日高見製作所 業務日報

「鉄分」欠乏中。。

動き出しましたね ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2009年03月26日 19時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
河北新報「くりでん、旧若柳駅に保存 栗原市が鉄道公園想定」
 2年前に廃線となった宮城県栗原市の第三セクター・くりはら田園鉄道(くりでん)の資産保存と活用策を話し合う検討委員会が22日、車両を運転可能な状態で保存する場所として、旧若柳駅構内を候補とする報告書をくりでんの清算法人に提出した。市は鉄道公園への整備を想定している。

 報告書によると、保存する車両は11両。うち3両を運転可能な状態で保存する。旧若柳駅を選んだ理由を「車両基地で、歴史的意義がある場所。設備も備え、敷地の広さも十分」としている。

 駅近くの本社建物についても資料館としての活用を提案。構内の車庫や修繕庫も本社と同様に古く、耐震面が課題だが、「貴重な建物と工作機械。解体や処分は避けたい」とした。

 旧若柳駅構内は、都市計画道路の建設予定ルートになっている。ホームや線路の一部は撤去され、敷地が分断されるが、歴史的価値を重視し、構内の大部分を鉄道公園候補地とした。

 くりでんは栗原市鶯沢地区の細倉鉱山関連施設とともに国の近代化産業遺産となっていることから、委員会は旧細倉マインパーク前駅にも着目。産業遺産エリアの一部として観光に活用できるよう、車両の展示場所とする案を示した。

 委員長の平川新東北大東北アジア研究センター教授は「くりでんには貴重な鉄道資料が大量に残っている。地域おこしに役立つかどうかの視点でも検討した。地元住民に残してよかったと思われる形が理想」と述べた。

 報告書の提出に立ち会った佐藤勇市長は「市民の理解を得ながら、報告の内容を積極的に進め、次世代に残していく」と語り、観光振興にも期待を込めた。具体的な展示方法などは今後、委員会とは別の組織で検討される見込み。

 委員会は2008年2月に発足。残す車両や施設の選定のほか、運転可能な状態での車両の保存場所について、駅など5カ所を候補に検討した。委員だった岸由一郎鉄道博物館学芸員と、麦屋弥生観光アドバイザーが6月の会合翌日に岩手・宮城内陸地震で犠牲となり、報告書には冥福を祈る言葉が盛り込まれた。
2009年03月23日月曜日


 廃止から2年。ようやく車輛・施設の保存について、具体的な話が出てきました。
 ただ「動態保存」は良いのですが、構内が道路で分断される予定になっているのに、線路はどうするのでしょうねぇ。

 いずれ、帰省した時にまた若柳駅をはじめ、跡地を訪れようと思います。


 旧本社は資料館になる由。貨物関連の資料が気になるなぁ。

「くりはら田園鉄道総合研究所」のアンケートへ回答

2009年03月12日 19時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
Q1、くりはら田園鉄道・栗原電鉄の約50年の間で、好きな車両は?(一部形式に1代目、2代目があります)

A1、M171とC171の西武鉄道からの譲渡車



Q2、どういう所でこの路線に惹かれましたか?

A2、最初に栗原電鉄を訪れたのは、若柳駅構内に留置されていたM171とC171の廃車体を撮影するため。その際に石越~細倉マインパーク間を往復し、タブレットの受け渡しをしながら田園地帯を駆け抜ける栗原電鉄に惚れました



Q3、撮影されたり、乗車されましたか?(覚えていらっしゃるのなら回数も)

A3、訪問回数は5回くらい・・・のはず。そのうち乗車したのは2回で、いずれも栗原電鉄時代です



Q4、貨物輸送を行っておりましたが、知っておりましたか?

A4、知っています。くりでんは元々、細倉鉱山からの鉱石輸送のために建設された鉄道ですね
   廃車されたED351が石越駅の構内に長らく留置されていたのを、東北本線の列車内から見ていました


Q5、くりはら田園鉄道が廃止されたのは何年何月何日でしょうか?

A5、この日ですね
   2007年3月31日、もう2年が経つのですね



Q6、またイベントなる催事を行ってほしいですか?

A6、行ってほしいです
   できればお盆休み辺りでぜひ



Q7、イベントではどのような事を行って欲しいですか?

