ジミー・ウォング(王羽、 ワン・ユー、Jimmy Wang-Yu、Wang yu、本名:王正權 1943年3月18日 - )は、中国江蘇省出身の映画俳優・映画監督・プロデューサー。日本での愛称は「ジミーさん」「ジミー先生」など。
プロフィール
1943年3月18日 中国江蘇省の裕福な家庭に生まれる。高校・大学時代には水泳や水球の選手として活躍していたが、試合中の乱闘事件により選手資格を剥奪されてしまう。その後、新聞に掲載されていた香港の映画会社ショウ・ブラザーズ社のオーディションに応募したところ見事合格。1964年、チャン・ツェ監督の『虎侠殲仇』にて俳優デビューを飾る。
67年には『獨臂刀(邦題:片腕必殺剣)』のヒットにより香港映画界きっての大スターへと成長し、東南アジアでは”天皇巨星”と謳われるほどの人気を博す。なお、以降も何度も演じあたり役となった「片腕の武芸者」は、金庸の武侠小説の影響だという。
70年には自身初の監督・脚本・主演を担当した『龍虎鬥(邦題:吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー)』が大ヒットし、のちの香港カンフー映画ブームの基礎を築いたといわれている。(余談。この映画を当時アメリカで見たブルース・リーが「俺のほうがもっとうまく作れる!」と香港帰国を決意した作品でもある。)
1970年 ショウ・ブラザーズ社から独立したレイモンド・チョウ率いるゴールデン・ハーベスト社に移籍。71年には勝新太郎と競演した『新座頭市 破れ!唐人剣』 72年には伝説的なカルト映画『獨臂拳王(邦題:片腕ドラゴン)』に主演する。しかし実生活でのトラブルが少なくなく、暴力事件や香港黒社会との関係などが取り沙汰されスターとしての人気が低迷、活動の拠点を台湾へと移す。台湾では香港第一影業公司と契約、『英雄本色(邦題:ドラゴンvs不死身の妖婆)』『覇王拳馬永貞(邦題:ドラゴン覇王拳)』『四大天王(邦題:怒れるドラゴン 不死身の四天王)』など数多くの作品を生み出す。
近年は実業家として活躍中である。
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‘70年代、世間を熱狂させたブルース・リーの“ドラゴン”ブームに感応し、監督のジミー・ウォング自らが脚本・主演を務めたエネルギッシュなカンフームービー。片腕を失ったヒーローが、奇抜な戦法と超人的なアクションで敵を倒していくさまは“壮快”の一語に尽き、「ありえない」と思いながらもぐいぐい惹き込まれてしまう。また、格闘シーンの殴打音もかなり派手で、当時の劇画的な手法が感じられて興味深い。よい意味で“ベタ”なおもしろみが随所にあり、カルトものならではの愉快さを堪能できる。あまりにもステレオタイプな悪の集団など、今は新鮮に感じられるキャラクター設定も、見ていて楽しい。――舞台は清朝末期。敵の罠にはまったティン(ジミー)は、仲間を殺され、自らも片腕を失ってしまう。復讐を決意した彼は…!(みき~る)
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
『燃えよドラゴン』に続いて、日本におけるドラゴンブームを巻き起こしたアクション。敵対する悪徳道場・鉄鉤門のマーと乱闘騒ぎを起こした正徳武館のティエロンは、師匠から謹慎処分の罰を受ける。しかしその間に、正徳武館が襲撃されてしまい…。
ブルース・リーが亡くなった後、「片腕ドラゴン」とかに主演していた。懐かしい。
プロフィール
1943年3月18日 中国江蘇省の裕福な家庭に生まれる。高校・大学時代には水泳や水球の選手として活躍していたが、試合中の乱闘事件により選手資格を剥奪されてしまう。その後、新聞に掲載されていた香港の映画会社ショウ・ブラザーズ社のオーディションに応募したところ見事合格。1964年、チャン・ツェ監督の『虎侠殲仇』にて俳優デビューを飾る。
67年には『獨臂刀(邦題:片腕必殺剣)』のヒットにより香港映画界きっての大スターへと成長し、東南アジアでは”天皇巨星”と謳われるほどの人気を博す。なお、以降も何度も演じあたり役となった「片腕の武芸者」は、金庸の武侠小説の影響だという。
70年には自身初の監督・脚本・主演を担当した『龍虎鬥(邦題:吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー)』が大ヒットし、のちの香港カンフー映画ブームの基礎を築いたといわれている。(余談。この映画を当時アメリカで見たブルース・リーが「俺のほうがもっとうまく作れる!」と香港帰国を決意した作品でもある。)
1970年 ショウ・ブラザーズ社から独立したレイモンド・チョウ率いるゴールデン・ハーベスト社に移籍。71年には勝新太郎と競演した『新座頭市 破れ!唐人剣』 72年には伝説的なカルト映画『獨臂拳王(邦題:片腕ドラゴン)』に主演する。しかし実生活でのトラブルが少なくなく、暴力事件や香港黒社会との関係などが取り沙汰されスターとしての人気が低迷、活動の拠点を台湾へと移す。台湾では香港第一影業公司と契約、『英雄本色(邦題:ドラゴンvs不死身の妖婆)』『覇王拳馬永貞(邦題:ドラゴン覇王拳)』『四大天王(邦題:怒れるドラゴン 不死身の四天王)』など数多くの作品を生み出す。
近年は実業家として活躍中である。
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‘70年代、世間を熱狂させたブルース・リーの“ドラゴン”ブームに感応し、監督のジミー・ウォング自らが脚本・主演を務めたエネルギッシュなカンフームービー。片腕を失ったヒーローが、奇抜な戦法と超人的なアクションで敵を倒していくさまは“壮快”の一語に尽き、「ありえない」と思いながらもぐいぐい惹き込まれてしまう。また、格闘シーンの殴打音もかなり派手で、当時の劇画的な手法が感じられて興味深い。よい意味で“ベタ”なおもしろみが随所にあり、カルトものならではの愉快さを堪能できる。あまりにもステレオタイプな悪の集団など、今は新鮮に感じられるキャラクター設定も、見ていて楽しい。――舞台は清朝末期。敵の罠にはまったティン(ジミー)は、仲間を殺され、自らも片腕を失ってしまう。復讐を決意した彼は…!(みき~る)
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
『燃えよドラゴン』に続いて、日本におけるドラゴンブームを巻き起こしたアクション。敵対する悪徳道場・鉄鉤門のマーと乱闘騒ぎを起こした正徳武館のティエロンは、師匠から謹慎処分の罰を受ける。しかしその間に、正徳武館が襲撃されてしまい…。
ブルース・リーが亡くなった後、「片腕ドラゴン」とかに主演していた。懐かしい。