今年、年男の僕は1960年2月27日生まれである。あと二日生まれるのが遅かったら、誕生日は2月29日になっていた。「うるう年」の事が気になったので調べてみた。
閏年(うるうどし、じゅんねん)とは、閏がある年である。閏年でない年を平年と呼ぶ。
通常、閏年は平年より暦日または暦月が1つ多い。その余分な日・月を閏日・閏月、総称して閏と呼ぶ。閏は、暦と、太陽または月の運行(太陽の運行は季節の移り変わりを、月の運行は月相を決める)とのずれを補正するために挿入される。閏の挿入規則を置閏法と呼ぶ。
「閏」が表外字のため、うるう年とも書く。ただし、潤年は間違いである。
太陽暦
太陽暦では、季節に暦を一致させるため、暦年の平均の長さを、平均回帰年(約365.242199日)に一致させる。
通常の太陽暦では、平年は365日で、閏年は閏日が挿入されて366日である。閏年は約4年に1度ある。
古代エジプト
古代エジプトの暦には閏年はなかった。1暦年は常に365日で、4.129年に1日の割合で暦と季節がずれた。農民は暦ではなくシリウスを見ることで、農作業のスケジュールを決めた。
当時すでに、回帰年は365.25日という観測値が得られていたが、暦に反映されることはなかった。
ユリウス暦
ユリウス暦は、紀元前46年、古代ローマで採用された。4年に1回、西暦年が4で割り切れる年(ただし、西暦はまだなかった)を閏年としていた。
1暦年は平均365.25日で、約128年に1日の割合で暦と季節がずれる。しかしこれでも、閏年をおかない場合に比べれば、大きな進歩である。
ユリウス暦では、閏年には、2月の日数を1日増加させ、29日とする。2月である理由は、古ローマ暦ではMartius(のちの3月)が年初で、Februarius(後の2月)が年末だったからである。厳密には、共和制初期にIanuarius(のちの1月)を年初とするように変更されたが、まだ古い慣習が残っていた。(月を数字で表すようになったのは最近であることに注意)
ユリウス暦は1000年以上に渡って使われたため、後の世になればなるほど暦と季節が大きくずれた。ヨーロッパのキリスト教教会は325年のニカイア公会議で春分を3月21日と定め、それに従って復活祭の日付を決めていたが、16世紀には天文学上の春分は3月11日ごろとなり、大きな問題となっていた。
グレゴリオ暦
そこでローマ教皇グレゴリウス13世は、同世代を代表する学者たちを招集して委員会をつくり、暦の研究を行わせた。こうして1582年、グレゴリオ暦が制定された。グレゴリオ暦は数百年かけて各国で採用されて、現在に至っている。
次の規則に従って、400年に97回の閏年が設けられる。1暦年は平均365.2425日で、約3320年に1日の割合で暦と季節がずれる。
西暦年が4で割り切れる年は閏年
ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年
ただし、西暦年が400で割り切れる年は閏年
グレゴリオ暦では、ユリウス暦同様、閏年には2月が29日まである。現在のグレゴリオ暦では、2月29日が閏日である。しかし西洋の古い伝統では、2月24日が閏日とみなされる(欧米で2月24日が閏日であることの由来を参照)。
グレゴリオ暦の閏年に関するトピックス
近代オリンピックの夏季オリンピックは、4年に1度、4で割り切れる年に開かれ、1900年の第2回パリオリンピックを除き、閏年に開催されている。冬季オリンピックも、1992年のアルベールビルオリンピックまでは、夏期と同じ年に開かれていて、それまでは全て閏年である。そのため閏年に関してはスポーツ関係を中心にしばしば「オリンピックイヤー」という呼称が使われる。
1900年は100で割り切れる数字のため閏年ではない(2000年は400で割り切れるため閏年)。また冬季オリンピックは1924年より開始されている。
アメリカ合衆国大統領選挙も同様で、最初の1789年の選挙と、1900年の選挙を除き、閏年に行われている。
閏年の西暦年は必ず4で割り切れるので、閏年の干支は子、辰、申のいずれかである。
日本においての閏年の算定は、グレゴリオ暦(西暦)ではなく、神武天皇即位紀元(皇紀)によって行なうことが、法令(明治31年勅令第90号(閏年ニ関スル件))により定められている。
明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件・明治三十一年五月十一日勅令第九十号)
神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス
西暦2000年は、3番目のルールに当てはまる、400年に一度の閏年であった。しかし、2番目までのルールをもって、2000年を平年と誤解する者がいたため、これが2000年問題の一因となった。次の4で割り切れる平年は、西暦2100年である。
グレゴリオ暦の閏年に関する規則より、グレゴリオ暦は400年で繰り返すことになる。この400年の総日数(365日×400+97日=146097日)は7で割り切れるため、曜日も400年で繰り返すことになる。そのため、ある決まった日(たとえば1月1日)がある曜日(たとえば日曜日)になる確率は、厳密にいうと7分の1にはならない。
2000年から2400年までの間に、1月1日が日曜日になる確率は58/400、土曜日になる確率は56/400である。
13日が金曜日になる確率は7分の1より大きい(688/4800=0.14333...は1/7より大きい)。
改訂ユリウス暦
1923年、ユリウス暦を使っていたギリシャ正教会など幾つかの正教会は新しい暦を採用した(ロシア正教会やアトス山の修道院などは依然としてユリウス暦を使用)。この暦はグレゴリオ暦と日付は一致しているが、厳密には、改訂ユリウス暦と呼ばれる別の暦である。
改訂ユリウス暦は次のような置閏法を持つ。1暦年は平均365.242222日で、約4万3500年に1日の割合で暦と季節がずれる。これは、グレゴリオ暦より精度がいい。
西暦年が4で割り切れる年は閏年
ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年
ただし、西暦年を900で割った余りが200または600になる年は閏年
3.がグレゴリオ暦と異なる。100で割り切れる年のうち閏年となるのは、グレゴリオ暦では1600年、2000年、2400年、2800年、3200年、3600年、…だが、改訂ユリウス暦では2000年、2400年、2900年、3300年、3800年、…、である。
2799年までは2つの暦は一致している。しかし、2800年がグレゴリオ暦では閏年なのに対し、改訂ユリウス暦では平年になり、日付が1日ずれる。2900年は逆に改訂ユリウス暦のみが閏年となり日付はふたたび一致するが、以後断続的にこのようなずれが生まれ、5199年を最後に日付が一致することはなくなる。







