オカ姉のためいき日記

人生色々、ためいき色々。今日はどんなためいきつくのやら・・・?

初「渇いた太陽」

2013-12-26 23:43:14 | 上川さん
帰宅して真っ先に録画していた「ゴチ」を早送り

残れましたね~   良かった~~~
一年間みて、このくらいの(番組撮り)ペースなら大丈夫かな~なんて思い
絶対残って来年も楽しませてほしい気持ちが強くなってましたから。

でも矢部さんが首だなんて・・・
矢部さんは絶妙な突っ込みやフォローで、何気に助けてくれていたので
ちょっと困るような不安のような・・・・隆也ファンとしてありがとうと言いたいわ。
とりあえず、隆也さんにはまた来年美味しく楽しく頑張っていただきます!


さて・・・やっと、やっと「渇いた太陽」にたどり着く??

変な言い方だけど、私にとってはそういう感じの初観劇だ。

今回は地方公演を経て東京に戻り29日に千秋楽を迎える。

渇いた太陽

「欲望という名の電車」などで有名な作家・・・劇作家というべきか?
テネシー・ウィリアムズの作品。
1962年に映画化されている(ポール・ニューマン  ジュラルディン・ペイジ)


隆友さんがこの映画のDVDを送ってくださってみることができた。

映画では後半からの流れによるラストがとても心に残って救われたような
気持ちになり、自分なりに「作者のメッセージはこれよね!」なんて勝手に
思い込んでしまった・・・んだけど・・・


あらすじ・・・・大女優アレクサンドラは、美貌の衰え、人気のかげりなど
から映画界に嫌気がさして失踪する。チャンスという青年と出会い、
彼を付き人に雇い旅にでる。このチャンスという青年はアレクサンドラを
利用して、自分もハリウッドで名声を得ようと目論んでいた。
チャンスが向かったのは生まれ故郷のセント・クラウドという街。
自分の野望が叶うことを信じ、かっての恋人と共に街を出ようと考えて
いたが、故郷は彼を温かくは迎えてくれなかった。
酒と麻薬に溺れ自暴自棄になっていたアレクサンドラに思いも
よらないことが起き、彼女自身の、またチャンスの人生も狂っていく・・・・

・・・・・とパンフには紹介されてました。

アレクサンドラを浅丘ルリ子さん。

青年、チャンスを我らが隆也さん。

青年ですから、青年!!(笑)

あらすじの中でのチャンスの人物像はどちらかといえば共感できない
印象。そう、ニッポンではそうとれる。

でも舞台はアメリカ。

チャンスは自分の野望をアレクサンドラに、ストレートにぶつける。
目論みとか画策とか利用とかしたたかさとかいう表現が語弊では?と
思うほど・・・これがアメリカ?大陸的な人物造形なんだろうか。
だからあらすじ紹介の中でのチャンスのくだりはあまり好きじゃないな~

一幕はほとんどアレクサンドラとチャンスの二人だけの押し引きで通す。
二幕はチャンスの野望を阻む壁(人)の中での哀れにも感じるチャンスの
葛藤と、多分漠然と“儚い”と感じつつも再び映画界へ戻ろうとする
アレクサンドラの姿。
そしてラストは徐々に大きく響き渡る時計の針の音の中で、二人の先の
人生を暗示させるように終わるんですな。

この舞台のテーマは「時」なのかな?
夢や野望に燃える若さを削っていく「時」
抗えない老いに向かう「時」

たしかに深作健太さんの演出では、その時の流れの中で人間は
どう生きていくのかというところに焦点を当てているのかも・・・・

でも私は映画で感じたもうひとつのことが、この舞台ですくい取ることが
できなかったのがちょっと残念なんだ。

「本当の幸せとは何?」
野望は叶わず傷ついたチャンスに、映画では賢明な恋人ヘブンリーが
それを気づかせるんだ

身の丈にあった幸せ・・・ 何もドデカイ夢や成功だけじゃない、ささやか
でも本当の意味での幸せってのもいいじゃないかと。

意外にもキーマンになるヘブンリーとルーシーという二人だけど、舞台
でのヘブンリーはあまりにも存在感がなくて残念な感がある。
だから勝手に少々消化不良。でも映画は映画。舞台は舞台!と一緒には
できないことは分かってる。だからもう一度みてその部分を感じ取りたい。

ま、席も後方で眼鏡も忘れ、ただ夢中で隆也さんばかり追いかけていた
不真面目?な観客だったので感じ取れなかったのかもしれないし・・・


隆也さんは、ついこの前の幸村様と同一人物なのですか??と!
どんだけ引き出し持ってるの?と、また新たな一面をみせてくれた。
そしてまた、とにかく・・・・台詞がハンパなく膨大
すごいな~・・・っていつも同じく感心してるけど。

青年の隆也さんは動きが軽やか、はだけたシャツから
のぞくお肌もハリハリ、チラリと見えちゃった「スワンの馬鹿」以来の
ビーチクに異常に反応してしまった自分(笑)
いつもよりガタイが大きく見えたのは(ゴチのせいじゃないよね)浅丘さんの
細さのせいかな?


浅丘ルリ子さん・・・・この役は彼女しかできないね。
こんなを持ってるのはね、多分浅丘さんしか思い浮かばないから。

大女優とうならせる演技ってなんだろうかと。
ジタバタ感がないんだ。確固たる自分の演じ方があって相手も受け入れる
余裕。でも決していやらしくない余裕かな~

一幕のもうヨレヨレのアレクサンドラから、失礼ながら老いのオーラを
感じてしまって、これは演じているのか否かと思ったけれど、二幕での
映画界に戻ると決めた姿は凛として、その違いにさすが!と思わされた。
でもホソイよ、細すぎ!正直ちょっと痛々しいと思ったのは私だけか? 

珍しくオトンが「どうだったんだ?」と訊いてきた。
といっても私の感想などに耳を傾けるキャパは無いので「重い」とだけ
言っておいた(笑)

でも「重い」とはチト違う・・・なんだろうか?と思い返すと「苦さ」ではないかと。
人生の苦さって、やっぱり重いか!?
だから最後に救いがほしかったな~としつこく思ってしまう。

今回すご~いサバよんで(笑)青年役に取り組んだ隆也さんは・・・

「若作りという意味ではなく、今の僕では落ちてしまっている心のカド
のようなものを、もう一度尖らせる作業をしているのが楽しい」

またまたまた何ともうならせる表現ではあ~りませんか

されど!!!
茶髪にお初のメイク、カテコでの笑顔の隆也さんはしっかり若作りじゃん(笑)

ジャニーズ系にしか見えなかったよ~~