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ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

「空が青いから、白をえらんだのです。」 ~奈良少年刑務所・矯正展

2014-09-06 | 奈良の旅
「空が青いから、白をえらんだのです。」 ~奈良少年刑務所・矯正展

              
              

 毎年、この時期になると、きまって、この歌が聴きたくなって、奈良少年刑務所で年一回開催されている、矯正展に出かけるようになった。

 

              

 「空が青いから白を選んだのです。」は奈良少年刑務所の「社会性涵養プログラム」の講師で童話作家の寮美千子さんが受刑者によって作られた詩を集めた詩集である。      

 Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語りだしたのです。
「今年でおかあさんの七回忌です。お母さんは病院で『つらいことがあったら、空を見て。そこにわたしがいるから』とぼくにいってくれました。それが、最期の言葉でした。
おとうさんは、体の弱いおかあさんをいつも殴っていた。
 ぼく、小さかったから、何もできなくて……」

 
 この詩を読んで感動した、シンガーソングライターの逢坂泰精さんが「くも」という楽曲を創った。
 受刑者には粗暴なイメージばかりが先行していたが、彼等の今まで置かれてきた環境の悲惨さを知り、それ故に閉ざされてきた心を知る。
 そしてどんな罪を犯した人間であっても更生する可能性があることを教えられる。

               

               

               

 竣工100年以上となる奈良少年刑務所はロマネスク様式の正門(表門)や美しい煉瓦造りの外塀や内部の建物など、文化財としても素晴らしい。
 矯正展では内部見学も実施している。(パネル写真から)

               

               

               

 入ってみてはとは、勧め難いが、(まず、年齢制限がある)年に一回の矯正展で訪れてみるのは如何ですか。
(7日まで)


               

               
 監獄グッズの数々。

               

               

               

               

               

                

                            

               

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「今井町・茶行列」 ~今井宗久と茶人たち

2014-05-20 | 奈良の旅
「今井町・茶行列」 ~今井宗久と茶人たち

               

 5月18日、“今井町並み散歩”のメインイベントとして、「茶行列」が開催された。
 これは、今井町ゆかりの茶人・今井宗久とお茶をテーマにその時代の衣装に扮して町を練り歩くというもの。

               

今井町町並み保存会会長の若林さん。
昨年は「平野郷を着物で歩こう!」企画時にお話を伺いにおじゃまして、アドバイスをいただいた。

               

安土桃山時代の堺の豪商であり、茶人であった今井宗久は1520年、今井町で生まれた。
信長や秀吉に仕え、津田宗及、千利休とともに、天下三宗匠(てんかさんそうしゅう)と呼ばれた。
 いよいよ、「茶行列」のスタートである。

               

 先頭は町衆。

               

               

 そして、主役の今井宗久。

               

               
               

 織田信長、登場。

                

               

                
               
               

 千利休に津田宗及が続く。

               

               


 そして、豊臣秀吉。

               

               

               

               

 
 しんがりは「茶職人」たち。ある意味、一番の華である。


               

               

               

               

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今井町並み散歩 ~町並みはみんなのもの

2014-05-19 | 奈良の旅
 今井町並み散歩 ~町並みはみんなのもの

              

 八木へ向かう列車の中で盲導犬に出会う。
 あんまり、かわいかったもので、つい、パチリ。

              

              

              

 半年ぶりの今井町である。
 鯉のぼりとダンジリのお出迎え。

              

              

              

              

              

                

 毎年5月に開催される、奈良県橿原市の「今井町並み散歩」は今井町町並み保存会の主催のイベントである。
 今井町は戦国時代、御坊(称念寺)を中心に自衛上、武力を養い、濠をめぐらし、商業都市として発展した。
 国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、江戸時代の情緒溢れる町並み散歩を楽しめる。

 
              

              

              

              

              

 軒下から軒下へ、ツバメが巣作りに忙しそうに飛び回っていた。


              

