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1982年卒業旅行 7.ベネチア・・・イタリア

2020年05月20日 | 旅・外国
1982.3.2.
  6:30モーニングコール。7:15朝食。8:00ホテル発。

10:00ボローニャにて休憩。パン、ファンタ。胃の調子おかしい。イタリアに入ってからだ。BAR(バール)のトイレ故障。クソ! エジプトからずっと見てきて、男子より女子の方が胃腸は強い。

 
13:00前、ベネチアのローマ広場到着。

 
手塚は姉の事を「お姉さま」、父を「パパ」、母を「ママ」と呼んでいるそうだ。ええとこのボンボンなのか?

先生に両親の事を何て呼んでいるか訊くと

「用が無いから呼ばない」

との答え。

サンタルチア駅前から船でレナルト橋へ。歩いてサンマルコ広場へ。ベネチアングラスの工場見学後、昼食。イタリアでは前菜として食べる「スパゲティ」を2つ食い、メインを頼まなかったら、イタリア人に笑われた。昼食代で感じたのは、ベネチアは物価が高い。観光都市のせいなのかなぁ。

 

サンマルコ広場にはゴンドラの船頭がたくさんいて、ゴンドラに乗らないかと誘う。値切る為、最初の言い値で「No thank you !」と言って、立ち去るふりをする。すると、別の船頭が追いかけて来て、また交渉。

最終的には、40分6ドル。2隻借りる。小野・生田・植出・コバ・アネゴと渋谷・鈴木・高橋(神田外語学院・・・海外が怖くて、ギリシャでは一歩もホテルから出られず、カップヌードルを食べていた女の子二人)・僕・先生。なんでこうなったんだ。先生がゴンドラのいちばん前に陣取る。先生の白いダウンが目障りで、みんな写真を撮る気が失せる。水汚い。水位が上がって、家々が沈んだのがベネチアだそうだ。「一方通行」とか「コーナーミラー」なんかもある。しかし、住むには湿気が多すぎるのだろうな。船頭はコーナーでクラクション代わりに「オーエー」と叫ぶ。

有名な「ためいき橋」の下を通る。夕暮れ、鐘が鳴る時、この橋の下でキスをすると「永遠の愛」を手に入れる事ができる。映画「リトル・ロマンス」にこの橋の事が出てくる。

 
ゴンドラから降りて、「ためいき橋」を渡ろうと思うがもう夕方で閉まっていた。

植出と2人で駅に向かう。サンタ・マリア・グロリオーサ・デイフラーリ教会(長い名前付けるな!)で、とっても親切なイタリア人のおじさんに会う。教会が閉まっていても、「この人たちはわざわざ日本から来たのだから」と言って、なかば強引に中へ連れ込んでくれる。

おじさんも駅に行くというので、同行させてもらう。道中、いろいろ話をしようとするが、おじさんはイタリア語しか話せず、こちらは日本語、お互い苦笑い。記念撮影。

このおじさん、僕らと出会った後、手塚と渋谷に会い、二人を飲みに誘ったそうだ。

 
植出と僕は切符を買いに駅へ。

夕食は駅の近くで、飯島さんらの入っている店で、小野・生田・植出・僕・先生と。スパゲティ、ステーキ。食べていたら、コバが窓に張り付く。
「お金が無いから食べ物買って、列車の中で食べるよー!」と言っているらしい。

食べ終わり、駅へ行くとみんな集合している。

深沢添乗員「好きなもの同士、6人のグループ作れ!」と言う。

植出らのところに行くが断られる。クソッ! 彼らはコバ・アネゴ・渋谷・植出・小野・生田。

結局、僕・手塚・東大コンビ・アラレ・アカネの6人組。

ウィーン行きの寝台特急に乗り込む。寝台は日本より天井(下段)が低い。スーツケース6つ入れるといっぱいだ。いちばん上がアラレとアカネ、真ん中が手塚とタケチャンマン(東大)、そして下が角野(東大)と僕。

先生は添乗員と2人で寝る事になり、一言、

「おまえら、ええなぁ。女いて。俺にも一人回してくれ」
どういう性格や!

コインが余っていたので、コーラ買う。後ほど、500リラ札があまっ余っていた事に気付くのだが後のまつり。みんな食糧、飲み物買っている。

パッパラバーズ来て、トランプ。ど貧民大会。国境付近は雪。なかなか寝付けず、24:00就寝。

夜中、腹おかしく、一回トイレへ。日本の寝台特急にもあった「便がそのまま外へ排出される方式」のトイレ。座っていると山岳地帯の冷たい冷気がお尻に直接当たり、思わず「寒っ!」と言ってしまう。

ウィーン行き寝台特急は雪の中をただひたすら疾走する。



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