鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

中秋の名月 半分、青い。

2018-09-24 20:51:59 | 思いつくまま

 今日も暑い一日でした。きのうの最高気温は28.6度で、きょうは27.1度でした。もうとっくに我が家では扇風機を仕舞ってしまいましたので、自然の風により涼ませようとしています。そういえば我が家では団扇はあまりというかほとんど使いませんね。

 

 きょうは中秋の名月ですか。きのうまではきれいなお月様が見られたのですが、今日は無理です。午後からは今にも雨が降りそうでしたし、夜には実際に降ったりもしましたし。でもまあ飾りだけではありますが、一応東の空に向けて、下記のように飾りました。

 河原でとってきたすすきと、 

 枝豆、柿(もう渋抜きの柿が出ています)、梨(今年の梨はことのほか甘いし、水分が多いです)、武道ならぬブドウです。でもこれだけでは何か物足りない、絶対に必要なものが足りない。

  そうです、さつまいもです。

 置けなくなったので、下に置きました。 木製の台は、かなり昔の手作りの踏み台です。これは小さい(低い)方の踏み台です。

 

 みなさん、淋しくなりますね、「半分、青い。」は今週で終わってしまいます。まだまだ終わって欲しくないというのが本音です。あと半年、晩年まで放送してほしいくらいです。そよ風の扇風機、どうなるのでしょうか? まあ、それはそれとして、まさか先週末から東日本大震災が出て来るとは全く思ってはいませんでした。

 

  (上は東の空、下は西側です。午前7時50分頃)

 

 しかも、元漫画家の同志だった祐子(?ゆうこ)が結婚して仙台の病院、しかも海の見える病院に勤務していて地震にあい、その後3,4日連絡がとれないというのですから複雑な気持ちで心境で見ています。そうならざるをえません。

 

 私もあの日以来東日本大震災のことをこのブログで取り上げてきました。2011年3月11日午後2時46分。その後停電となり、電気のない生活を強いられ、またガスも止まりました。多くの地域では水道も止まったのですが、幸いにもうちの地区では水道は止まりませんでした。ありがたかったです、本当に。

 

 電気が来なかったために、世のかなの動きが分かりませんでした。テレビが見られないということはかくも世の中から隔離されるというか、世の中の動きが分からないものなのかと思いました。通電したのは3月13日の夕方か夜でした。

 

 

 テレビを見て如何に東日本大震災の津波による被害が甚大だったか、想像を超えるようなものだったかが分かった次第です。被災地の人たちの方が全体としてどうなってるのか、他地区の状況等が分からなかったということです。

 

 書き出せばきりがないので程々にしていきますが、個人的には3月13日の夜にテレビを見ることができるようになってから、巨大津波の甚大な被害も、福島原発のことも知ることができるようになったということです。

 

 その後は職場の周辺や身の回りの本当に身近なこと、さらには時には被災地を代表してという気概を持って原発等の風評被害についても、何と言っても一向に収まらない地震の揺れ何かについても書いてきました。

 

 あの頃は常に体が揺れていると言っても過言ではない状態でした。気持ちが悪いですよね。地震には慣れっこになっているはずの我々でさえこうですから、熊本や大阪や北海道のみなさんは本当に大変だったろうなと思います。

 

 興味のある方は是非とも2011年3月13日以降のこのブログを読んでください。何を思い、何を怨み、何に怒り、何に感謝し、何をほしがったか等がいくばくかはお分かりいただけるのではないかと思います。

 

 

 付近の小学生たちが堤防を走っていました。 何か独特のかけ声を出していたのですが、聴き取れませんでした。

 

                   彼岸花ももうお仕舞です。

 

 

 

 

 

 

 


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