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東洋民俗博物館 ~エロじじいのコレクション

2014-02-19 | 奈良の旅
 東洋民俗博物館 ~エロじじいのコレクション
              

タイトルには「エロじじい」と敬意と親しみを込めて、記させていただいた。
「エロじじい」とは奈良市あやめ池の私設ミュージアム「東洋民俗博物館」の館長だった九十九黄人(つくもおうじん)さんのことである。
 黄人とは号で、英語にすると「イエローマン」・・・「エローマン」すなわち、“エロ男”という意。

 九十九豊勝(黄人)さんは、米国シカゴ大学の人類学者フレデリック・スタール博士の助手兼通訳として民俗学の研究を行う。
 その後、世界各地を行脚して収集したコレクションをこの博物館で展示している。
 東洋民俗博物館は昭和3年開館。
 1998年に104歳で亡くなるまで館長を務められた。

 現在、博物館は御子息の理事長、九十九弓彦氏が、仕事を引退後、ここに戻り管理されているそうだ。
 古色蒼然、かつモダンな建物。
 昭和3年開館時には、当時の「あやめ池遊園地」の一角にあったというが、きっと、雰囲気にマッチしていたことだろう。

              

 電話予約しておくと、理事長自ら、館前で待っていただいていた。
 お昼から外出するとかで、この日の来訪者は私だけらしい。

              

 この人が日本文化の研究家、スタール博士。
 和服姿で各地の神社を訪れては、お札を集めていたので、「御札博士」と呼ばれていたらしい。

              

 入口前にこんな立て札が・・・。
 「吾唯足知」 「われ ただ たるを しる」と読み、「足る事を知る人は不平不満が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」、「現状で満足することが満ち足りた豊かな心につながる」という意味で龍安寺にある禅の言葉。

              

 う~ん、なるほどと感銘を受けていると、理事長が立て札をひっくり返して、裏の文字を見せていただいた。

              

 「舌吸足知(した すって たるを しる)」。
 のっけから、一本取られましたなぁ、こりゃ!

 館内にいると、ステンドグラスが目を引く。

              

 艶っぽい、おみ足。「卒業」のミセス・ロビンソンを思わせた。

              

 館内には博士の展示物が並べられ、やはり、絵馬のコレクションが多い。
ちょっと変わった「縁切り絵馬」。

              
 
 他のコレクションは、民間信仰にまつわるようなものが多かった。
 蘇民将来、朝鮮の天下大将軍のような魔除けとか、チベットや東南アジアの仏教や民間信仰の神像仏像などなど。
 それ以外も、帝政ロシアの将校帽やら、朝鮮の長煙管やら、江戸時代の遠眼鏡やら、雑多なものも様々。

              

              

              

 これは隠れキリシタンのものか。

              

 パラオの石貨なんてものもあった。これで牛20頭、買えたという。

              

 続いて、九十九黄人さんのコレクションを展示する部屋へ。

              

              

 何?という代物が多い。

              

 理事長からインドネシアの楽器についての説明をしていただいた。
 その他、云われのある逸品も・・・。

              

一見、中国の貴婦人の人形。

              

 ところが、床に穴があり、丸見え!しかも、鏡が置いてたりして。

               

 さらには奥に書架があって、発禁本とエロ本がぎっしり。
 また、日本初の文化人向けエロ雑誌(あまとりあ)が創刊号から最終号まで全部揃っていて、これはおそらく日本中探してもここにしかないとご自慢だった。
 凄まじいまでのエログッズコレクション。小さな部屋だが、圧巻の内容。
(4000人の女性の陰毛コレクションだとか、もう、ブログの品位が保てなくなるので、ここでは記せない。実際に行って見てください。)

 この部屋は写真NG!だった。
 
 世界を飛び回ってエログッズ、いや性風俗の資料を集め、世界の女性をたらしこみ?、そして晩年には、100歳過ぎてもまだここで元気に来訪者にエロ自慢をしていたという。
 洒落のわからない官憲に引っ張られることが度々あったそうで、共産主義の取り締まりが激しくなった頃には、留置場でよく「お前はアカか」と聞かれたそう。
 そこで黄人さん、答えて曰く、「わしはピンクや」。
 自由奔放、痛快な一生を送った方だったとお見受けするが、周囲は迷惑だったようで、御子息の理事長は「ああはなるまい」と常々、思っていたそう。

