それは私がベランダに吊した植木鉢達の相手をしていたときのこと。
私の住まう建物は市営の駐輪場に面している。
毎朝、いろんな人が自転車を止めて駅まで、もしくは駅からやってきて市内にある学校や勤め先に向かっていく。
この駐輪場には高齢者人材センターから派遣された監視員が常駐している。
この監視員がいるのは主に自転車へのイタズラや盗難を防ぐため。
以前は監視員はいなかったのだが、駐輪された原付バイクに放火があったり(未だ犯人わからず)、
近所のバカ中学生が駐輪中の自転車を盗難しようとイタズラしているところを通報で来た警官が引っ括って行ったことがあった。
治安悪化を望まないのは、周辺住民も利用者も同じこと。そのため、監視員の常駐となった…
さて…そんな慌ただしさが少し落ち着いた午前9時すぎ頃。
大学生くらいの若者・男性が自転車の居並ぶ隙間に自分の自転車を停めた。
…すると、狭いところだったため、並びの自転車が将棋倒しになった。
その若者がそのまま立ち去ろうとしたので、
監視員氏が「あなたが倒した自転車を直してください」と声を掛けたら
その若者「わざとやったわけじゃないんだから、そんなことを言わなくったって、いいじゃないですか」と、腰に手を当てて仁王立ち。
監視員氏「ワザとじゃなくったって、あなたが倒したんだから、直して行きなさいな」と言うと
若者「だったら、手伝ってくれたっていいじゃないですか~」と、倒した自転車に触れることなく、仁王立ちのまま言い返す。
そして、携帯電話を取り出し、チラ見をし「急いでいるんで、いいっすか~」と、駐輪場から出て行こうとした。
ベランダから一部始終を見ていた私は反射的に身を乗り出し、大声を張り上げていた。
「直して行けやぁ~!このバカッ!!」
若者は振り向くことなく、急ぐ素振りもなく、悠然と駅まで歩いて行った…。
監視員は駐輪された自転車の整理や草取り、ゴミ拾いなどをしてはいるが、それはあくまでその監視員氏の「好意」である。
その監視員氏それぞれが駐輪場を利用者が心地よく使える様に、気を配ってくれていることなのだ。
ワザとでなければ、周辺に迷惑になることをして、それを放置していていいのか?
「手伝ってくれ」とは仁王立ちして開き直る口から、出るのが自然な言葉なのか?
「手伝う」とは、その人が主体となってやっていることに、手を貸すことではないのか?
若者自身が急ぐであろうが、自ら倒した自転車を直していたら、監視員氏も手を貸したであろう。
毎朝の光景を見ていて、それは容易に想像つく。
急ぐ高校生も当たり前のように将棋倒しの自転車を直して行く。
スーツ姿の勤め人(男女を問わず)もそれは当たり前のこと。
その人の「誠意」が見えれば自然と貸す手は伸びるもの。
なにが「ワザとじゃない」だ。
なにが「手伝ってくれたっていいじゃないですか~」だ。
なにが「急いでいるんで、いいっすか~」だ。
貴様!どの口でそんなことを言う!
午後4時すぎ、雨が降り出した頃、その若者は自転車を取りに来て、傘をさして、自転車で走り去って行った。
小学生の就学時間よりも短い外出時間でタラタラと出かける彼に、
倒した自転車を直す暇がないほど忙しい御仁には見えない。
そう思うのは、私だけだろうか…
彼のような自己都合最優先の阿呆ばかりが増殖しているとしたら、この街・この国の行く先は仄暗いどころか、闇だろうか。
私の住まう建物は市営の駐輪場に面している。
毎朝、いろんな人が自転車を止めて駅まで、もしくは駅からやってきて市内にある学校や勤め先に向かっていく。
この駐輪場には高齢者人材センターから派遣された監視員が常駐している。
この監視員がいるのは主に自転車へのイタズラや盗難を防ぐため。
以前は監視員はいなかったのだが、駐輪された原付バイクに放火があったり(未だ犯人わからず)、
近所のバカ中学生が駐輪中の自転車を盗難しようとイタズラしているところを通報で来た警官が引っ括って行ったことがあった。
治安悪化を望まないのは、周辺住民も利用者も同じこと。そのため、監視員の常駐となった…
さて…そんな慌ただしさが少し落ち着いた午前9時すぎ頃。
大学生くらいの若者・男性が自転車の居並ぶ隙間に自分の自転車を停めた。
…すると、狭いところだったため、並びの自転車が将棋倒しになった。
その若者がそのまま立ち去ろうとしたので、
監視員氏が「あなたが倒した自転車を直してください」と声を掛けたら
その若者「わざとやったわけじゃないんだから、そんなことを言わなくったって、いいじゃないですか」と、腰に手を当てて仁王立ち。
監視員氏「ワザとじゃなくったって、あなたが倒したんだから、直して行きなさいな」と言うと
若者「だったら、手伝ってくれたっていいじゃないですか~」と、倒した自転車に触れることなく、仁王立ちのまま言い返す。
そして、携帯電話を取り出し、チラ見をし「急いでいるんで、いいっすか~」と、駐輪場から出て行こうとした。
ベランダから一部始終を見ていた私は反射的に身を乗り出し、大声を張り上げていた。
「直して行けやぁ~!このバカッ!!」
若者は振り向くことなく、急ぐ素振りもなく、悠然と駅まで歩いて行った…。
監視員は駐輪された自転車の整理や草取り、ゴミ拾いなどをしてはいるが、それはあくまでその監視員氏の「好意」である。
その監視員氏それぞれが駐輪場を利用者が心地よく使える様に、気を配ってくれていることなのだ。
ワザとでなければ、周辺に迷惑になることをして、それを放置していていいのか?
「手伝ってくれ」とは仁王立ちして開き直る口から、出るのが自然な言葉なのか?
「手伝う」とは、その人が主体となってやっていることに、手を貸すことではないのか?
若者自身が急ぐであろうが、自ら倒した自転車を直していたら、監視員氏も手を貸したであろう。
毎朝の光景を見ていて、それは容易に想像つく。
急ぐ高校生も当たり前のように将棋倒しの自転車を直して行く。
スーツ姿の勤め人(男女を問わず)もそれは当たり前のこと。
その人の「誠意」が見えれば自然と貸す手は伸びるもの。
なにが「ワザとじゃない」だ。
なにが「手伝ってくれたっていいじゃないですか~」だ。
なにが「急いでいるんで、いいっすか~」だ。
貴様!どの口でそんなことを言う!
午後4時すぎ、雨が降り出した頃、その若者は自転車を取りに来て、傘をさして、自転車で走り去って行った。
小学生の就学時間よりも短い外出時間でタラタラと出かける彼に、
倒した自転車を直す暇がないほど忙しい御仁には見えない。
そう思うのは、私だけだろうか…
彼のような自己都合最優先の阿呆ばかりが増殖しているとしたら、この街・この国の行く先は仄暗いどころか、闇だろうか。