日高見製作所 業務日報

「鉄分」欠乏中。。

大社駅

2008年06月21日 00時10分06秒 | 西の国にて
 平成2年に廃止となった大社線大社駅。撮影時期は確か平成4年の夏だった。



 ホームには急行「だいせん」号の乗車位置表示が消え残っていた。



 ホームから構内通路へ降りる階段部分にはフタがされている。列車はもう来ないので、線路に降りてみようとフタを開けてみたら、因幡の白ウサギが隠れていた。



 出雲大社への参拝客で賑わったであろう、広々とした構内。長い有効長を持った線路が往時を偲ばせる。



 構内より出雲市駅方面をのぞむ。かつては大阪発着の定期列車も通っていた線路。



 訪問当時、出雲大社の境内に保存されていたD51774。今は大社駅構内に移設されている。

 当ブログのエントリにコメントを頂いているkyo-toさんのブログ「デンシャと、京都と」では、現在の大社駅の様子が紹介されています。
 掲載されている写真を見比べてみると、16年前と現在とで少し変化があります。ぜひ「デンシャと、京都と『旧JR大社駅〔島根県〕』」も合わせてご覧下さい。

一畑電鉄

2008年06月03日 15時24分29秒 | 西の国にて
 ネタを小出しにしている「西の国にて」シリーズ。
 今回は島根県の一畑電気鉄道(一畑電車株式会社)の写真をご紹介します。

 一枚目は電鉄出雲市駅前の様子です。さて、駅の入り口はドコでしょう(^^;)
 左に写っているのは空港連絡バスです。バスがいなければ駅前と判らない風景です。いや、バスがいても駅前には見えないかな・・・。
 メッキのバンパーを輝かせているのは日野RV730P。日野の観光型では最後のモノコック車です。



 こちらは出雲大社前駅です。コンクリート造りだと思うのですが、屋根は瓦葺きになっています。
 瓦で葺く意味がドコにあるのか、気に掛かります・・・。コンクリ打ちっ放しにした時の見た目を気にしたのでしょうかねぇ?



 松江温泉駅(当時)で撮影した発車案内です。表示器の左下から生えているハンドルをグルグルと回して、表示を切り替えます。
 同じ形のモノが、今も出雲大社前駅に現役で居るようです。



 リベットの並ぶ外板、椀型ベンチレータ、屋根上に載った前照灯。1927年に日本車輌で製造されたデハ6が、出雲大社駅で発車時刻を待っています。
 このデハ6は、デハ3と共に出雲市内の「さとがた保育園(電車の走行音が出ます)」に保存されています。



 電鉄出雲市駅に停車中のクハ102。1940年に木南車両で製造された車両で、発注事業者は武蔵野鉄道でした。
 武蔵野鉄道は昭和20年に旧西武鉄道と合併して西武農業鉄道となり、翌年に車名を西武鉄道と変更しました。
 この電車が一畑へやってきたのは、昭和33年のことです。



 松江温泉駅ではクハ171とデハ22を撮影していました。
 クハ171は昭和39年に西武鉄道から移籍してきた車両で、1964年に西武所沢工場で製造されました。
 デハ22は1928年に日本車輌で製造された車両で、これは一畑電鉄の自社発注車でした。

 この他にも西武鉄道から移籍していった車両が多数活躍していましたが、撮影の機会に恵まれませんでした。
 現在では元京王帝都電鉄車と元南海電鉄車が活躍しています。

南海電鉄 サザン

2008年03月29日 00時26分42秒 | 西の国にて
久し振りに、西日本旅行の折りに撮影した写真を紹介します。
ちなみに、カテゴリー「西の国にて」を新設しました。

