中で何が起こっているのかとフラフラとWebを漂ってみると、どうやら中央線の201系置き換えのあおりで、八高線に入線してくる201系が新型に置き換わるらしい。
国電にはさほど興味を持っていなかった二枚橋。
今までだったら、
「早起き、ゴクローサン」
と、スルーしていたことでしょう。
しかし、なんの因果か「ロールズプロジェクト」なんてものを知ってしまったワタクシ。
ネタになるかと思ってしまったのであります。
結局、4時30分に起床して金子駅近くの踏切へ。。
高麗川へ向かう2本と、東京へ向かう2本を撮影してきました。
やっぱり方向幕は視認性が良いなぁ。。
んで、ホームに突っ立っていたら山の方から立川止まりの電車が来るって言うんで、なんだろなーと思っていたら115系だったと
完全に偶然の産物であります
スカ色、復活しないかなぁ
湘南色に塗ってもらってもイイんだが
ブルーの201系、ぜひ京葉線へおいでください・・・。
まあ、冗談は置いといて。
「ま、そのうちに」は本当に危険ですよね~。
八高線に入る201系に気を取られている間に、常磐線の415系鋼製車が姿を消してしまいました。
味気ない車輌がはびこる、イヤな時代になりました・・・<負け犬の遠吠えです。。
京葉の201って初めて見たとき何か違和感があったんです。「関西の電車が東京を走ってる~」みたいな。逆に環状線を走っている201はもっと違和感ありますけど・・・。関西線に至ってはもう論外。KATOのNゲージにあったかな~、なんて。
415系の鋼製車ってもういないんですか?(知らなかった。)「走ルんです」シリーズはまあ味気ないと言えば味気ないのですが、その昔旧国が大都市を走っていた時代には101系なんかは味気ない存在だったのでしょうか?それとも新時代を告げるスターだったのでしょうか?何か新車に味気なさを感じるのはトシのせいでもありますが、日本全体の元気がないからかも知れません。
お茶畑の中を走る209系に、いまも違和感をおぼえています・・・<八高線
そういえばKATOが出してましたね、スカイブルーの201系。今もあるんでしょうか?
トレーラー一両850円でしたね、たしか。
旧国から101系への置き換えは歓迎されたのではないでしょうか。
車輌間の貫通扉が使える、窓が大きく開くなど、わかりやすい改良点がありましたから。
今の世代交代は、窓が開かない、車体が軽くなって変に揺動する、線区色の帯を巻いていてもパッと見で線区がわからないなど、否定的要素が強く出ているように思います。
通勤に中央線を使っている人に話を聞くと、
「新車はきれいでいいねぇ。音も静かだし」
だそうで。
どこがどうと、具体的に指摘できるほど勉強しているわけではないのですが、JR東日本の新しい車輌には胡散臭さを感じてしまいます。
単に、子供の頃に見ていたのが、103系や457系、403系、旧型客車だったから・・・かも知れませんが。
まあ、古い人間は新しい物をなかなか受け入れるコトができないものです。
って、そんな私は30代・・・。
話は変わりますが、最近クルマに興味を持つ若者が減ったとか。私も最近のクルマにはあまり興味がありません。かつての「財産」から「家電製品の一部」になったこともあるのでしょうが、なにか「夢」を感じさせる商品提示ができていないのではないでしょうか。鉄道車両にも同じことが、とはちと言い過ぎでしょうか。
今日、仕事しながらぼーっと考えていたのですが、101系のデザインは「機能美」を持っているのかな、と。
人が線を引いた図面から出来上がってくるものって、適度に無駄な部分があるんだと思うのです。
その無駄な部分が「味」となって、愛着がわくのではないでしょうか。
たとえば、いすゞの117クーペなんて、いま見ても古さを感じさせません。
ってコトは、悪いのはCADか?
でも新型セレガはかっこいい。
一家に一台セレガ/ガーラを!
閑話休題
最近のクルマは、欲しくて手に入れるものでは無くなりましたね(趣味性の強いクルマ除く)。
特に軽自動車を求める方々は、そのクルマのデザインよりも、値引き額だけが気になるようです。
先月、メーカーの社員さんに会う機会がありまして、少しだけ話をしてきたのですが、
「フルオープンで2シーター」とか「2人乗りピックアップ」とか、そういうマニアックなクルマを今、出せば売れるんじゃないですか?
と、聞いてみたんです。
すると、「これから先、そういうクルマを出すことは無い。普通のクルマを出していく。次は秋頃に新型が・・・」とのお答えが返ってきました。
クルマの世界では作り手がすでに、夢を見なくなっているようです。
・・・鉄道車輌を作る人たちも夢を見なくなっているのでしょうか。
最近Nゲージで101系を出していましたが、確かに図面通りなんだろうけど、知人数人の評として「似ていない」。。。(この時代のことですし、実物は図面通りに出来ていませんが。)
設計者の年令を考えると、101系を見たことがないんではないか?という疑念が湧きます。
奈良行きの非冷房113系の窓を上段まで全開にし、風を受けて田園風景の中を進むと、途中駅で交換するグリーンの101系。ボロかったな~・・・とか。(関西人の発言ではありますが。)
こういう記憶を持っていないヒトが設計したのではないか?という話。
E231とか、CADで設計したものを同じくCADで模型にしているので似ていて当然と言えます。実車も目の前にいますし。無機的な冷たいところまでソックリかも知れません。
手放してはおりません。数十両の457系とか、20両はある583系とか、かつての黒磯駅を再現できそうなほどのED75にEF57にEF58・・・。その他にも急行時代の編成が再現できるキハ58とか、もう何両あるのかわからないくらい(ほとんど既製品ですが)
まあ、今は自分の趣味よりも、子育て優先です。
自分が望んだことですので、苦にしておりませんが。
というわけで、最近の模型事情がまったくわからない状況でして。。
え~、KATOの101系は似ていませんか。
10年以上前。模型雑誌で読んだのだと思いますが、
「実車をそのまま1/150に縮小しても、良いモデルにはならない。縮小する過程で、ある程度のデフォルメをすることで、リアルな製品ができる」
というような内容の記事を見た覚えがあります。
ジャンルは違いますが、トミカは明らかに実車と違う形をしているモデルがあります。
しかし、実車が持っている「雰囲気」がよく表現されている、とファンに支持されています。
KATO製101系の件、「ただ1/150にしただけ」だったのでしょうね。
「リアルさ」を、「図面に忠実」と解釈しているのでしょう。
実車の持つ「雰囲気」をうまく表現することができると、より「リアル」なモデルになるのだと思います。
鉄道模型に限らず、自動車でも飛行機でも、溜息がでるようなモデルというのは、実物が持つ「雰囲気」というか「空気」というか。。
人の手が作り出す「曖昧さ」や「遊び」をうまく表現できているんだと思います。
手で引く図面には、「愛着」や「愛情」も描き込まれているのではないでしょうか。
以下余談
学生時代に「製図」の授業がありまして。
みんなで同じものを見て図面を作っているのに、どれもどこかしら違う。
おなじ図面に見えるけれど、重ねてみると少しずつずれている。
そんな経験をしたことを思い出しました。。