A7、う~ん、グッズ販売に車輛の公開、撮影会といったところでしょうか
   通票閉塞器の操作体験や、信号テコの操作体験も面白そうです
   洗車や塗装だって、人は集まると思います
   駅構内の草刈りだって良いのではないでしょうか



Q8、今現在、清算法人で解体事業や撤去をやっておりますが、何か一言ありますか?

A8、人が出入りしなくなった建物は急速に劣化が進むので、解体できる物件は速やかに解体するべきだと考えています



     
Q9、清算法人という団体ですので、お金を生む事しか出来ませんが、それでも何かやって欲しい事はありますか?

A9、粛々と清算法人としての業務を遂行していただきたい
   保存活動に関しては、地元にNPO法人がありませんでしたっけ?
   くりでんは、誰がどんな活動をしているのかが判りにくい、いや判らないのです



Q10、廃止後の対応はどうでしょうか?

A10、情報収集をあまり積極的に行っていなかったので、廃止後にどのような「対応」があったかすら把握していないので、回答不能です



Q11、動態保存や静態保存を行って欲しいですか?

A11、屋根付きの場所に仕舞っておきたいですよねぇ
    ディーゼル動車は動態で保存して欲しいですが、費用を賄えなければどうにもなりませんね
    保存費用を寄付できるほど収入があるわけでもないので、金も出さないのに口を出してよいものか・・・と



Q12、イベントやるにあたってですが、イベント告知やHPの更新頻度はいかがでしょうか?

A12、H20年11月のイベントは、河北新報(だったかな)のサイトを偶然見なければ知らずに終わった可能性があります
    どのような広報を行っていたのか、まずそれを知りたいです
    「廃止から今まで、何をしてきたか」と「これからどうするのか、どうしたいのか」を広く知らせる必要があると考えます
    ブログを一つ作れば充分な広報が出来ると思いますが・・・



Q13、11をお答えして頂いた方にお聞きします。どの車両を主に展示したら宜しいでしょうか?

A13、クレクレ君で申し訳ないですが、現存する車輛のリストが欲しいです
    若柳駅構内に留置されている車輛と、栗原市内の公園などに保存されている車輛がありますよね



Q14、「廃止したのだから踏切を早く道路にしろ!」という声が、沿線住民からの苦情や警察の指導がありますが、それでも線路を残したいですか?

A14、道路と交わる部分は速やかに、線路を撤去するべきです
    動態保存が可能ならば、道路を支障しない程度の距離で線路を残してもよいと思います

ブログ「くりはら田園鉄道総合研究所」が開設されました

2009年03月11日 19時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
 1月21日の記事「時を巻き戻すことはできない」にてリンクを貼らせて頂いた、くりはら田園鉄道石越駅解体跡の写真をアップされていたブログ「陸前車輛製造」の管理人、栗原陸前守鐵好さんが新たなブログ「くりはら田園鉄道総合研究所」を開設されました。

 「くりはら田園鉄道を後世に伝えるため、また全国の鉄道ファンに、最新の情報を提供するという事で始まりました」とのこと。
 車輛や駅施設の保存に関する取り組みや、イベントに関する情報を積極的に発信されるそうですので、くりでんファンは是非ブックマークをオススメします。

 ※アンケートも実施されています。

時を巻き戻すことはできない

2009年01月21日 00時00分29秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
※上の画像は2008年8月に日高見製作所が撮影した石越駅舎です。


 時折、ふと頭に浮かんだキーワードでブログ検索をすることがあります。
 今日のキーワードは「栗原電鉄」でした。「くりはら田園鉄道」や「くりでん」ではなく、「栗原電鉄」というあたりに加齢臭が漂います。

 そんな検索の結果、見つけたブログ記事がこちらです。

石越駅解体(陸前車輛製造)」

 くりはら田園鉄道(栗原電鉄)の起点駅で、かつては国鉄(JR東日本)と連絡輸送を行っていた石越駅の駅舎が解体された、という記事でした。
 駅舎とホームの屋根が取り払われて更地となった石越駅跡地の画像が掲載されています。

 駅舎解体の噂は耳にしておりましたが、あっけないものですねぇ。。

 跡地は駐車場になるのでしょうか。。。

あれから2ヶ月 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年06月01日 23時19分23秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
くりはら田園鉄道(旧栗原電鉄)が、その歴史に幕をおろしてから2ヶ月が経ちました。
現地では「くりでん応援クラブ」がNPO法人へ事業を継承して解散。残された鉄道施設を活用して、地域の活性化を図るようです。

