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1982年卒業旅行 9.ザルツブルク〜ミュンヘン・・・オーストリア・西ドイツ

2020年05月25日 | 旅・外国
1982.3.5.

6:30モーニングコール。7:15朝食。8:00バスでホテル出発。

車中、眠っている

 11:30ザルツブルグ到着。下痢気味。植出に2シリング借りて、トイレに飛び込む。城に2人で歩いて登る。下痢でしんどし。城に感慨無し。なにせ下痢。上で添乗員の深沢さんと会う。ケーブルカーで下山。下でサノと先生に会う。歩いて登って、ケーブルカーで降りたと言うと、「それ逆じゃない?」と先生に言われた。腹が立つ。

 
銀行にて両替。植出と2人で10ドル。川を渡って駅へ行く途中で昼食。ホットドッグ、ハンバーガー、紅茶。シリング足らず。チップ払えない。植出、僕に支払いをまかせる。ノー・チップで店のおばさんの顔が引きつる。おばさん、ゴメンね。

オーストリアは日本車が多い。ドイツだと自国のメーカー、BMWとかアウディがあるが、オーストリアにはそれが無いからなのか。

 
歩いて15分、ザルツブルグ駅に切符を買いに行く。2人で300円の切符一枚しか買えず、バスに戻って二つに切る事に。

コーラを買って、2人で飲む。金の無いのが侘しい。

 

※両替をすればいいじゃないかという話になりそうだが、1982年当時は「米ドル」はともかく、エジプト・ヨーロッパ諸国の通貨は日本に持ち帰って、日本円に戻すのがとても難しかった。まだドイツが東ドイツと西ドイツに分かれていた時代だから、当然「ユーロ」などあるはずもない。

この旅では、各国の通貨を各国滞在の最終日に使い切るという作業もあったのである。

 

モーツァルトの生家及び家に行く。トンネルのところで、コバ、アネゴに会う。

バスの手前に1シリング入れて回すとカプセルの出る機械あり。植出の1シリングでコバやる。ガムが出てくる。まずいガム。14:50、バスへ帰着、サノ、現地の人にビール5杯奢って貰って20分遅れる。

 

バスは一路ミュンヘンへ。小野・玉井はバスの中ではウォークマンばかり。植出・僕、睡眠。ミュンヘン市内を通り、BMW本社、オリンピック・スタジアム等を見て、ホテルへ。市内からめちゃんこ遠い。

部屋はまあまあ。ホームバー付いている。

 

18:40、植出、サノとホテル発。地下鉄の駅(alte heide)まで歩いて10分。ミュンヘン地下鉄もただ乗り。U6→U8と乗り継いで、ミュンヘン中央駅へ。切符が買えず、使用済みの切符を貰う。

コペンハーゲンに行くという日本人の女の子2人にどの列車がいつ出るかを教える。彼女らは柱の「arrival(到着)」の時刻表を見ていたのだ。「departure(出発)」の方を見なければならないのに。
ユーレールパスでヨーロッパを回っているそうだ。

植出によると、ホフブロイハウスには「あて」がない(僕はあると思った)というので、マクドナルド2軒に寄り、ビッグマック・フィッシュマック・オレンジジュースを買う。西ドイツのマクドナルドの飲み物はカップに線が入っており、その線まで飲み物を入れてくれる。ドイツ人らしい正確さだ。

 
ホフブロイハウスはにぎやかだ。みんな肩を組んで歌っている。ドイツ人がこんなに陽気だとは思わなかった。楽隊がホールの真ん中で明るい曲を演奏し、通路で踊っている人もいる。入口を入って左側、渋谷・小野・生田らが飲んでいる。ここに席は無く、奥へ行けと店員が言う。

アネゴ・コバ・鈴木・高橋・山ちゃん・アボさんがいて、かなり出来上がった様子。20:00頃来たという。40分くらい経っている。

ジョッキは1ℓ。飲みごたえあり。周りでドイツ人が歌を歌うので、植出・サノと負けられん言うて、日本の歌を大声で歌う。松田聖子の「赤いスイートピー」。

突然、植出とサノ、通路で踊り出す。ドイツ人のおじさん、コバを引っぱり出す。おじさん、大きな腹で赤い顔して、すごくいい感じ。照れが無いのがいい。

僕も乗って来て、コバを連れ出しホフブロイハウス狭しと踊る。最後は楽隊の前で踊ったのだ。うれしがり半分、はずかしさ半分。

踊り終わって席で飲んでいると、ドイツ在住の日本人がやって来て、

「今、踊っていたのは君でしょ? 一緒に飲みませんか?」と誘われる。みんなで行く。植出トイレへ。楽隊のすぐ近くの席。ドイツ在住の子。慶応法学部。春休みで遊びに来ている。ドイツ人の若者。その彼女らしい日本人の女性(ドイツに来て1ヶ月・神戸の垂水出身)、コバ・山ちゃん・アボさん。

植出、トイレから戻って来て、コバに帰ろうという。遅いので女の子を送っていくのやそうだ。

コバ、2人を乗り越えて帰る。

「僕らより植出の方がそんなにええんかい」という気持ち。

山ちゃん、アボさん、僕残る。

「聖者が町にやって来た」「リパブリック讃歌」をみんなで肩を組んで歌う。

楽しい。コバの事なんか忘れた! (というのは嘘)

ドイツに在住している日本人青年は19歳で、16歳の時、こちらへ来たという事。日本では「自分」が潰されると思ったという。僕が16歳の時、そんなこと考えられなかったなぁ。でも、日本にいて、「自分」が潰されると感じるのには同感。

ドイツ人のおじさんとタバコを交換。フィルター無しの方が美味いとの事。

 

23:40、ハウスを出る事になり、トイレに行く。めちゃんこ広い。きれいなトイレ。僕はひどい下痢。トイレに座っていると聞こえて来るではないか、あの名曲「リリー・マルレーン」。しばし、聞き惚れる。

ハウスを出ると、同じツアーの連中が10人くらい。どこで飲んでいたんだろう。

地下鉄のホームで酔っぱらいと両手をつないで踊る。手の甲にキスされた。気持ち悪い。24:00過ぎホテル着。小便したくて、急いで11階へ上り、部屋のドアを叩くが、誰もでない。植出が寝てしまったのかと思い、アネゴの部屋へ行く。コバ帰っておらず・・・あいつら、何してるんや!

 

フロントにキーを取りに行き、やっと部屋に入れる。クソをして、風呂に入り、くつろいでいると、植出帰ってくる。

「なにしとったんや?」と聞くと、

「まず駅に行き、ポルノ見ようと思ったが、やめた。

地下鉄乗ってホテルに帰ろうと思ったが、間違えてオリンピック・スタジアムへ行ってしまった」との事。

サノの後日談。「地下鉄の駅で植出とコバに気ぃ遣って、トイレに行くと言って、陰から見ていたが、植出は何もしようとしなかった。でも、いちゃいちゃはしていた」との事。

25:00就寝。


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