さて、写真は南海電鉄の特急用車両です。
列車名は「サザン」。撮影場所は和歌山市駅ではないかと思います。

この時の目的地は、サークルの合宿先である高松。
そこへ向かうために和歌山で一泊して、フェリーで四国へ渡りました。

・・・どうしてこのルートにしたんだったかなぁ。

「サザンに乗ってみたい」
「和歌山から小松島へフェリーが出ている」
「ちょうど良いではないか」

そんな感じだった・・・ような気がします。

まいどおなじみの「いぶき工房:茶の間にて」に、「南海サザン」という記事が掲載されています。

西のキハ58/28

2007年10月07日 00時20分22秒 | 西の国にて

キハ58急行型気動車

運転台の窓に曲面ガラスを使用した後期型。
この国鉄色をまとった車両は、急行「砂丘」にも使用されていたため、タブレットキャッチャーを装備している。
・・・タブレットがまだ現役だった頃に撮ったんだなぁ。。


「広島色」のキハ58。
濃淡の緑色を組み合わせた塗色。
どういう経緯で、こんな色になったんだか。。
撮るか、撮らないかをちょっと悩んで、記録のためと自分に言い聞かせて撮影した。


「広島色」のキハ28。
赤と白を組み合わせた塗色。
どういう経緯で、こんな色になったんだか。。
撮るか、撮らないかをちょっと悩んで、記録のためと自分に言い聞かせて撮影した。

キハ52 128

2007年10月05日 00時15分34秒 | 西の国にて
山陰本線宍道駅にて

最後まで国鉄一般色のままで活躍した、キハ52。

この旅行の頃は、現役の一般色はこのキハ52 128だけだった。
是非とも乗車したかったのだが、残念ながら行き先が反対方向だった。。。
たった一両だけ(当時)の一般色キハ52。
この先、乗る機会は無いだろうな、と思いながら木次線のキハ120に乗り込んだのだった。

それが今では・・・盛岡にいるわ、糸魚川にいるわ、茨城にいるわで
あ、茨城のはキハ52ではないですけどね。



10月5日 追記
「茶の間にて」でも、一般色のキハ52 128の画像が公開されました。
先方は「全但バス」のBU04も合わせて紹介されています。
撮影は1995年とのこと。
では、日高見製作所はいつ撮影を・・・?
記録をおろそかにする悪い癖が発揮されております。。

え~と、1993年の8月下旬です。たしか。。。
いや、1992年か?

あれ?





10月6日 画像追加

せっかくなので、反対側も・・・。
ヘッドライトの形が違います。
あと、「茶の間にて」の写真と比べて気がついたこと。
オデコの「架線注意」プレートの有無。
こちらの写真では、ブタ鼻側に1枚だけ取り付けられているが、先方の写真を見ると1灯側に2枚貼られているのがわかる。

以前の京阪バスの時もそうだったが、同じ車両で撮影時期が違う写真が並ぶと、時期による違いがわかって楽しい。
ただし、模型化しようとする人にとっては、「いつの時代を再現するか」という時の悩みの種にしかならない・・・。

京都シリーズ最終回 ~京津三条駅~

2007年08月08日 22時57分17秒 | 西の国にて
三条駅に到着した80形電車

趣味の世界というものは、後悔の連続ですね。
まあ、いつでも行きたいところへ行ける身分ではないので、どうしても取捨選択をしなければなりません。

とは言うものの、やはりあきらめ切れないものもあるわけで。
この時だって、何駅か先まで乗っていって、戻って来ることは出来なかったのだろうか、と思うのです。

まあ、乗っていないということは、それだけの時間は無かったということだったのでしょう。。

さて、京都での撮影の後は京阪3000系で大阪へ向かいました。
ええと、天満橋でしたか。そこまで行って、南海電車に乗り継ぎ・・・できないな。。。
大阪でも地下鉄に乗ったか?

