(久しぶりの登場です。)
いまNHKFMで「帰ってきた酔っ払い」を聞きました。いまは「悲しくてやりきれない」をやっています。フォーククルセーダーズ? いやあ懐かしい! 懐かしすぎる。 まさに古き良き?時代感たっぷりです。 当時は今と比べると本当にゆったりとしていた、時代の流れはゆっくりとしたものだったように感じます。が、当時としてはそれでもそこそこ時代の流れは早いと思っていたはず?と思いますが。 次の曲は「戦争を知らないこどもたち」です。 確かに我々は戦争自体は知りませんが、戦争の雰囲気というか、戦後の、闇市等の影響を引きずっていたと思います。何と言っても実際に戦争に従事した(従軍した)人たちがまだたくさんいましたから。小学校や中学校の先生の中にも軍隊に行っていた人たちが結構いました。 また、大崎八幡神社のお祭りの時は参道の両側に傷痍軍人が一杯並んでいました。戦闘帽を被り、白衣を着て立てるひとは立って、立てない人は座ってアコーディオンやハーモニカで悲しそうな曲を演奏していたものでした。松葉杖の人も一杯いましたね。子ども心に申し訳ないですが少し怖かったですね。後年そういう人たちは偽者で、金儲けのためにやっているのだとかいう声も聞いたことがありますが、100%そうだとは思いたくないですし、実際戦闘行為で手や足を無くした人たちもいたことと思っています。 いまはビリーバンバンが歌っています。「白いブランコ」、私の好きな歌です。 時代は流れて、悲しいことにいまは公園等でもブランコは歓迎されないもののようです。危ない、他の人に迷惑がかかるとかの理由ですか? そういえばきのうの地元の新聞の夕刊だったかな、夕刊の一面が小学校等の運動会の開催を知らせる花火の打ち上げも住民の反対意見等があって縮小傾向にあるとか。うるさい!ウルサイ!煩い!五月蠅い!ということのようです。夜勤明けで寝ているのに邪魔されて寝付かれないとかいう理由も大きいようです。毎日朝6時半や7時に花火が2発づつ打ち上げられるというのであれば、確かにうるさくて生活に支障が出る人も多くなるかもしれませんが、せいぜい小学校の花火は年に1回か2回でしょう。中学校もあったとしても3回前後。まあうちの町内会でもお祭りの時には花火を打ち上げていますが、いまのところ苦情は出ていないようです。花火師にきくとかなりやりにくくはなっているようです。行政なんかは少しでも反対があれば安易に自粛しがちですが、それも社会に少々の不便はお互い様の気持ちで我慢しよう、受け入れようという気持ち、許容する気持ちが狭量になり果てていることの表れなのでしょうか。全ては自分ファースト、自分が誰よりも快適でなければならない、自分の生活を少しでも乱されたくない、ということか。それも突き詰めれば、自分さえよけりゃいいんだ、ということになりかねません。 何でこういう流れになるのか????
いやあきょうの「なつぞら」、きょうも泣けましたね。 なつが渡した父の手紙を読む千遥の表情が素晴らしかった。涙の出かたや流れ方もよかった。千遥を演じている役者は17歳とか?清原果耶という女優ですか。演技力は目を見張るものがあります。今後が楽しみな女優さんです。
若い!
またこの人は台風15号で翁被害を受けた千葉県に1000万円を寄付したとか。日赤に。なんでもいままで出身地を秘密にしてきたようですが、千葉県館山市出身とのことです。
YOSHIKIです。
私の大好きな人というかグループの一員です。X-JAPANです。 hideが生きていたら、二人からどんな音楽がうまれてきたことか・・・・。
咲いていました、成長がものすごく早くないですか。堤防の斜面は人力で刈っていたのですが、平らなところは機械で刈っていました。 広瀬川の除草です。だから少し伸びてきたとしても刈り取られてしまったのではないかと思っていました。 ところがどっこいちゃんと成長していました。もう少しで花も咲き始めます。生命力は凄い。
彼岸花です。詳しくはあしたに続きます。