きょうで熊本地震から3か月でしょうか。巨大地震、絶えることの無かった余震、そして何度も襲う大雨、なんでこんなにも自然は試練を与えるのか。 かける言葉もありません。 息抜きは必要です。時には何かで気分転換をしながら、前向きに進んでいってほしいと思います。
きょうの「とと姉ちゃん」、いよいよ「花森安治」が雑誌作りに歩み出します。そのときの二人の言葉が印象的でした。
「もう間違えないようにしませんか?」(とと)
「自分の人生の全てをかけて新しい雑誌を作ります。」(とと)
「毎日の暮らしより大事なものはなかった。」
「毎日の暮らしこそ守るべきものだった。」
「人間の暮らしは一番大事なもの、何ものも侵してはならないもの、たとえ戦争でも。」
「戦後初めて女性の言葉を信じてみたくなった。」
(午前9時10分頃)
きょうは風がとっても清々しかった、というか涼しいくらいでした、家の中にいると。
あしたはエントリーしたアユ釣り大会の最後として、がまかつの大会が小国川であります。 むかしから何ごとも3度といいます。二度あることは三度ある、ではなく、三度目の正直で行きたい、そうありたいと思っています。
その腕慣らしというか肩慣らしというか、疲れない程度に無理しないで川に入ってみようと思いました。広瀬川も解禁から2週間が過ぎ、何となく川も変わってきたように感じます。きょう午後から広瀬川に入ってみてそう実感しました。
それはなにか?川底の石がそこそこ滑るようになってきたということです。苔がつき始めたように感じます。いよいよこれから鮎も活発に動き出すのではないかと勝手に?思っています。
竿を出したのは午後2時55分から3時45分までです。場所は牛越橋の下流200メートルくらいから始まる急瀬と早瀬、そして瀬の開きです。竿はシマノの輝石90H2.75で、水中糸は最初は複合メタルの0.06号、その後はナイロンの0.3号です。
上流に友釣り師がいたので、ここからのスタートとなりました。
オトリ鮎を入れたら、すぐにでも掛からないとおかしいような川相の場所です。 でも一投目?では掛かりませんでした。 おかしい?なぜ掛からない?と思いながら釣り下ります。 そのうち全く当たりがなかったのに、感じなかったのですが、オトリ鮎を上げてみたら掛かっていたのです。17センチくらいかな。 時間は、3時5分。 10分後となります。
オトリ頃の、背掛かりのアユです。それなのに手ごたえは感じませんでした。オトリ鮎が大きく元気だったからなのか。 きのう掛けた大アユです。 まあ何にしても掛かってくれて感謝です。早速オトリを交換して同じ場所へ誘導します。
入れ掛かりとなればよかったのですが、そうはならず。なったのはナントなんと何と”根掛かり”です。 時に3時15分。 入って行けるところでしたが、如何せん石に複雑に絡まっていたために、下の付け糸からプッツンです。
今度は上流の釣り人がいなくなったので、急瀬の上流の鏡から攻めていくことにしました。写真で見ると大したことのないような流れに見えますが、かなりきつい流れです。 ここからはナイロン糸の0.3号です。
ここで使ったオトリ鮎はきのう購入した養殖アユの1匹です。
流芯の左岸よりで掛かったかなという感じの手応えが伝わってきましたが、ハリには乗りませんでした。逆バリが外れただけです。 釣り下るうちに、ここなら何とか掛かりそうと思われた場所で、またしても痛恨の根掛かりです。 ここは入っていけません。 3時40分頃か。
竿を畳んで天上糸を引っ張りますが、ふっと軽くなっただけ・・・・。またしてもオトリ鮎は水中へ残留です。ウナギに食べられるのでしょうか。もうこの辺にはウナギは居ないかな。
それできょうはこの辺で止めておこうと納竿しました。これで明日の悪い場面はすべて先掛けで経験したので、あしたは大丈夫だろうと自分に都合のいいように解釈しての納竿です。
まあ少なくとも瀬でも掛かりはじめたのですから(根掛かりも)、良しとしなければ。石も滑りやすくなりつつあるし、こうなってはじめてアユも川を縦横無尽に泳ぎ回って食べることができるでしょう。
きょうは牛越橋の下流に釣り人が多かったです。私を入れて8人かな。こんなにたくさんの釣り人が揃ったのは初めてではないでしょうか。
上は上流側、下は下流側(4人います)です。コロガシの人の方が多いです。
何とかアップできました。 お風呂に入って早く寝ます。 GOOD LUCK!