いや、それ以前に・・・
京都駅から三条まで、どうやって移動したんだっけ・・・?
いかん、完全に忘れている。。

結局、三条から動いていない ~京都市営バス~

2007年08月07日 23時53分44秒 | 西の国にて
京都市営バス K-RE121
京22か26-29

とにかく、京阪電車に乗るまでの時間に、駅前を通る電車とバスを片っ端から撮っていました。

何分間いたのかな。。10分か20分か。
それでも、和歌山へ行くついでに京都に立ち寄るというのは、時間をゼイタクに使った旅行ですね。

さて、日高見製作所の資料室唯一の京都市営バス。
フロントバンパーに付いている「白クマ」マーク(地元ではなんと呼称されているのでしょうか)がかわいいですね。
この頃の冷房化率はどのぐらいだったのでしょう。

あの京都の夏に、非冷房の車はキツイと思うのですが。。

久し振りに京都 ~京阪電鉄80形~

2007年08月04日 00時00分40秒 | 西の国にて
『今度は京都 ~京阪電鉄 600形~』以来、約1ヶ月振りの京都ネタです。

京都の三条駅付近での撮影・・・のハズです。
この日は、埼玉から和歌山までの移動でしたので、京津線に乗る余裕が全く無かったのが、悔やまれます。

この後、テレビカーに乗って大阪へ移動。
そこから南海電鉄のサザンで和歌山へ行きました。

いずれ、南海電車の画像も出てくる・・・かな。。

京阪バス 京22か33-05

2007年07月03日 00時16分33秒 | 西の国にて

資料整理室のエントリー京阪バス A-1713号車のために、京阪バス関連のサイトを回っている時に、京阪バスの写真を探しているサイトがあった。
京阪バス情報局」というサイトで、京阪バスのB-1588号車などの写真を探している、とのこと。
ふとみれば、手持ちの写真に写っているのはまさしくB-1588号車。

この車がお探しの車であるかどうか、メールを送ってみようかと。。

7月4日追記
先方より、丁寧なお返事を頂戴しました。
やはり、お探しの車の一台だそうです。
偶然撮った写真が、お役に立つというのは嬉しいものです。

京阪バス情報局の管理人様へ>
そんなわけで、加工用にトリミングをしていない画像を貼っておきます(多少、圧縮されています)。
画像をクリックすると、大きな画像が表示されます。



ついでと言ってはなんですが、よろしければA-1713号車の画像もお持ち下さい。
こちらも、B-1588号車と同じ条件で使用して頂ければと思います。



京阪バス情報局様のますますのご発展を祈念しております

7月6日 さらに追記
コメント欄でおなじみの、いぶき工房さんのブログ「茶の間にて」において、B-1588号車の写真が公開されました。
B-1588号車を別のアングルから、見ることができます。
「縁は異なもの」ですねぇ。
こうして関東と関西に住んでいる者同志が、同じバスの写真をWebに載せている。
おもしろいです

言い訳

2007年07月02日 23時55分51秒 | 西の国にて
まず、昨日のエントリー「情報提供求ム! 京都市内にて」にコメントを寄せて頂いたフォンさんと、いぶきダンナさんに重ねて御礼を申し上げます。

さて、なぜ二枚橋があの写真の撮影地を岡山ではなく京都と誤認したのか、について説明いたします。

「アルバムの中で写真が、京阪バスと京都市営バスの間に入っていたから」
であります。間抜けです
これだけの理由で、京都のバスを扱ったサイトをぐるぐると回っていました。
見つかる訳がありません

岡山の事業者なんですものねぇ・・・。

とにもかくにも、これで「事業者不明」などと書かずにすみます。
お二方、ありがとうございます!

情報提供求ム! 京都市内にて

2007年07月01日 23時54分17秒 | 西の国にて
10年程前に京都市内で撮影したバス。
これを資料整理室にアップしようと思ったのですが、事業者がわかりません。

いぶき工房さんのサイトから、京都や近畿地方のバスを扱っているサイトへ回ってみましたが、この塗装のバスは見つかりませんでした。

どなたか、このバスの事業者をご存じでしたら、なにとぞご教示くださいませ。

バス画像は、この他に新潟交通や越後交通などが順次アップされる予定です<人ごとのような書き方・・・
時々資料整理室を覗いてみてくださいね~

7月2日23時 追記
掲載の写真に写っているバスは、フォンさんといぶき工房さんからの情報により、岡山市内で撮影された「中鉄バス」であることが判明しました。
情報をお寄せ下さったお二方に、御礼申し上げます。

