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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

想像力

2005年12月20日 | エッセイ・日記・意見
僕は、Amazon依存症に罹っていると思う。元々、本が好きで、夜中に酔っ払って帰ってきて、メールチェックをする時、「買おうかどうか迷っている本」をつい、Amazonで「レジへ進んでしまう」。おかげで、毎日、Amazonから、何がしかの宅配便が届く。

キャバクラへ行ったり、ギャンブルをしたりするよりは、安上がりの「ストレス解消法」だとは思っているが、家の机の周りは、本とCDとDVDの山と化している。

女性の「買い物依存症」に似ていて、「買ったら、満足」。「積読」の如何に多い事か。

本は、好奇心を満たしてくれる。ブログのテーマも多くは本を読んで思いついたりもするので、これは止められない。「ブログを書く為に、本を読んでいる」様で本末転倒しているみたいだが、それでもいいと思っている。

小さい頃は「転校生」として苛められ、小学校の行き帰りも、本を読みながら、歩いていた。塾に通うようになっても、本を読む時間が幸せだった。本は「想像力」を鍛えてくれると思っている。

出来合いのものを買うのではなく、自分なりの「世界」を心の中で作るのだ。

塾の教師が生徒を殺害した。教室のモニターの電源を抜き、あらかじめ買っておいたナイフで、教え子を殺す。そこには、「想像力」というものが欠如している様に思う。自分のとった行動がどれだけの影響力を持つか。「命の尊さ」とは何か・・・その辺りが認識できていないのも、「想像力の欠如」が原因だと僕は思う。

「ゲーム脳」というやつかもしれない。受動的に他人が作ったゲームで遊んでも「想像力
」は鍛えられない。
「人を殺す」という事の「恐ろしさ」「間さ」というところに、「心が向いていない」のではないか。
「想像力」があれば、例え、相手が「自分にとって嫌な人物」でも、その人のバックボーンにあるいろんな事を想像できるはずである。

「行間」を読む事によって、本は人に「想像力」を与えてくれる。本屋を一日一回ぶらりとしたら、気になる本の一冊くらいあるだろう。それを手始めにいろんな世界に自分を置く事によって、「人間の心の幅」が拡がる様な気がする。

あの様な悲惨な事件がこのところ、続発している。テレビの仕事をしていて、こんなことを言うのはなんだが、テレビという媒体は「離乳食」である。誰でも分かるように、噛み砕いて、作ってある番組が多い。そうしなければ、民放という「視聴率」に縛られた媒体では仕事ができない。

だから、僕は無責任かもしれないが、自分の「感性」に引っ掛かったもの以外、テレビは見ない。というより、テレビをやっている時間に帰れないという理由もあるのだが。
文章以上に、「一つの風景」だったり、「台詞」だったり、「音楽」だったりが僕の想像を掻き立てる事がある。そんな番組を作っていきたい。

最近、真剣にそう思う様になった。



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