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1982年卒業旅行 6.フィレンツェ・ピサ・・・イタリア

2020年05月20日 | 旅・外国
1982.3.1. 
8:00、起床(渋谷のモーニングコール)。8:30、朝食。9:00ホテル出発。バスにて、ドゥオーモへ。メヂチ家の廟、ドゥオーモ観て、10:00過ぎ駅へ行き、ピサまでの往復切符(4000リラ)買い、チンザノ飲み、構内の写真撮る。植出、渋谷、トイレ。列車の運転手に運転席に乗せてくれと頼むがダメ。ローマの地下鉄では、僕と植出がいちばん前で見ていると。運転手が運転席に入れてくれ、運転中に三人で記念撮影したのに・・・

 
ピサ行きの列車はフィレンツェ・セントラル駅の1番線より定刻10:58より遅れる事10分、11:08発車。(もちろん発車ベルなど鳴らない)

遅れの原因は、ピサから来た列車が遅れたので、機関車が使えなくなってしまった事。

 
2等は8人がけのコンパートメント。

メンバーは植出、小野、生田、先生、渋谷、僕、松山、手塚。

手塚、渋谷、植出、僕は4人の会のメンバー。

※この日の夜、フィレンツェのホテルで結成された。

列車のトイレは広くてきれい。連結器は鎖で、緩衝器付だ。乗り心地良し。ピサに7~8分遅れで到着。駅構内で、アラレ、アカネ、東大と、駅前で渡辺おばちゃんとアボに会う。バスNo.1にてピサの斜塔へ。

 
ピサの斜塔は思ってたより傾いている。(入場料1500リラ・・・ピサの斜塔はこの後、傾きがひどくなった為、傾かない工事をした) 

バチカン以来、よくらせん階段を登らされる。

屋上以外、柵無し。植出、渋谷、気分を悪くする。落ちる人もいるそうだ。日本なら、どこもかしこも柵にするのだろうが、イタリアは自己責任を重んじるお国柄なのだろう。

ピザとワインの昼食をバス停前の売店で。ワイン残す。ピザ3つ食う。

 
バスにて駅に戻り、14:45の列車でフィレンツェへ。渡辺おばちゃんも一緒の列車。僕らと同席するのを嫌がる。先生がいるかららしい。

 
フィレンツェに着き、Valentino、Gucciと回る。

コバ、アネゴらに会う。先生、そっちに付いていく。僕ら、スポーツ店でFILA見つけ、手塚と僕、ペアルック。値段は6000円位。ちょっと、色が渋かったかなぁ。渋谷が考えていたものは品切れ。

 
ドゥオーモの横でコバ、アネゴ、先生に会う。

コバ「助かったぁ!!」

ドゥオーモ近くの、コバが前日行ったレストランにて、スパゲティ、ステーキ、サラダの夕食。植出、コバ、渋谷、手塚、サノ。
 

ホテルへ帰り、FILAを生田、小野に見せに行く。生田いつも通りホメてくれる。ナポリへのオプショナルツアー以来、植出・今村、生田・小野の部屋割りは変わっていない。

自室に戻ろうとすると、アラレ、アカネの声がするではないか! 声の聞こえたドアを開ける。東大コンビにアラレ、アカネ。

お邪魔虫という感じ。でも負けずにFILAを見せまくり、居座る。タケチャンマン、帰ると言い出し、僕も帰る。笑われたかな? 人の事など気にしない様にしよう。

部屋に帰り、改めて植出と2人で中央大(渋谷、手塚)の部屋へ。いろいろ、くっついたウワサする。川久保・薄葉⇔生田・小野、東大2人⇔アラレ・アカネ等。

そして、僕ら4人は結局余る。だから、「4人の会」を作ろうと・・・。この先、訪れるウィーンの森を女の子の肩を抱いて歩きたかったなどとブツブツ言う。

※渋谷も植出も彼女がいた植出なんか、旅行中、何回彼女から手紙もらっていた事か・・・アホくさ!)

部屋へ帰り、入浴後、就寝。


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