日高見製作所 業務日報

「鉄分」欠乏中。。

なんというか…

2009年03月30日 23時18分33秒 | 鉄道写真
やる気のない車番表示。。

いま所沢駅で、3000系3011Fに遭遇したので写真を撮ってみた

ネット上でも話題になっていたが、「手抜き」にしか見えない…。

多摩湖線の101系は、黄色とベージュのツートン塗装なんて手間を掛けているのに、この落差はナンだろう。。

複々線化進行中 ~小田急線・登戸駅~

2009年03月27日 19時00分00秒 | 鉄道写真
 先日24日に所用であちこちウロついていた時に、ふと思い立って登戸駅で写真を撮ってきました。



 今月から複々線区間が延びた小田急線。複々線区間、西の端は登戸駅手前の鉄橋です。



 上り線は向ヶ丘遊園駅から急行線と緩行線が分かれますが、下り線は登戸駅と向ヶ丘遊園駅間の工事が進んでいないために、登戸駅手前で緩行線の線路が途切れています。



 その結果、登戸駅の下り線ホームには画像のような壁があります。
 この壁の向こうには数件の建造物があり、それらが移転してくれない限り工事は進められないというわけです。



 ホームの窓からのぞき込むと、立派なビルが建っているのが見えました。
 さて、複々線区間の延伸はいつになるのでしょうね。。

動き出しましたね ~栗原電鉄・くりはら田園鉄道~

2009年03月26日 19時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
河北新報「くりでん、旧若柳駅に保存 栗原市が鉄道公園想定」
 2年前に廃線となった宮城県栗原市の第三セクター・くりはら田園鉄道(くりでん)の資産保存と活用策を話し合う検討委員会が22日、車両を運転可能な状態で保存する場所として、旧若柳駅構内を候補とする報告書をくりでんの清算法人に提出した。市は鉄道公園への整備を想定している。

 報告書によると、保存する車両は11両。うち3両を運転可能な状態で保存する。旧若柳駅を選んだ理由を「車両基地で、歴史的意義がある場所。設備も備え、敷地の広さも十分」としている。

 駅近くの本社建物についても資料館としての活用を提案。構内の車庫や修繕庫も本社と同様に古く、耐震面が課題だが、「貴重な建物と工作機械。解体や処分は避けたい」とした。

 旧若柳駅構内は、都市計画道路の建設予定ルートになっている。ホームや線路の一部は撤去され、敷地が分断されるが、歴史的価値を重視し、構内の大部分を鉄道公園候補地とした。

 くりでんは栗原市鶯沢地区の細倉鉱山関連施設とともに国の近代化産業遺産となっていることから、委員会は旧細倉マインパーク前駅にも着目。産業遺産エリアの一部として観光に活用できるよう、車両の展示場所とする案を示した。

 委員長の平川新東北大東北アジア研究センター教授は「くりでんには貴重な鉄道資料が大量に残っている。地域おこしに役立つかどうかの視点でも検討した。地元住民に残してよかったと思われる形が理想」と述べた。

 報告書の提出に立ち会った佐藤勇市長は「市民の理解を得ながら、報告の内容を積極的に進め、次世代に残していく」と語り、観光振興にも期待を込めた。具体的な展示方法などは今後、委員会とは別の組織で検討される見込み。

 委員会は2008年2月に発足。残す車両や施設の選定のほか、運転可能な状態での車両の保存場所について、駅など5カ所を候補に検討した。委員だった岸由一郎鉄道博物館学芸員と、麦屋弥生観光アドバイザーが6月の会合翌日に岩手・宮城内陸地震で犠牲となり、報告書には冥福を祈る言葉が盛り込まれた。
2009年03月23日月曜日


 廃止から2年。ようやく車輛・施設の保存について、具体的な話が出てきました。
 ただ「動態保存」は良いのですが、構内が道路で分断される予定になっているのに、線路はどうするのでしょうねぇ。

