オカ姉のためいき日記

人生色々、ためいき色々。今日はどんなためいきつくのやら・・・?

ホントに終わり!

2015-02-28 23:26:21 | 仕事
もうすぐ2月が終わります。

店の引渡しも滞りなく済みまして、完全clauseです。

この一週間は後片付けに追われました。
一応「居抜き」ではあるけれど、ゴミは残しちゃ~いけません。
それにしても・・・・多過ぎる!!いらん物が!!
生活の場でもないのになんでこんなに物が多いのかとブチ切れ
ながらの片付けでしたが懐かしい物も出てきます。
しばしその頃を思い出しては手が止まり・・・・・

アハ・・7周年の時にmichaに描いてもらったんだっけね~
    ↓↓
    

で・・・・何とか頑張って片付けて・・・・・

  ガラ~ン
     ↓↓ 
    

焼き台が寂しそうです~ 
ホントにサヨナラ、サヨナラ~~~


でも家では、お客さんから頂いた「寄せ書き」や「お花」が癒しの
空間をつくってくれてます。

いつの間に用意してくれたのかな~
    

花瓶という花瓶、総動員
    

いろんな形で労って頂きました。重ねてありがと~~~




皆様、ありがとうございました。

2015-02-24 22:44:58 | 仕事
19年3ヶ月  2月21日に営業終了しました。

1995年・・・サラリーマンだったオトンが突然会社を退職。
その秋に「焼き鳥屋」を始めました。

有無をも言わせず・・・家族はただボーゼン

当初は「(私を)巻き込まない」という約束でした。
しかしその約束はアッというまに反故にされ、これまた有無をもいわせず
私もガッツリ関わることになってしまいました

専業主婦から専従者に!!!お仕事は接客でっせ

「水商売で食べていく」・・・いやいやいや、こんな不安なことはないと
オトンの選択に全く同意できなかった・・・けど、始まっちゃった!

それよりも夜間に子供達だけで過ごさせなければならないことの
不安の方が大きかった。

3人の内、下の2人は中学生だったし・・・
最初の頃は店へ向かう電車の中で・・・毎日泣いてたな~
今思い出しても切なくなるんですよ。
でも友人達や学校の先生方が励ましてくれたり協力してくれた
おかげで何とか頑張れたんですな~  ホントに有難かったわ。

この1995年て、いろんなことがあって忘れることはないね。
阪神大震災、オウム事件。そう隆也さんの「大地の子」もこの年の秋。

すぐにポシャるかな?なんて思いながらも、アッというまに
19年が経ってしまいました。
いろんなことがあったけれど、メチャクチャ大きなトラブルもなく損保の
お世話になることもなく閉店となった。

しかし「水商売」は大変ですね。
水は勢いよく流れたり、穏やかだったりチョロチョロだったり渇水状態
だったりと縦横無尽なんです。
営む側はその流れに常に対処できなければならないし、渇水の時の
忍え耐ぶ力も必要となります。
「水商売」の水ってお客さんなのかな~?って思います。

超現実的だけど私達の生活を支えてくれた、たくさんのお客様。

ありがとうございました


オトンの選択に同意できなかった私にとって、正直この仕事に未練は
ないのですが・・・・・

今、猛烈に襲ってくる喪失感

専業主婦ではあったものの「接客」には何の不安もありませんでした。

たくさんのお客さんと接して楽しかった!!!!
人間て愛おしくもあり、煩わしくもあり・・・・これ本音ですが、幸いな
ことに私にとっては前者の方が勝っているんです。

まあ、ほとんどが男性のお客さんです。
個人的に、そして数人での会話を聞くのが本当に楽しい、面白いったら!

それぞれ違う立場の人達がいろんな角度から繰り広げるお話というか
談義というか討論というか・・・・政治経済、スポーツ、社会問題、車に
芸能、健康、歴史にはたまたシモネタなどなど・・・その域は果てしない!?

もちろん女友達の集会もまた違う楽しさがありますよ。でも話題の拡がり
となると、さすがに違うかな~?なんて感じざる得ないんですね。

そして永年、来店してくれた人、そして常連さん達の悲喜交々に耳を
傾けつつその人生に少なからず寄り添わせてもらえたような気もする。

そんなお客さん達と・・・・もう会えない。

喪失感でいっぱいです
同時にオープンの時とはまた違う不安感も大きくなって泣きそうだ。
ずっと繋がっていたい。

この仕事で一番の財産になったのは「人」だった。
そういう意味ではオトンに感謝するべきかな?とも思っています。

皆さん、本当にありがとうございました

どうぞお元気で

またお会いする時は・・・私も・・・一緒に呑みますぞぉぉぉぉ



もう少し!

