雪だるま3体の今朝の様子です。
いやはや、何という天気か。きょうの最高気温は13度ですか、二桁です。二桁の気温の日は遡ると7日以来です。7日の最高気温は14.5度でした。次の日は5.6度でした。 きのうは7.9度で、きょうが13度ですか、何とも忙しい天気です。
でも個人的には気温ほど暖かくは感じません、全くといっていいほど感じません。体が、皮膚感覚が鈍感になってきているということでしょうね。寒さだけは異常に?身に染みて感じてしまうのです、困ったことです。加齢のためと諦めますが。
そうそうお風呂ですね、10分以上入っていても体があったかくなりません。お湯の温度は41度に設定しています。健康入浴のためには38度くらいのぬるめのお湯に10分くらい浸かるとか書かれていますが、それではとてもお風呂に入った気にはなりませんね。お風呂場はもうちょっと小さくてもよかったかなと思わないでもないですが、どうしようもないことです。
何かこの頃は体のことを嘆くことが多くなってきたようですね。いくら歳のためとは言っても芳しいことではありません。無駄な抵抗はしないで、自然に受け入れて行けるようになりたいものですが、そこまでの心境になれるのかどうか???
きのうの新聞で「認知症とともに生きる希望宣言」の記事を読み、ネットで調べてみました。「日本認知酒本人ワーキンググループ」という認知症の本人が中心となる法人のようです。
『認知症とともに生きる希望宣言』
~一足先に認知症になった私たちから全ての人たちへ~
1 自分自身がとらわれている常識の殻を破り、前を向いて生きていきます。
2 自分の力を活かして、大切にしたい暮らしを続け、社会の一員として、楽しみながらチャレンジしていきます。
3 私たち本人同士が、出会い、つながり、生きる力をわき立たせ、元気に暮らしていきます。
4 自分の思いや希望を伝えながら、味方になってくれる人たちを、身近なまちで見つけ、一緒に歩んでいきます。
5 認知症とともに生きている体験や工夫を活かし、暮らしやすいわがまちを、一緒につくっていきます。
以上1から5までの項目です。このとおりであったなら、みんなが暮らしやすいまちになること請け合いですね。
そのためにも寛容の精神と言いますか、社会としての寛容性が必要なのですが、現実は真逆で、貧しい一般大衆は黙って静かに生きていろ、ものを言うなという風潮が蔓延している嫌な感じの社会となっています。
15日の「折々のことば」も我がこととして味わってみるべきものだと思います。音楽家・映画製作者の松井和という人の言葉です。
『赤ん坊が泣いていれば、その声を聞いた人の責任です。』
それに対する鷲田さんの解説はこうです。「媚びる、おもねるといった技巧を赤ん坊は知らない。いつも『信じきり、頼り切り』。それが大人に自分の中の無垢を思い出させる。昔は、赤ん坊が泣けば誰の子であれ、あやし、抱き上げた。未知の大人であっても、泣く声を聞けば自分にもその責任があると感じた。そこに安心な暮らしの原点があったと。」
そうですね、この精神、心掛け、気持ちこそが大切なのです。見習わないと。