 黄人さんが晩年、使っていた椅子。

              

 館の壁に埋め込まれていたオブジェ。
 これも何やら、曰くありそうだが、聞きそびれてしまった。

              

 人生でハレー彗星に二度、遭遇したと記されていた。

              

 東洋民俗博物館は、ただの秘宝館とは一線を画させているように思える。
 理事長に案内してもらえるのも嬉しい。
 実におもしろい博物館だった。
 訪問には事前予約要です。

 
 奈良県奈良市あやめ池北1-5-26(近鉄菖蒲池駅下車、徒歩約5分)入館料500円

 電話番号 0742-45-0069


 かつての子どもの楽園、「あやめ池遊園地」も、今や高級住宅街に変貌していた。

              

              

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高見山 雪中登山 2 ~樹氷・屹立と眺望

2014-02-16 | 奈良の旅
 高見山 雪中登山 2 ~樹氷・屹立と眺望

               

 笛吹岩を過ぎて、頂上を目指す。
 霧氷はこれまでとは明らかに表情を変え、厚みを増していく。
 パウダースノーのサラサラとした雪質を踏みしめながら、最後の急登に取り掛かる。
 
               

               

 樹氷へと姿を変えた木々は、まさにスノーモンスターと化していた。

               

               

 これらを「エビのしっぽ」とも形容するようである。

               

               

               

               

 
 頂上小屋は登山者で溢れていた。

               

 小屋のすぐ横には三角点と小さな祠がある。
 高角神社である。

               

 祠の長いツララが厳しい環境を物語る。

               

 高見山はその名が示すように360度の眺望に優れた山である。
 神武東征伝説にも由来するという。

               

 南側には大峰山脈の山上ヶ岳や大普賢岳、更には台高山脈(大台から高見の意)の国見山、薊岳が綺麗に見えた。

               

                 

 東には高見山から縦走できる、近辺のもうひとつの冬山登山のメッカ、三峰山(みうねやま)が白い雄大な山容を見せていた。

               

                                    

 北へ目を移すと、ポコポコと兜岳、鎧岳の特徴的な山と曽爾高原が目を引いた。
 その奥には御在所岳が控える。

               

               
                

 更にその遥か奥に薄っすらと見憶えのある山容が・・・。
 木曽御嶽山である。
 まさか、ここから御嶽山が望めるとは思わなかった。

               

 西側では、音羽山、龍門岳はじめ宇陀の山々を目前に、その奥に馴染みの生駒山脈、葛城、金剛の山並みが望めた。


                                  

               
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高見山・雪中登山 1 ~きらめく霧氷

2014-02-14 | 奈良の旅
 高見山・雪中登山 1 ~きらめく霧氷

              

 室生赤目青山国定公園に位置する高見山(1249m)はマッターホルンに似ているとも云われる秀峰である。
 冬季は樹氷、霧氷のメッカとして、冬山登山の人気スポット。
 休日ともなれば、榛原~高見登山口・高見平野~榛原間の臨時バスが運行していて、交通の便がいい。
 しかも、予約なしで、座席確保できるくらい増便しているので、登山者には嬉しい。

              

              

 昇り始めて、10分ほどで、アイゼンが必要になる。
 ガリッガリッとアイスバーンを踏みしめる音が心地良い。

              

 中腹くらいから、霧氷が見え始めてくる。
 時おり、覗く青空とのコントラストが美しい。

              

              

              

              

 外気は零下だと思うが、身体はポカポカしてきた。
 平地でバスを待っているときの方が寒かった。

              

              

              

              

              

 頂上が近づくにつれ、霧氷の厚みが増してきたように思う。

              

              

               

              

              

 わんちゃんもアイゼンなしで昇ってきた。

               

 いよいよ、最初のビュースポット「笛吹岩」に到着。

              

              

 霧氷越しに大峰・台高の山々が綺麗に見渡せた。


              

              

              

              

              

             <次回は頂上からの眺望> 


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馬見丘陵公園探鳥会に参加して ~パンダガモは何処!?