 いずれ、帰省した時にまた若柳駅をはじめ、跡地を訪れようと思います。


 旧本社は資料館になる由。貨物関連の資料が気になるなぁ。

桜には早かった ~陸上自衛隊・広報センター~

2009年03月25日 18時26分22秒 | 日記
 本日は、陸上自衛隊広報センター「春の大型トラック体験試乗」に行ってきました。

 どんよりと曇った空の下、混み合う川越街道を南下して東京ドーム22個分の広さを持つ陸上自衛隊朝霞駐屯地へ。
 陸上自衛隊「広報センター」駐屯地の一角にあります。

 その広報センター横から、大型トラックに乗って朝霞駐屯地の中を一回りするのが体験試乗のコースです。
 施設科や衛生科の車両がならぶ駐車場の横を走り、オリンピックなどでおなじみの陸上自衛隊体育学校を眺め、女子宿舎や医務室、駐屯地内で唯一飲酒が認められている朝霞クラブをかすめて、スタート地点までおよそ10分ほどの所要時間がかかります。

 これまでにも何度か「大型トラック体験試乗」に参加してきましたが、今回は初めて雨に降られました。



 体験試乗に使用されるトラックは、景色がよく見えるように幌を外しているのですが、今日は雨が降ってきたために幌付きでの体験試乗となりました。
 幌付きのトラックに乗るのはもちろん初めてのこと。ビニールの小さな窓が4箇所にあるだけの暗い荷台で、ごとごとと揺られてきました。
 なかなか貴重な体験になりました。。。

試運転に出くわしました ~京王・井の頭線~

2009年03月24日 23時29分30秒 | 鉄道写真
 所用があってあちこちをうろついていた24日(火)。
 職場の最寄り駅から小田急線に乗って新宿を目指していたのですが、下北沢駅で気が変わって井の頭線に乗り換えて吉祥寺へ出ました。

 吉祥寺駅でしばらくカラフルな井の頭線の電車を眺めていました。

 そこへ入ってきた「試運転」表示の電車。車体がキレイだったので、出場後の試運転かと思って、携帯電話のカメラで撮影。

 ブログのネタが無くなった時用だな~、などと思いながら電車を見送ったのですが、どうも引っかかるものがあったのでした。

 そこで、京王の中の人にメールして聞いてみました。
 すると、画像の「1000系(5次車)1725Fは入ったばかりの新車」とのこと。

 これまでに投入された1000系からの変更点は以下の通り。

▽2010年度使用開始予定のATC車上装置設置
▽行先表示機の形状とサイズの変更、さらにフルカラーLED化
▽側面のビードがなくなって、平面化
▽車内のユニバーサルデザイン化(網棚の高さ変更など)
▽車内の案内表示機の液晶化

 他にもあるのかもしれませんが、そのへんは専門誌等でご確認を。

 「電子化って、どうなんだろう」という話も。この電車、終着駅で進行方向を変える(エンド交換)時に、途中駅での待避の有無や到着番線も設定しなければいけないそうで。
 それがちょっとばかり「面倒」とのこと。
 肉声案内なら、そんな設定はしなくても良いわけで・・・。

 井の頭線も世代交代が着実に進行中。。
 お腹に方向幕を付けた3000系も撮りに行きたいなぁ。

 これね↓

とりのこされているなぁ

2009年03月17日 23時18分17秒 | 日記
 いつの間にかダイヤ改定が行われて、東京口のブルートレインが消えたとか。

 まあ、いまごろガタガタ騒いだところで何の役にも立たないし、葬式鉄の中のどれだけの人間が普段からブルートレインを移動手段として使っていたのか、と。
 新幹線に飛行機、高速・夜行バスがこれだけ発達したのだから、夜行列車の役目も変わるのは当然だと思うのですよ。

 鉄オタすら乗らない列車に、どんな存在意義があるのか。

 というわけで、青春18切符と指定席券で利用できる快速「ムーンライト」の全国ネットワーク化を!
 運行時刻の設定によるけれど、うまくいけば「富士・はやぶさ」よりも乗車率は良くなるのでは?