さて、本日の画像は電車時代に撮影した一枚。
場所は若柳駅。
電車に乗り込むのは幼稚園児と高校生。

大人の姿が見えないのが、地方ローカル線の光景・・・。
たまに乗る大人といえば、通院のために電車を利用するお年寄り。

そういえば、岩手開発鉄道や南武縦貫鉄道に乗った時も、小学生が通学に使っていた。
顔なじみの駅員や乗務員と大きな声で「おはようございます」と挨拶を交わしていた。

それらの光景も、すべて鬼籍に入った。

在りし日のC151 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年04月05日 00時51分49秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
 3月20日のエントリー「通票閉塞」で、「画ブログ」というブログを見つけたと書いた。
 その後も時々覗いていたのだが、今度は若柳駅構内に留置されているC151のイラストがアップされていた。
 駅の片隅にたたずむC151の雰囲気がよく出ていると思う。
 どんなイラストか気になったらこちら→画ブログ「くりはら田園鉄道 若柳駅で」

 ※画像中央で洗車中の車輌が、現役時代のC151

さようなら「栗原電鉄・くりはら田園鉄道」 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年03月31日 22時28分46秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
本日平成19年3月31日をもって、くりはら田園鉄道は旅客営業を終える。
大正10年12月に軌間762mmの鉄道として開業し、今日まで走り続けた鉄路が役目を終える。

先年の夏、子供たちに「くりでん」の姿を見せることができたのは僥倖であった。
「人」が安全運行を直接支えてきた鉄道の姿を、どうか末永く記憶しておいて欲しいと、切に願う。

沢辺駅で交換するM151とM153 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年03月30日 00時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
M151とM153の交換風景。
記憶があいまいなのだが、おそらく沢辺駅で撮影したもの。
もとより交換駅の数が少ないので、消去法で考えると沢辺駅になる。
※違っている場合はコメント欄にて指摘されたし。

木製枕木、犬釘、吊り掛け式モータ、腕木式信号機、タブレット。。。
大量輸送には向かないシステムであるけれど、人の温もりを感じさせてくれるシステムであった。
業務に携わる人、それぞれの役割が目に見えるシステムは、見ていて頼もしい。

廃止まであと2日。

河北新報Web版に、くりはら田園鉄道全社員の再就職先が決まった、という記事が掲載された。
再就職先の斡旋を希望した14人の就職先が27日までに内定したという。
仙台空港鉄道、仙台臨海鉄道、IGRいわて銀河鉄道、地元の民間企業などだという。
また、4月1日から遮断機や警報機の撤去作業を開始し、県外の鉄道会社に売却するそうだ。


DB10型ディーゼル機関車 その1 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年03月27日 00時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
全長約5mの小さな機関車。
細倉鉱山や石越駅での貨車入換えなどに使われていた。
貨物輸送廃止後は、若柳駅構内の車輌入換えや、工事用列車の牽引に従事。
18年夏に訪れた時は、福島交通から来たM183型と共に車庫の片隅にいた。

KD953型気動車 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年03月26日 00時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
何度か見ているのに、乗車したことがないKD95型。
こいつが田んぼの中をトコトコと走っている風景は、とても良いものでありました。

ディーゼル化の後は、くりはら田園鉄道へ行く機会を作ることができなかった。
近所は何度も通っていたのだが、東北道で跨ぐとか、国道4号線で跨ぐとか・・・。
ちょいとハンドルを切れば、よかったのだろうが後の祭である。









・・・715系とか、50系とか、12系とか、ね?

通票閉塞 ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2007年03月20日 23時53分48秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
出発前の儀式、通票の受け渡し。
年季の入った革製のキャリアが運転士に渡されると、出発の準備が整ったことになる。

この様子は車輌こそ違うが、現在でも見ることができる。
ただし、今月の末日までであるが。

2007-3-20 00:48追記
このエントリをアップした後、栗原電鉄・くりはら田園鉄道関連のエントリを探してブログ検索をしていたところ、「画BLOG (ガブログ) -"Kyo-to画"blog-」というブログを見つけました。
Painter9.5でイラストを描いているそうです。
リンク先のエントリには、くりはら田園鉄道・沢辺駅の情景が描かれています。
「画BLOG (ガブログ) -"Kyo-to画"blog-」さよなら くりはら田園鉄道