2014-01-20 | 奈良の旅
 馬見丘陵公園探鳥会に参加して ~パンダガモは何処!?

              

 毎月第3日曜日に開催される「馬見丘陵公園探鳥会」。
 2年ぶり、久々の参加である。
 その日は曇り、気温は1℃と雪の予報が出て朝の冷え込みが厳しい中、38名が集まり公園館前を9時にスタートした。
 スタッフの方から、「早朝に下見をしたが、残念ながら、今日、鳥は少ない」という報告があった。
 がっかりしながらも、気持ちを奮い起こして進む。

              

 いつもの、どこにでもいる「アオサギ」。
 とはいうものの、こんな大型の鳥を至近で見られるのは幸せというべきか。

              

              

 葦原にシジュウカラが飛来してカイガラムシを啄ばむ。

              

              

 葦原がガサッと揺れたので、何がいるのかと思ったら、ニャンコが威風堂々と登場。
 犬の散歩禁止の公園だけに、ニャンコの天国である。

              

 ハクセキレイが古墳の上を散歩していた。

              

 孤高の鳥と云うイメージがある、カシラダカ。
 冠羽を立てるので、“頭高(カシラダカ)”というそうだ。

              

 ホオジロは頬が白いので、“頬白(ホオジロ)”。

              

 上池ではマガモやカルガモだらけであるが、よく見ると少し毛色の違った水鳥もいる。

              

              

 ♂はラーメンマンのような弁髪がある、“キンクロハジロ”のつがい。


              

              

 そして、一番人気だったのが、鮮やかな“ヨシガモ”。

              
(探鳥会HPより拝借)

 それから、珍客の“カワアイサ”。

              
(探鳥会HPより拝借)

 期待していた、「パンダガモ」こと“ミコアイサ”に出会うことはなかった。

              
(探鳥会HPより拝借)

 さすがの冬鳥も寒さに縮みあがったか、上空を旋回するハヤブサのせいか、はたまた、38名の鳥見集団の迫力か、結局、目ぼしい野鳥に出会わなかった。

 私は集団を離れて、ひとり、林中を彷徨う。
 ここで、“幸せの青い鳥”と遭遇することになる。
 その模様は次回で・・・ 


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舞楽始式 ~春日大社・林檎の庭

2014-01-16 | 奈良の旅
 舞楽始式 ~春日大社・林檎の庭

             

  奈良市の春日大社の本殿前の林檎の庭で1月13日、1年間無事に舞楽が奉納できるよう祈念する神事「舞楽始式(ぶがくはじめしき)」が奉納され、多くの参拝者らが訪れた。

 舞楽始式は、昭和初期から始まった神事で、毎年成人の日に行われている。

 舞楽始式では、奈良で古くから活動する雅楽の演奏団体「南都楽所(なんとがくそ)」の会員が、管絃(げん)と鉾(ほこ)をふるって2人で舞う「振鉾(えんぶ)三節」や、4人で優美に舞う「長保楽(ちょうぼうらく)」などの舞楽を奉納し、境内は華やかで優美な雰囲気に包まれた。
 登殿楽(とうてんらく)&長慶子(ちょうけいし)という舞楽だそうだ。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

 この日、私は1時間半前から並び、おそらく、特等席ともいえる場所に陣取っていた。
 そうすると、こういうこともあるのだという「春の珍事」である。
 私のすぐ後ろに座っておられた方が動画を撮影されていたようで、ユーチュ―ブにアップされていた。
 見てみると、終始、私の後頭部が画面にお邪魔しているではないか。
 申し訳ないやら、おかしいやら。 動画を拝借します。 
          

  

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大和神社と“戦艦大和”

