浦塩時代の面影 ~ロシア・ウラジオストク紀行 ⑤
19世紀後半から20世紀前半にかけて、多くの日本人が暮らしたウラジオストク。
「浦塩斯徳」と当(あて)字表記された時代もあった。
市内に は、その当時の在留邦人の活動を物語るスポットが数多く残っているが、旧横浜正金銀行(現アルセーニエフ博物館)も、そのひとつ。
ロシア革命(1917年)直後に日本軍がウラジオストクなどを占領したシベリア出兵(1918~22年)の時代の建物だ。
優美なクラシック建築は、旧日本国総領事館だ。
石造りのギリシア式建築で、現在は沿海地方裁判所となっている。
1986年、西本願寺はウラジオストクで初めての海外布教所「浦潮本願寺」を開く。
現在は跡が残るだけだが、寺院が立っていた場所に記念碑が建てられている。
「浦潮本願寺」は当時、故郷から遠く離れて生活する日本人にとって癒しの場であり、啓蒙と交流の場だった。
浦潮本願寺跡で読経するジーマさん。
ウラジオストクが故郷でも、やはり、日本のお坊さんである。
極東連邦大学の分科大学である東洋大学の構内に、明治の文学者・与謝野晶子の歌碑が、建てられている。
1912年、与謝野晶子はパリに渡った夫・鉄幹のあとを追って敦賀港から船に乗って単身ウラジオストク入りを果たす。
その後、シベリア鉄道に乗ってモスクワへ、さらに陸路パリへ向かい夫との再会を果たしている。
「晶子や物に狂ふらん、燃ゆるわが火を抱きながら、天がけりゆく、西へゆく、巴里の君へ逢ひに行く」。
ウラジオストクに足跡を残した晶子の詩「旅に立つ」が、日本語とロシア語でこの碑に刻まれていた。
第二次大戦後の日本兵シベリア抑留など、暗い歴史も背負った街。
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