お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

テレビの仕事をしていて・・・なんですが・・・

2005年12月21日 | テレビ
「特番」だらけの季節が来た。ほとんど、テレビの仕事に関わっていながら、この時期、テレビを見ない。「同じ様なタレントが、見た様な企画で、番組をやっている」としか、僕には思えないからだ。

かといって、「特番期間」で無い「レギュラー番組」をやっている時も、テレビはついている事はあっても、毎週見たい番組は、今年で言えば、日テレの連続ドラマ「女王の教室」くらいだろうか。

 考えてみたら、「テレビというメディア」は、「離乳食」になってきていると思う。「分かりやすすぎる」のだ。
「想像力」無しで見られて、その時、面白い番組の数々。その歪みが「やらせ」という行為に繋がっているのかもしれない。ディレクターが、視聴者は「こういう流れの番組を見たい」と、取材前に決めつけ、そういう展開にならないと、無理に自分の最初の構想にあてはめようとする。「やらせ」をやらざるを得ない環境にディレクター自らが落ちていく。ディレクターにも、「事実を受け止める包容力」も「予算や時間」も無く、放送に間に合わせる為、毎日、番組作りが行われているのだから・・・もちろん、すべての番組とは言わないし、ちゃんと「想像力」を掻き立てられる番組もある。

 となると、東京では、「今、人気のあるタレントの美味しい所を寄せ集めた番組」が多くなる。ある程度の視聴率は見込めるし、「タレントのエネルギー」を吸い取ってしまえば済む事だから。

 某放送局の「プロジェクト○」には前から疑問を感じていた。ドキュメンタリーなのに、まず「敗者」がいて、その努力や偶然が重なって、「勝者」になっていく集団を毎週放送できる事が不思議。そんなに、感動話は転がっていないよー。実際に、その番組に取材を受けた企業に勤める高校の友人の話では、N○Kの方から、こういうストーリーにしたいとの提示があり、それ以外の方向性の話をしても、取り合ってくれなかったそうだ。
「予算」も「取材時間」もあるN○Kでも・・・。

 僕自身もテレビという媒体とどう接していくか考え直さないといけない時期に来ているのだろう。
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「死」と「お墓」と「生きる」

2005年12月21日 | エッセイ・日記・意見
僕は、「死」に関して敏感である。特に父親を亡くしてからは。関西に出張で帰って、時間のある時は、神戸のお墓にお参りする。
 お墓の中を歩いていると、いろんな人の人生が見えてくる様な錯覚に捕らわれる。「軍人の墓」「明治・大正時代に建てられた墓」「若くして亡くなった人のお墓」・・・

「生きるという事」に対しての「欲望」が強いのかもしれない。だから、その対極にある「死」を敏感に感じ、恐れ、時にはおののくのである。

 テレビという箱の中で活躍していた人が或る日から突然、姿を消す。あるいは自然に消えていく。そして、何ヶ月か何年か経って、「その人の訃報」を聞くとドキドキする。最近、子供の頃、テレビで活躍していた人の訃報によく接する。自分が齢を重ねてきたという事なのだろうが、「ひとつの大切な思い出・懐かしさ」が消滅していく様な思いに駆られる。

 塾の先生に刺殺された女の子の事件があった。「ゲーム脳」全盛で、「五感」が鈍くなっている現代人は追い詰められると、心の中で「悪い方へ考え込むスパイラル」に囚われ、前後見境なく、常識では考え付かない様な事件を起こしてしまう。殺された子供の親や兄弟の思いを考えると、凄い脱力感を覚える。

もし、僕と妻の子供達に危害を加えたり、殺されたりしたら、気が狂うくらい「訳が分からなくなり」、僕は「加害者」を殺したい!!!と思うだろうし、それを行動に移すかもしれない。

その位、「人の命は尊いもの」であり、「かけがえのないもの」である事を分からなくなっている人間が潜在的にいるのだろう、今の日本に。悲しい事だし、そういう風潮を変えていかなければと僕は思っている。

今年、終戦60年の番組が多かったのも、テレビの視聴者が、「命について・・・どう生きるかについて、改めて考え始めた」のでは無いかと思う。終戦50年の時には無かった現象である。 
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手塚治虫の代表作「ブラック・ジャック」の壁紙があった!!!!!

2005年12月21日 | 本・雑誌・漫画
手塚治虫作品と僕の出会いは、小学館漫画文庫の「シュマリ」でした。それから、朝日ソノラマの「火の鳥」にはまり、当時、大学受験生だった僕の唯一の楽しみが手塚作品を読む事でした。「紙の砦」「ばるぼら」「I.L」「きりひと讃歌」・・・大都社から出ていた大人向けの漫画を読み漁りました。そうしているうちに、講談社から、「手塚治虫全集」が出始め、「ライオン・ブックス」や「タイガー・ブックス」等等、今でも自宅に120冊位の手塚作品があると思います。

だから、1989年2月9日、僕は大変なショックを受けました。亡くなる筈がないと思っていた手塚先生の訃報に接したからです。三日間くらい、仕事も上の空でした。

「火の鳥」の結末も見たかったし、「鉄腕アトム」の世界・21世紀の地球を手塚治虫はどう漫画で表現するのか・・・今の世の中にこそ、必要不可欠な漫画家だったと思います。とっても残念です。
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