 まあ、採算が取れるかどうかはわからないけれどもね。。

 って、こんな妄想をしている時点で「ブルトレ廃止反対」って言ってる人々と同類なわけだ。。。

 で、ダイヤが変わったのっていつ?

「くりはら田園鉄道総合研究所」のアンケートへ回答

2009年03月12日 19時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
Q1、くりはら田園鉄道・栗原電鉄の約50年の間で、好きな車両は?(一部形式に1代目、2代目があります)

A1、M171とC171の西武鉄道からの譲渡車



Q2、どういう所でこの路線に惹かれましたか?

A2、最初に栗原電鉄を訪れたのは、若柳駅構内に留置されていたM171とC171の廃車体を撮影するため。その際に石越~細倉マインパーク間を往復し、タブレットの受け渡しをしながら田園地帯を駆け抜ける栗原電鉄に惚れました



Q3、撮影されたり、乗車されましたか?(覚えていらっしゃるのなら回数も)

A3、訪問回数は5回くらい・・・のはず。そのうち乗車したのは2回で、いずれも栗原電鉄時代です



Q4、貨物輸送を行っておりましたが、知っておりましたか?

A4、知っています。くりでんは元々、細倉鉱山からの鉱石輸送のために建設された鉄道ですね
   廃車されたED351が石越駅の構内に長らく留置されていたのを、東北本線の列車内から見ていました


Q5、くりはら田園鉄道が廃止されたのは何年何月何日でしょうか?

A5、この日ですね
   2007年3月31日、もう2年が経つのですね



Q6、またイベントなる催事を行ってほしいですか?

A6、行ってほしいです
   できればお盆休み辺りでぜひ



Q7、イベントではどのような事を行って欲しいですか?

A7、う~ん、グッズ販売に車輛の公開、撮影会といったところでしょうか
   通票閉塞器の操作体験や、信号テコの操作体験も面白そうです
   洗車や塗装だって、人は集まると思います
   駅構内の草刈りだって良いのではないでしょうか



Q8、今現在、清算法人で解体事業や撤去をやっておりますが、何か一言ありますか?

A8、人が出入りしなくなった建物は急速に劣化が進むので、解体できる物件は速やかに解体するべきだと考えています



     
Q9、清算法人という団体ですので、お金を生む事しか出来ませんが、それでも何かやって欲しい事はありますか?

A9、粛々と清算法人としての業務を遂行していただきたい
   保存活動に関しては、地元にNPO法人がありませんでしたっけ?
   くりでんは、誰がどんな活動をしているのかが判りにくい、いや判らないのです



Q10、廃止後の対応はどうでしょうか?

A10、情報収集をあまり積極的に行っていなかったので、廃止後にどのような「対応」があったかすら把握していないので、回答不能です



Q11、動態保存や静態保存を行って欲しいですか?

A11、屋根付きの場所に仕舞っておきたいですよねぇ
    ディーゼル動車は動態で保存して欲しいですが、費用を賄えなければどうにもなりませんね
    保存費用を寄付できるほど収入があるわけでもないので、金も出さないのに口を出してよいものか・・・と



Q12、イベントやるにあたってですが、イベント告知やHPの更新頻度はいかがでしょうか?

A12、H20年11月のイベントは、河北新報(だったかな)のサイトを偶然見なければ知らずに終わった可能性があります
    どのような広報を行っていたのか、まずそれを知りたいです
    「廃止から今まで、何をしてきたか」と「これからどうするのか、どうしたいのか」を広く知らせる必要があると考えます
    ブログを一つ作れば充分な広報が出来ると思いますが・・・



Q13、11をお答えして頂いた方にお聞きします。どの車両を主に展示したら宜しいでしょうか?