2014-01-06 | 奈良の旅
 大和神社と“戦艦大和”

              

 奈良県天理市に鎮座する大和(おおやまと)神社は「大和の国魂」(くにみたま)を御祭神とし、日本最古の神社と言われている。
 遣唐使が唐の都・長安に向けて派遣されるときは、出発に際して航海の安全をこの神社に祈ったといわれている。

              

              

              

   
 また、第二次大戦中、世界最大の不沈戦艦といわれた“戦艦大和”は、守護神として艦上で大和神社の分霊を祀っていた。
東西に長く延びる参道は“戦艦大和”と同じ長さだという。



              

 沖縄への水上特攻を決意した戦艦大和は戦闘機の援護なきまま、アメリカ軍の猛攻を受け、九州南西の海域で沈没した。
 1945年4月7日のことである。

 摂社の祖霊社には、戦艦大和戦没将士2717柱が祀られている。
 

              

              

              

 (上↑神社に常設展示されている戦艦大和のジオラマ)            

  

 サザンカが綺麗に咲いていた。

              

              


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奈良公園の“鹿”検定 2 ~ Q & A

2013-11-24 | 奈良の旅
奈良公園の“鹿”検定 2 ~Q & A

A

 皆さん、如何でしたか?
  ちょっと、難問でしたね。
  鹿ソムリエへの道は厳しかったかもしれません。
  では、解答です。

               
 
 1.奈良公園の鹿の生息数は何頭か?(100頭単位で)

 A.ここ数年、1200頭と云われてきたが、2013年7月で、公園内で1094頭、鹿苑内で299頭で合計1393頭と発表された。
 鹿苑を除けば、1100頭が正解。
 「奈良の鹿愛護会」が弱った鹿や出産する鹿を保護しているのが鹿苑。
 まあ、鹿苑も奈良公園の内だから、1400頭までOKとしましょうか。

 2.そのうち、雄の数は?

 A.公園内では、雌736頭、雄210頭、小鹿148頭(雄雌不明)。
 正確には確認できていませんが、250頭前後といわれている。
 鹿苑を入れると250~300頭までOKとします。    
 個体では圧倒的に雌が長生き。
 なわばり争いで矢面に立つなど、人と同じで雄は悲しい。

 3.平均寿命は?

 A.環境によって、差があるという。
 野生ジカの寿命は、オスは6歳前後、メスは8歳前後という報告もある。
 ちなみに、奈良公園のシカには20歳以上のものもいるという。
 雄は12~16年、雌は20~25年といわれている。
 これも諸説あるので、6~25歳で正解ということにしておきます。

 4.鹿の糞は誰が掃除するのか?

 A.公園事務所では「糞は掃除していません」とのこと。
 日本には約150種のフン虫がいるが、うち約50種が奈良公園で確認されている。
 どうやら、フン虫(コガネムシ)などのおかげのようである。

 
 5.奈良公園では鹿が食べないため、増えてしまった植物がある。それは何?

 A.それは「アセビ」。
 アセビとは、ツツジ科の低木で本州、四国、九州の山地に自生する常緑樹。
 漢字では馬酔木。
 馬が葉を食べれば毒に当たり、酔うが如くにふらつくようになる木という所からついた名前であるとされる。
 多くの草食哺乳類は食べるのを避け、食べ残される。

              
 
 6.奈良では運転中、誤って、鹿を轢いたら、罪になる?

 A.鹿が飛び出して避けられないとか、過失による交通事故、接触事故等は、罪に問われない、罰金もないということだ。
 が、国の天然記念物なので、故意に傷つけたり、悪意が有った場合には、罰せられる。
 『文化財保護法違反』になり、5年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金となる。
 毎年、100頭前後が交通事故で死ぬという。
 罪に問われないからといって、公園内の運転も慎重に!