2012-06-13 11:19:04 | 仕事
お店のお客であるKM田さんが体調を崩し入院してしまったらしい。

心配になって友人であるI川さんとオトンがお見舞いに行った。
もうげっそりとしているのではないかと想像しながら・・だったが。
ご本人は退院に向けて何とか頑張っていたそうで、とりあえず2人共
一安心、彼を知っている他のお客さんにも報告した。

永年、店に来てくれていたお客さんが、顔を見せなくなってしまうと
いろいろと考えてしまう。 
何か失礼があったかしら?とか・・・でも一番に考えるのは体調だ。
具合でも悪くなってしまったのかと。
でもほとんど連絡のつけようもなく、そのままになってしまうのは
寂しいものである。

最近は私達に親しみを感じてくれた方とは連絡できるようにさせて
もらっている。
お客さんといっても、私にとっては「大切な友人」となっている。
この店をやっていたからこそ出会えたんだもんね。

昨日は雨でもあり、サッカーもありでテーブル席には誰も来なかった
けれど(ま、いつものことだけどね)いつもの気心の知れた
お酒好きが集まり楽しかった。

正直なところ、まさに“やきとりの串”のごとく細々とした状況である。
《もう、やめようかな~》なんて思うこともある。
でもな~そうなったら出会えた皆との繋がりも細~くなってしまうんだ
と、これまた淋しく思えてしまう。

で・・・もう少し頑張ってみようか!と思いなおすのだ。

「職場」がなくなったらオトンもボ~ッとしちゃうしね。
まぁ、とりあえず食べていけるだけでいいか!とも思うし!

でも、志村け○のコントじゃないけど・・・
オトンが手を震わせて、やきとりを焼いたり・・・
私はといえば・・・
お客の注文が聞き取れず「アンダッテェ?」なんてね!
そんなふうになる前にはやめたいもんです(笑)

お客さんには・・・・
いつまでもお酒が楽しめるよう元気でいてもらわにゃね 
そして・・KM田さん、みんな待ってるから早く復活してね



花火の夜、撃沈す!

2009-07-19 22:29:03 | 仕事
19日はTM川の花火だった

毎年、花火が終了すると 「ちょっと一杯飲んでいこか」という人々が
ドア~ッと押し寄せてくる。いや、来ていた。
花火会場に近い駅周辺の大型飲食店にアブレタ人達がブラブラと
空いてる店を探して、我が店のある通りにも流れてくるのである。

大体〝いっぺん〟に来る。
それもほとんど初めてのお客さん。
もう、シッチャカメッチャカです

花火大好き人間の私。
毎年見られない上に、あの忙しさを思うとちょっとユーウツになる。
でも〝稼ぎ時!〟と気合を入れるのも毎年のこと。

しかし、久し振りに駅周辺の様子を意識してみると・・・・
なんと大型飲食店(ファミリー居酒屋というか)が多く進出していることか。
一年前とは違う。 それに3日連休だし・・・
今年は案外〝ヒマ〟かも~・・・・とチョッピリそんな予感もした。

オトンは、というと。今年は例年になく気合十分だった。
〝いっぺん〟にお客さんが来てもOKのように、仕込みの準備おこたりなく
異様?に燃えていた・・・・いつも、こんなだったらいいんだけどね

早くきたお客さんにも「いや~花火終わるとドッと来るんでね~」といちいち説明。
<言わなくともヨカンベ?>と私はなぜかテンション上がらず(笑)

さぁ花火もフィナーレ!  9時が過ぎ、9時半になりボチボチ人の姿も・・・
結局・・・
満席にはなったものの、花火帰りのお客さんが来な~いんですぅ

「12時までやるぞ」なんてハリキッテいたオトン。
すっかり力が抜けて 「オイ、もう終わり!終わり!」と豹変だぁ

仕分けしていた〝カラアゲ〟の袋を片付ける後姿がサミシソー。
ポトンと一袋落ちたのも気がつかない。アレアレ!
「ホレ、ひとつ落ちたよ」 と声かけると、究極?のトホホ顔のオトンでした(笑)

2009年の花火の夜は、見事にオトン撃沈でありました~
まぁ、また来年に期待しましょ




電車内にて・その1

2009-04-21 18:43:15 | 仕事
michaと都心へでた。 

我が家から電車で約35分です。
いつもながら平日なのに電車も街も人、人・・・・

帰りの車内に車椅子の方が2人。

乗降の際には駅員さんが、ホームと車両の間に傾斜板を設置する。
と、いうことは車椅子利用者は事前に降車駅への連絡が必要なんだ。
と、いうことは・・・
気が変わって〝途中下車〟なんてことできないんだ。
なんだかな~・・・と同時にいつも感じてしまう違和感。

こんなにたくさんの人間がいるのに。
2、3人で抱えればアッという間に乗り降りできるのに。
なんかヘンな光景だと思うのね。

以前、始発駅から乗ろうとしたらホームに人だかりが・・・
なんだ?と見ると車椅子の方と車掌さんがいた。
車掌さんは応援が来るのを待っている様子だったけれど
私の 「お手伝いしましょうか?」 の言葉にホッとしたようで
一緒に抱えて車内に乗せた。
この時も降車駅で、2人の駅員さんが待機していた。

いつからこういうシステムになったのか?
利用者の要望ならば、それはそれでいいけれど。

やっぱりヘン
こんなにたくさんのがあるのにぃ!
手はたくさんあっても気持ちがないんじゃねぇ

不自由さを感じてる人に
臆せず自然に手を貸せる人が溢れる世の中になればいいな