A13、クレクレ君で申し訳ないですが、現存する車輛のリストが欲しいです
    若柳駅構内に留置されている車輛と、栗原市内の公園などに保存されている車輛がありますよね



Q14、「廃止したのだから踏切を早く道路にしろ!」という声が、沿線住民からの苦情や警察の指導がありますが、それでも線路を残したいですか?

A14、道路と交わる部分は速やかに、線路を撤去するべきです
    動態保存が可能ならば、道路を支障しない程度の距離で線路を残してもよいと思います

ブログ「くりはら田園鉄道総合研究所」が開設されました

2009年03月11日 19時00分00秒 | 栗原電鉄・くりはら田園鉄道
 1月21日の記事「時を巻き戻すことはできない」にてリンクを貼らせて頂いた、くりはら田園鉄道石越駅解体跡の写真をアップされていたブログ「陸前車輛製造」の管理人、栗原陸前守鐵好さんが新たなブログ「くりはら田園鉄道総合研究所」を開設されました。

 「くりはら田園鉄道を後世に伝えるため、また全国の鉄道ファンに、最新の情報を提供するという事で始まりました」とのこと。
 車輛や駅施設の保存に関する取り組みや、イベントに関する情報を積極的に発信されるそうですので、くりでんファンは是非ブックマークをオススメします。

 ※アンケートも実施されています。

期日前投票

2009年03月10日 22時30分11秒 | 日記
 今日は市役所へ行って、市議会議員選挙の期日前投票をしてきました。
 投票日は仕事のため、投票所に行くことが出来ないためです。

 昨年の市長選挙の時は期日前投票に行くのを忘れていて、結果として「棄権」することになってしまったので、今回は忘れないように留意していました。

 定数22に対して候補者が29名、だったかな。結果が出るのは15日の夜です。

覚え書き

2009年03月10日 02時51分31秒 | 日記
海上自衛隊のUS-2救難飛行艇、初の災害派遣任務

東京都南鳥島における急患輸送について(防衛省公式サイト、報道資料のページにリンクしています)
【3月7日】
1時19分  第71航空隊のUS-2×1機が離陸。
5時19分  南鳥島着陸。
6時18分  南鳥島離陸。
10時41分 羽田空港着陸。
10時55分 患者を救急車に引き渡し完了。
11時40分 終結。


西武鉄道101系 近江鉄道へ譲渡

2009年03月09日 23時59分37秒 | 鉄道写真
 本日、近江鉄道へ向けて101系電車3両が発送されました。

 3両のうち1両は部品取り車、2両が先方の工場で改造の上、運用につくそうです。
 101系も大分少なくなりましたねぇ。

 次は2000系初期車が置き換えになるのでしょうね。もうしばらく先のことになるでしょうけど。
 見慣れた車両が消えていくのは寂しいものです。。。

気持ちはわかる わかるんだけど…

2009年03月07日 00時17分29秒 | from携帯電話
街中を歩いていると、様々な事物が目に入ってくる。
 
その大部分は、記憶に残ることなく過ぎ去ってゆく。
 
されど時折、気になるモノを見つけることがある。
 
今回見つけたモノ。
 
「葬儀社のクルマに、目立たないように貼られた『商売繁盛』という文字が刷られたステッカー」

気持ちはわかる。
わかるんだけど…、やっぱり「自重しる」

SLホテル閉鎖へ ~小岩井農場・まきば園~

2009年03月03日 23時22分33秒 | 日記
 ここしばらく朝6時に家を出て、23~24時に帰宅するという生活が続いていたため、パソコンの電源を入れることもままなりませんでした。
 今日は定休日ということで、久し振りにパソコンを立ち上げてメールチェック・・・。