 余談だが、江戸時代には鹿を殺め、死罪になった子どもがいたという。
 「奈良の寝倒れ」という言葉があり、店前で鹿が死んでいると、鹿殺しの嫌疑がかけられる恐れがあり、こっそり隣の店の前に動かし、次々みんなそうやって自分の店の前から隣へと動かしていき、最後に寝坊で有名な男の店前に置かれた。
 その結果、その寝坊の男性は死罪となり、それ以来、奈良の商家はどこも朝が早いという。

 
 7.奈良公園の鹿はいつから、ここにいるのか?

 A.鹿は春日大社の神使であり、春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる。
 春日大社の創建は768年なので、奈良時代が正解。
 

 8.以前、深夜の奈良公園では、鹿が公衆便所に並んでいたという。何故か?

 A.トイレット・ペーパーを食べるため。
 入口がせまいので並んでいるように見えたのだろう。
 今は入り口に格子扉を付けたので、鹿は入れなくなった。

 9. 奈良公園の鹿は鹿せんべい欲しさにお辞儀をするというが、それは何故か?

 A.これは一番の難問かも。
 お辞儀をした鹿は観光客から鹿せんべいを貰える。
 貰っているうちにお辞儀すると貰えるということを鹿が学習したとしか言いようがない。
 よく観察すると、グループによってはお辞儀をしない鹿もいるようだ。
 昔、貴族が参詣する際、神の使いである鹿にお辞儀をしたといい、それを鹿が真似をして、代々、受け継がれているなんて言う人がいるが、これはあまりに嘘っぽい。
 本当のところは鹿に聞いてみるシカない!
 
 
 10.貪欲な食欲の鹿なのに、公園の鹿せんべい売りの鹿せんべいを食べないのは何故か?

 A.お店の鹿せんべいを食べようとして、売店のおばちゃんにひどく怒られたようである。
 やっぱり、学習しているようだ。
 「鹿せんべい、持ってないよ」と両手のひらを返して見せたら、去って行く。
 また、信号を見て、道路を横断する鹿までいるので、彼等は我々が想像する以上に頭がいいのかもしれない。

               

 7問以上、正解で「奈良公園の“鹿”ソムリエ」なんて言いましたが、もちろん、冗談です。
 皆さん、結果は如何でしたか?


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奈良公園の“鹿”検定 ~紅葉めぐり 7

2013-11-23 | 奈良の旅
 奈良公園の“鹿”検定 ~紅葉めぐり 7

              

 奈良公園の鹿はれっきとした野生のシカで、天然記念物である。
 奈良というと、鹿のイメージが強すぎて、近畿圏外の人の中には、「奈良には鹿がいたる所にいる」とマジで思い込んでいる人がいて、閉口したことがある。
 鹿がいるのは、奈良公園とその周辺だけであるので念のため。
 まあ、たまに遠くに遠征する輩もいるらしいが・・・。
 もっとも、吉野などの山岳地帯には本当の意味での野生のニホンジカが棲息している。

              

 では、表題の“鹿”検定を実施します。
 10問中、7問以上正解で、奈良公園“鹿”ソムリエの称号を授与します。
 えっ!?いらないって!!
 そんなこと言わないで、まず、初級編。

 1.奈良公園の鹿の生息数は何頭か?(100頭単位で)
 2.そのうち、雄の数は?
 3.平均寿命は?

              

              

              

 続いて、中級編。

 4.鹿の糞は誰が掃除するのか?
 5.奈良公園では鹿が食べないため、増えてしまった植物がある。それは何?
 6.奈良では運転中、誤って、鹿を轢いたら、罪になる?
 7.奈良公園の鹿はいつから、ここにいるのか?

              

              

 上級編は文章記述式です。

 8.以前、深夜の奈良公園では、鹿が公衆便所に並んでいたという。何故か?
 9. 奈良公園の鹿は鹿せんべい欲しさにお辞儀をするというが、それは何故か?
 10.貪欲な食欲の鹿なのに、公園の鹿せんべい売りの鹿せんべいを食べないのは何故か?

              

              

              

 解答は次回で! 