いくら京都のバスを扱ったサイトを探しても、見つからないわけです。。

今度は京都 ~京阪電鉄 600形~

2007年06月28日 00時44分06秒 | 西の国にて
近頃、京都在住のkyo-toさんが立ち寄ってくださっているので、京都の風景をアップしてみました。

こちらは、高松琴平電鉄へ行く途中で寄り道をして撮影したもの。
ここも車両の世代交代が行われているようです。

併用軌道はおもしろいですねぇ。
いずれ、福井鉄道の写真も探したいと思っています。

仏生山にて ~高松琴平電鉄~

2007年06月27日 00時00分05秒 | 西の国にて
えーと、、、
「一段落」させるつもりでした、琴電シリーズ。。
すでに「下書き」に「京阪電鉄」の某車両のエントリも用意してあるんです。

しかし!
あえてもう一度、琴電を持ってきました。

その理由は、「高松琴平電鉄 1070形」「仏生山工場」のエントリに、コメントを頂いたからであります。
これらのエントリで私は、貫通扉についての疑問を書き込みました。
その疑問に対して、たいへん丁寧な解説を頂き、舞い上がっております。
はっきり言って、浮かれています。

そんなわけで、本日は1070形も写っている仏生山駅の様子をアップしてみました。
コメントを書き込んで頂いたフォンさん、ありがとうございます


明日は「京阪」です。。。たぶん






あー、最近「飛行機」がないなー

仏生山工場 ~高松琴平電鉄~

2007年06月26日 00時18分05秒 | 西の国にて
琴電シリーズはこの仏生山工場で、一段落します。

木造の検修庫では、何台もの扇風機が回っていました。
職員さんは安全輸送のために、汗だくになりながら車両の点検や修繕をしていました。
普段、目にすることのない工場内の様子。
「安全」を守る人の姿を見ることができたのは、とても貴重な体験であったと思います。

ところで、先日のエントリの続きをひとつ。
「なぜ、貫通扉が設置されているのか」についてです。
この件については既にコメント欄にて、いぶき工房さんが答えを書き込んでくださっておりますので、そちらを参sy・・・

・・・え~と、琴電シリーズを始めるにあたって、あちこちのサイトを回って勉強しました(ただし昔の琴電について、のみ)。
その中のサイトに、
「行先表示板の交換を容易にするために設置されている」
という記述がありました。

なるほど、貫通扉を開ければ運転台で表示板の交換ができます。
扉が無い場合は握り棒につかまり、連結器に足を掛けて交換することになります。
この方式は、雨の日などには足下が滑りやすくなり、危険を伴う作業を強いることになります。
そんなことから、貫通扉を設けるようになったのでしょう。

それでも貫通扉を持たない車両もあるんですよねぇ。
そのへんの事情が知りたいですね。

さて、業務日報での琴電シリーズはこれにて一区切りといたします。
しかし、手持ちの写真をすべて公開し終えたわけではありません。
この後は、日高見製作所 資料整理室にて、残りの形式写真を順次公開して参ります。
お時間がある時にお立ち寄りください(こちらよりも更新ペースが遅いです)。


>6月26日23時20分加筆
本日(6月26日)コメント欄にて、フォンさんより琴電の車両に設置されている貫通扉について書き込みをいただきました。
貫通扉を持っている車両と持っていない車両が産まれた理由など、丁寧に解説していただいております。
コメント欄をぜひ、ご覧下さい。

仄暗い資料室の奥から・・・ ~高松琴平電鉄 30形~

2007年06月21日 00時04分48秒 | 西の国にて
まだまだ続く、琴電シリーズ。

今回の車両は30形36号。
これまた元京浜急行だったりします。
30形は、京浜急行の230形から改造された車両。

同じ元230形で、30形として入線した車両でも、正面に貫通扉を設置したグループがある。

地上しか走らない琴電でなぜ、貫通扉が必要なのか?
併結時に幌を付ける?いや、幌枠は付いていない。
ではなぜ、貫通扉が付けられているのか。

・・・つづく