 友人からのメールを一週間もほったらかしにしてましたわ。。。

 まあ、明日からも同じ日々が続く予定なので、ブログの更新も滞りがちになると思います(と書くと、まめに更新できたりしちゃうんだな・・・)。

 さて、本日のお第。小岩井農場のSLホテルが昨年の11月から休業しているとか。

「SLホテル終着 小岩井農場 開業32年、閉鎖へ」河北新報
『 岩手県雫石町の小岩井農場まきば園にある「SLホテル」が、施設や冷暖房設備の老朽化で昨年11月から長期休業に入っている。営業開始から32年。このまま閉鎖となる公算が大きい。宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」をイメージできると評判だった施設は、静かに長旅を終える。

 ホテルを経営する小岩井農牧によると、「当面、臨時営業などの予定もない」という。施設の傷みはひどく、冷暖房設備の修繕費だけで数百万円かかると見込まれ、営業再開は厳しい情勢だ。

 全国でも珍しいSLホテルは1977年に開業した。「デゴイチ」の愛称で親しまれたD51形蒸気機関車に、3両の客車が連結している。

 客車には17の客室があり、定員は52人。室内は寝台列車を再現し、2段ベッドが鉄道による旅情を醸し出す。トイレは共同で、入浴と食事は隣接のクラブハウスを利用していた。

 大型連休や夏休みを中心に、多くの鉄道マニアから愛されてきた。賢治ファンも「銀河鉄道」の雰囲気を味わえる空間として支持。08年度は実質5―10月の半年で2000人を誘客し、週末は満室の日もたびたびあったという。

 学生時代にホテルを利用した経験を持つ小岩井農牧広報の高山勉さん(38)は「寝心地は良くないけど、旅に出る時のわくわくした気分が増す。年に3、4度訪れる常連さんもいた」と話す。

 小岩井農牧は、SL車両はそのまま展示する方針。旧国鉄OBらでつくる「盛岡SL等保存会」の宮野武・副会長(84)は「ファンをくぎ付けにしたSLだった。今後も雄姿が見られると聞いて一安心したが、ホテルでなくなるのは寂しい」と複雑な心境をのぞかせた。 2009年02月26日木曜日』


 こちらは小岩井農場のサイト→「SLホテル休業のお知らせ」小岩井農場

 このホテル、一度だけ利用したことがある。2002年5月のことだ。

 大型連休に休まず出勤した後、平日に休みをもらって一家3人で岩手へ。北上で二枚橋の祖父母に曾孫の顔を見せて、盛岡市内のとある児童養護施設を経由して小岩井農場へ行ったのだ。


 ナメクジ型のD51-68号機に「走るホテル」と呼ばれた20系寝台客車が連結されたSLホテル。
 機関車も客車もサビが浮いていて、いつまで保つのか心配になるほどだった。

 食事と入浴は隣の建物で。トイレと洗面台は共同だった。トイレも洗面台も改装されていたものの、トイレの扉は現役時代と変わらぬ引き戸。壁紙こそ貼られているものの、走行中でも握りやすいように配慮された大きなレバーと、ガチャンと締まるカギは元のままだった。


 行先表示窓には「小岩井~南十字星」の文字が。幅の狭い二段ベッドは、かつて乗った急行「おが」を思い出させてくれた(「おが」は三段ベッドだったが)。


 「夢は銀河の旅へ」と書かれている。木々を揺らす風の音以外に物音のしない高原で、SLと共に眠る。
 客室の広さもベッドの質も、普通のホテルとは比べものにならないけれど、他のホテルでは味わうことの出来ない独特の雰囲気があった。


 客車側から見たSLホテル。車体の腐食が進んでおり、行く末が心配されたのだが、とあるテレビ局の連続テレビ小説のおかげで数年後に補修が行われた。
 当ブログの2007年8月の記事「小岩井農場・まきば園 SLホテル」に、2007年の様子を紹介している。あわせてご覧いただきたい。

 それにしても「休業」は残念である。が、これまでに休廃業したSLホテルの機関車や客車の多くが解体されてきたことから考えると、小岩井のSLホテルは解体されないだけでも幸運なのだろう。
 これからも末永く、子供たちの夢を育む施設であり続けて欲しいとおもう。