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天川村逍遥 ~紅葉めぐり 4

2013-11-19 | 奈良の旅
  天川村逍遥 ~紅葉めぐり 4

             

 霊峰「大峰山」の麓に広がる天川村は幾度となく訪れた地。
 そして、また再び、戻りたくなる不思議なパワーを感じさせる地。
 みたらい渓谷の後は、天河神社(天河大辨財天社)に向かう。
 日本三大弁財天の筆頭であり、大峰本宮とされる古社。
 芸能の神様としても有名。

             

             

             

 次に洞川(どろがわ)に向かう。
 修験道(大峰信仰)と登山基地でもある、洞川は昔懐かしい温泉街が連なっている。
 また、“ごろごろ水”という名水が湧き出る地でもある。
 大峰山の山上ヶ岳登山口には「女人結界」が現存したりする。

             

             

 龍泉寺は、今から1300年前、大峰山の開祖、役の行者によって、草創された名刹。
 全国根本道場でもある。

             

             

 『日本霊異記』では、役の行者(役小角)は、「孔雀王の呪法を修持し不思議な威力を得て現に仙人となりて天に飛ぶ縁」と記されている。
 また、鬼神を自在に操ったとか、伊豆島に流されたが、昼だけ伊豆におり、夜には富士山に行って修行したとある。
 まさに古代日本のスーパーマンである。

             

 洞川は役の行者の高弟“後鬼”の子孫の里とも云われている。

             

 龍泉寺の紅葉も今、盛りであった。

             

             

             

 帰り道、不思議な光景に遭遇した。
 ススキと紅葉のコラボである。
 


             

             

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平城京天平祭・秋 1 ~甦る古都の秋まつり

2013-11-13 | 奈良の旅
  平城京天平祭・秋 1 ~甦る古都の秋まつり

              

 平城宮跡で、「平城京天平祭・秋」が開催されていた。
 エントランスとなる、朱雀門周辺は菊薫る佇まいで彩られていた。

              

              

 この日は第一次大極殿前で「曽爾の獅子舞」、「十津川の大踊り」、「石見神楽」が見られるとあって、大勢の方がいらしていた。

 久し振りの「せんとくん」。
 秋バージョンだそうで、モミジを頭に飾り・・・。 これもなかなか、異様だ。

              

 いよいよ、「曽爾の獅子舞」が始まった。
 曽爾村の門僕(かどふさ)神社の秋祭りで奉納される300年近くの歴史ある伝統芸能。
 毎年、行こう行こうと思っているが、未だに行けずじまいのままだった。
 平城京でお目にかかるとは思わなかった。

              

              

              

              

              

 続いて、「十津川の大踊り」。
 室町時代に流行した風流踊りの流れを組む盆踊り。

              

 東院庭園では、「甦る古都の宴」と題して、古代衣装のファッションショーが催されていた。

              

              

              

              

 平城京を警護する「衛士隊の再現」。

               

               

               

 盛りだくさんな「平城京天平祭・秋」は次回につづく。


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鹿の角切り ~奈良の秋の風物詩

2013-10-10 | 奈良の旅
  鹿の角切り ~奈良の秋の風物詩

              

 「鹿の角切り」は鉢巻きに法被姿の勢子(せこ)と呼ばれる人たちが、荒々しく走り回る鹿の角に縄をかけて、暴れる鹿を取り押さえる。
 そして、烏帽子(えぼし)を被った神官が、のこぎりで角を切り、神前に供えるという、古都奈良の秋を彩る伝統行事である。

               
  日時:  10月12日(土)・13日(日)・14日(月)
  12:00~15:00(最終入場14:30まで) 雨天中止(小雨決行)
  場所:  奈良公園内「鹿苑(ろくえん)」角きり場(春日大社参道南側)
  
  拝観料:  大人(中学生以上)1000円、子供(小学生)500円
  お問い合わせ:  財団法人 奈良の鹿愛護会 0742-22-2388

               

                

