鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

高橋祐次 YujiStyle 最終章~See You Again~その1

2018-12-22 14:53:37 | お知らせ

  

  

 釣りビジョンで12月10日に初回放送されました YujiStyle も最終章とのことでした。意外、びっくりです。彼の番組を自分の息子のように感じ、愛用ならぬ愛眺、愛見してきました。そのずっと前は”村田 満”でしたが。その番組も14,5年でお仕舞となります(なりました)。

    

 彼の独特な関西弁、若さ、行動力、あの高笑い、そして有名な雨男の番組がなくなります。個人的には何といっても孤軍奮闘というか、ダイワやシマノ、がまかつに属しないでの戦いや行動が気にいっていまして、だから応援もしていたのです。大好きな鮎釣り師です。

 

 その彼も40歳を節目として、自分専用の看板番組から降りることになりました。一応予定では2回?に分けて12月10日に放送された内容を紹介して行こうかなと思っています。これは自分自身のためでもあります、区切りをつけるため。 

    

 撮影場所は故郷と言ってもいい福井県と京都府の境を流れる”南川”で、南側での鮎の釣り方等の紹介よりは、そこでの思い出等が中心となります。 古いものも含め、写真紹介が多くなります。

 

         ・・・・・・・・・

 (お断り:実釣中に彼自身が喋ったことやナレーターが話したことで聴き取れ、かつ書き取れたものだけです。)

 父から、父がご飯を食べる間竿を、グラス竿を持たされていたら、偶然鮎が2匹釣れた。小学2年のとき。

 

 

       

 

 そこから一緒に鮎釣りするようになった。オトリも1匹いれば釣れるというのが父の信条

      

 

 中一から名門の鮎釣りチームに入りたいと思い始め、トーナメンターにあこがれる。プロになろうと思っていたわけではなく、大会に出たいというのみ。

                      

 

 22歳のとき報知の名人になり、ここからトーナメンターが始まった。

 

 番組ももらって、YUJIスタイルが始まった。2004年から15年日本全国の河川から台湾の河川まで渡り歩く。

              

 40歳を迎え一つの結論に、終わるということに。さみしいが、鮎釣りはシーズンも短いから体力的なものもある。丁度いいかなと自分の潮時を迎えたということ。

 今後は釣り離れの風潮を何とかしたい。鮎釣りの魅力を若い人に伝えたいという想い。

 思い出の深い河川での恩返し釣行として「南川」を選んだ。南川は父の好きな川。ここで何とか釣れる技術を学ぼうと努力した。今の自分があるのは南川のおかげ。そこで長い鮎釣りの旅を終えたい。

 再掲

 0:15pmから中流域からスタート。006号の複合メタルにハナカン周りは1号。竿はブラック、今年初めて使う。今年は大きいのが釣れている、数は出ないが。

 思い出の南川に成長した自分を見せたい

再掲 

 鮎が居れば素直にかかるのは変わっていない。南川、いいねえ、久し振り過ぎて。 個体数が少ない、居たら釣れるもん。

 最初は関西圏の川から全国の川へ。そこでは人との出会いを一番大切にしてきた。いままで応援してくれたみんなに感謝したい。

 覚えているのは、兵庫県の揖保川から静岡県の興津川まで走った回があった。この番組はロケ日が決まっているから、何としても完遂したいので“移動”も厭わない、「番組を壊さない」のがポリシーです。

 


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