いつもはまだオトンが起きていてTVを占領している日曜日の10時。
「今日で終わりなの。リアルタイムで観たいよぉぉ」と願い出る。
ハイハイと私に譲った後も、何やら話しかけてきたが・・・ガチスルー(笑)
エンドロールが流れ出して・・・グシュグシュ・・・ジワ~ッと淋しさが押し寄せてきた
「大地の子」と同様に隆也さんの恩地に感情が入りすぎた感ありです。
そんな時、新聞の新刊広告に佐藤愛子さんの「人間の煩悩」の内容が載っていた。
《悩みの量こそが人間の深さ》
《人生は、なぜ自分だけがこんんな目に遭うのかの連続》
・・・・ではどうすれば解放されうるのか?には・・・・
《逃げずに受け止めることが道を拓く》と!
そして《この世は不平等にできている》 《順風満帆な人生なんて無い》
などなど、達観の更なる上をいくような言葉が並んでいた。
正に恩地の人生そのものに重なるな~!?としみじみしちゃった私です。
さて、ドラマが始まってから、改めて映画版の「沈まぬ太陽」を観ました。
映画での約3時間半は長いとはいえ、原作を考えると大変な作業だったろう。
主立ったところの描写は収まったものの細かな心理描写はさすがに「残念」と・・・
それらを要求するのは酷だとも思える。
だから45分×20話のドラマと比較するのはルール違反かなとも思うのですが・・・
けれど、どうしてもここは!というところ。
映画ではアフリカ編は回想の形になっていて、ハンティングのシーンが
アフリカ編の恩地の姿そのもののように使われていて違和感を感じたの。
何か違う、何か足りない。
それは・・・なぜ恩地がハンティングという行為にのめりこんでいったかという恩地の
ギリギリの精神状態の心理描写だ。アフリカ編の「肝」なのに・・・・
それをすっ飛ばしてハンティングのシーンだけなんて・・・伝わらない使い方じゃない?
また「悪」というか「腐」の人物像も一括りの感あり。
特に行天。
渡部さんの行天は迷いながら揺れながら、知的で時には冷徹になりながら
「腐」に向かっていくも、常に胸の奥底で恩地の存在と葛藤していたんだ。
もう腐りきってどうしようもない輩とは違うヒールを見事に演じていた。
でもでも・・・映画での三浦友和さんの行天は…あんまりだ
人物造形があまりにも薄っぺらい。
山崎豊子さんは正義と相対する行天のような人物像にも思い入れが強かったという。
余計にあの描き方の三浦行天が気の毒に思えてしまったのかもしれない。
そして「恩地」
渡辺謙さんは好きな俳優さんです。
彼のイメージは何があっても動じない無敵さ、貫禄、スーパーヒーローオーラなの。
謙さんの恩地は苦難に立ち向かう力強さがあった。
ドラマが始まって「上川隆也は恩地役に適している」と推してくれた方がいたことは
ファンとして嬉しかった。
恩地は「市井の人」なのです。
信念を曲げず苦難に耐えた強い人間・・・かもしれないが、ごく普通の人間。
私はその「市井の人っぽさ」が隆也さんから(謙さんより)ちょこっと多く
醸し出されていたのかも・・・なんて思うのです。←個人的感想
隆也さんの映画でのカメオ出演は「(上川隆也を)何らかの形で関わらせてほしい」
という山崎(豊子)さんサイドからの要望だったという。
だから恩地役が隆也さんと知った時、もしかしたら山崎さんは恩地役を・・・・・?
・・・いやいや言うまい、あまりに判官贔屓になってしまう~(笑)
なんか随分横道にそれてしまった~
結末は「市井の人」故の結びだった。
全てを暴くことも改革も壁が厚過ぎ、壁の向こうに残してきたものへの怒りや
無念さ、無力感もまた味わうことになった上に再度海外へとの通告。
会社(行天)のやり方に反発しながらも受け入れる。
「え?今度は納得して行くの?」と恩地の変化に訝しがる人もいるかもしれない。
でも…もういいじゃない!やっとやっと恩地は自分で自分の道が見えたんだもの。
大自然の中に身を置きたいと思ったって誰もな~んも言えない。
りつ子さん、またしても美味しい台詞!
恩地はアフリカにやり残したことがあったのかも?
大自然は手を拡げていたのに、当時の恩地は本当の意味で身を委ねられなかった。
最終話にしてやっと見られた大地の中での恩地の、隆也さんの清々しい笑顔
映画では遺族に宛てた手紙は、行天へとになっていた。
恩地の苦難と遺族の悲しみや苦しさを重ねたようなくだりがあったが、これは
上川恩地からは聞きたくないとドキドキしていたので、行天への手紙となって
いたのはとても良かった~
・・・・なぜ恩地は信念を貫き通せたのか?・・・・・
きっと「人間としての品性」を失いたくなかったんだと思う。超個人的感想2
。
自分でもそうありたいとは思うけど……けど、逃げ出します、私
そして・・・恩地サンの奥さんには・・・なれないわ、きっと!根性ナシだもん(笑)
来週からつまらん日曜日じゃな~~
「今日で終わりなの。リアルタイムで観たいよぉぉ」と願い出る。
ハイハイと私に譲った後も、何やら話しかけてきたが・・・ガチスルー(笑)
エンドロールが流れ出して・・・グシュグシュ・・・ジワ~ッと淋しさが押し寄せてきた
「大地の子」と同様に隆也さんの恩地に感情が入りすぎた感ありです。
そんな時、新聞の新刊広告に佐藤愛子さんの「人間の煩悩」の内容が載っていた。
《悩みの量こそが人間の深さ》
《人生は、なぜ自分だけがこんんな目に遭うのかの連続》
・・・・ではどうすれば解放されうるのか?には・・・・
《逃げずに受け止めることが道を拓く》と!