 鹿苑に放たれた三匹の鹿は、何事が始まるのかと怯えているようにみえた。
 野生の鹿と人間が共存していくためには、シカたのないこととはいえ、少し可哀そうに思った。

               

 この行事の由来は、角鹿が、町民に害を与えたり、お互いに突き合って死傷したりすることが多かったため、1671年に、当時、鹿の管理者であった興福寺が、奈良奉行立会いのもとで始めたと伝えられている。
 角は、そのままにしておいても、春先には自然に抜け落ちるという。

               

               

               

               

               

               

               

            
 「取ったどぉ!」と言わんばかりに神官が角を掲げる。

               

 角を取られて、放心状態の鹿。

                

 「角」を取らなければ、鹿が去るか、人が去るしかなかった。
 何か不条理なものを感じてしまうが、この収益が鹿の保護に役立つのなら、これもいたシカたない。
 

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今井町・再び ~HANARART(はならぁと)

2013-10-08 | 奈良の旅
  今井町・再び ~HANARART(はならぁと)

 重要伝統的建造物群保存地区の中でも日本一の規模を誇る今井町。
 たびたび、訪れる町ではあるが、一週間後に再び、訪れるとは思わなかった。

              

 街なかに入ると、そこは江戸時代。約500軒を超える当時の民家が連なる。
 「夢ら咲き長屋」という民芸物産店にお邪魔する。

              

 古い着物を民芸品などに仕立て直した品が並ぶ。
 どれも味わい深いので、お店の方と話しこんでいるうちに、「平野郷を着物で歩こう!」の話になった。
 紙再生工房作の例の「平野郷を着物で歩こう!絵葉書」をお見せしたら、気に入って、買っていただいた。
 売り込むつもりはなかったのだが、絵葉書などを売るお店に入って、絵葉書を売るとは我ながら、その図々しさに厭きれてしまう。
 おまけに、お店の左の壁に絵葉書とちらしまで、貼っていただいた。
 感謝、感謝!

              

              

 歴史的民家の犬は気位も高そうだ。こちらをちらりと一瞥した。

              

              

 長期滞在型アート展「HANARART・はならぁと・えあ」。
 これは作家が町家に滞在しながら地域と深く関わりあい、作品を制作・発表する展覧会である。

              

              

              

              

              

 まるで、アートの一部と化してしまったかのような作家の方もいらした。

              

              

 驚いたことにJR万葉まほろば線の土手に羊がいた。

              

 これは除草のために、山添村めぇめぇ牧場の羊たちを出張させているのだという。
 (羊プロジェクトという)
 地域コミュニティの活性化のために、こんな発想があるのかと感心した。

              

 さて、一週間を経ただけで、今井町を再訪した最大の理由は、「今井町町並み保存会」会長の若林捻(梅花)さんにお会いして、「今井町を着物で歩こう」のお話をお聞きするため。
 けっして、着物姿の女の子を写しにきたのではない。

              

              

 先週、訪れた際、お見かけしたのだが、お忙しそうだったので、奥さまとお話しただけだった。
 今回は、ノーアポにも関わらず、1時間近く、時間をいただいてお話をうかがった。


              
(写真はTetsudaさんの人気ブログ「どっぷり奈良漬」から拝借。

 若林さんは今井町まちづくりの重鎮で、メディアでも、よく拝見するお方だ。
 茶人風の和装は特別な時だけかと思っていたが、どうやら、ご普段からのようだ。
 (失礼ながら、森繁久弥さんに似ていらっしゃると思った。)
 
 「平野郷を着物で歩こう!」について、「一過性のイベントにしてしまっては駄目。」
 「あせらずに、じっくり、長いスパンで、地域住民に根差したモノにしなければ。」
 とご指摘を受けた。
 「今井町町並み保存会」では、タンスに眠って着なくなった着物や、不要になった着物を住民の方々に提供してもらって、少しづつ、イベント用の着物在庫を増やしていったそうだ。
 いいお話をいただいた。収穫ある訪問だった。
 
 若林さんのブログはこちら「梅花のつれづれ日記」


  


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