そして《この世は不平等にできている》 《順風満帆な人生なんて無い》
などなど、達観の更なる上をいくような言葉が並んでいた。
正に恩地の人生そのものに重なるな~!?としみじみしちゃった私です。
さて、ドラマが始まってから、改めて映画版の「沈まぬ太陽」を観ました。
映画での約3時間半は長いとはいえ、原作を考えると大変な作業だったろう。
主立ったところの描写は収まったものの細かな心理描写はさすがに「残念」と・・・
それらを要求するのは酷だとも思える。
だから45分×20話のドラマと比較するのはルール違反かなとも思うのですが・・・
けれど、どうしてもここは!というところ。
映画ではアフリカ編は回想の形になっていて、ハンティングのシーンが
アフリカ編の恩地の姿そのもののように使われていて違和感を感じたの。
何か違う、何か足りない。
それは・・・なぜ恩地がハンティングという行為にのめりこんでいったかという恩地の
ギリギリの精神状態の心理描写だ。アフリカ編の「肝」なのに・・・・
それをすっ飛ばしてハンティングのシーンだけなんて・・・伝わらない使い方じゃない?
また「悪」というか「腐」の人物像も一括りの感あり。
特に行天。
渡部さんの行天は迷いながら揺れながら、知的で時には冷徹になりながら
「腐」に向かっていくも、常に胸の奥底で恩地の存在と葛藤していたんだ。
もう腐りきってどうしようもない輩とは違うヒールを見事に演じていた。
でもでも・・・映画での三浦友和さんの行天は…あんまりだ
人物造形があまりにも薄っぺらい。
山崎豊子さんは正義と相対する行天のような人物像にも思い入れが強かったという。
余計にあの描き方の三浦行天が気の毒に思えてしまったのかもしれない。
そして「恩地」
渡辺謙さんは好きな俳優さんです。
彼のイメージは何があっても動じない無敵さ、貫禄、スーパーヒーローオーラなの。
謙さんの恩地は苦難に立ち向かう力強さがあった。
ドラマが始まって「上川隆也は恩地役に適している」と推してくれた方がいたことは
ファンとして嬉しかった。
恩地は「市井の人」なのです。
信念を曲げず苦難に耐えた強い人間・・・かもしれないが、ごく普通の人間。
私はその「市井の人っぽさ」が隆也さんから(謙さんより)ちょこっと多く
醸し出されていたのかも・・・なんて思うのです。←個人的感想
隆也さんの映画でのカメオ出演は「(上川隆也を)何らかの形で関わらせてほしい」
という山崎(豊子)さんサイドからの要望だったという。
だから恩地役が隆也さんと知った時、もしかしたら山崎さんは恩地役を・・・・・?
・・・いやいや言うまい、あまりに判官贔屓になってしまう~(笑)
なんか随分横道にそれてしまった~
結末は「市井の人」故の結びだった。
全てを暴くことも改革も壁が厚過ぎ、壁の向こうに残してきたものへの怒りや
無念さ、無力感もまた味わうことになった上に再度海外へとの通告。
会社(行天)のやり方に反発しながらも受け入れる。
「え?今度は納得して行くの?」と恩地の変化に訝しがる人もいるかもしれない。
でも…もういいじゃない!やっとやっと恩地は自分で自分の道が見えたんだもの。
大自然の中に身を置きたいと思ったって誰もな~んも言えない。
りつ子さん、またしても美味しい台詞!
恩地はアフリカにやり残したことがあったのかも?
大自然は手を拡げていたのに、当時の恩地は本当の意味で身を委ねられなかった。
最終話にしてやっと見られた大地の中での恩地の、隆也さんの清々しい笑顔
映画では遺族に宛てた手紙は、行天へとになっていた。
恩地の苦難と遺族の悲しみや苦しさを重ねたようなくだりがあったが、これは
上川恩地からは聞きたくないとドキドキしていたので、行天への手紙となって
いたのはとても良かった~
・・・・なぜ恩地は信念を貫き通せたのか?・・・・・
きっと「人間としての品性」を失いたくなかったんだと思う。超個人的感想2
。
自分でもそうありたいとは思うけど……けど、逃げ出します、私
そして・・・恩地サンの奥さんには・・・なれないわ、きっと!根性ナシだもん(笑)
来週からつまらん日曜日じゃな~~