天皇陛下の生前退位が大きな波紋を呼んでますね。どうなるのでしょうか。これも平成天皇の誠実な人柄がそうさせたのでしょう。死ぬまでその地位についていなければならないということは、考えてみればかなり大変なことではないでしょうか。もとより我々凡人にはなかなか想像もつきませんが、真面目に考えれば考えるほど大変なことだろうなと思います。だってどういう最期を迎えるかは自分では分からないのですから。天皇陛下の意向に沿うような形で、いい方向に進むことを願っています。
(この花は小国川沿いの花壇に咲いていた花です。実にきれいに手入れされています。)
(きょう午前9時15分頃)
このところ10日のシマノジャパンカップ鮎、12日のダイワ鮎マスターズと小国川でのことばかり書いてきました。 川は小国川だけではございません。 どっこい広瀬川も生きています。10日には釣り友が4時間の友釣りで9匹の釣果とか、これはすごいことです。さすがです。
(以下の5枚の写真はきょうの広瀬川本流の流れです。)
また12日は同じく釣り友が、コロガシで、午後からでしたが10余匹も良型鮎を掛けています。15センチのアユはもういません。大きいには23センチくらいもあります。みな立派に育っています。どうぞ釣ってくれと言わんばかりのようです。
10日と12日の両日私は何をしていたか?シマノとダイワのアユ釣り大会で、それぞれ朝の7時から10時までの3時間もかけて、掛けたのはともにチビ鮎もチビ鮎1匹づつです。バラし、根掛かり、転倒とまさに踏んだり蹴ったりの有様でした。
だからといって後悔はしていません。自分から選んだ道ですから。自分から天に向かって七難八苦を与えたまえと願っての出陣でしたから。アユとの戯れは全くできませんでしたが、弄ばれただけでしたが、山形の大自然のなせる光景、風景には生き物としてのニンゲンの喜びというのでしょうか、自然の一員なのだなという思いを味わうことができました。(多分に?少し?負け惜しみはありますが・・・・)
あと17日(日)のがまかつの大会が待っています。これでエントリーした3つの大会は終了となります。こうなればシマノとダイワと同じく、チビ鮎を1匹掛けてやろうと思っています。ただ転びたくはないですね、もう。
シマノとダイワと二つの大会に出て思ったこと、身に染みて感じたことを羅列していきたいと思っています。まず全体の雰囲気ですが、いつの間にか大きく変わっていました。それを痛感しました。極端に言えばもう我々高齢者の出番はなくなったということです。消え去るのみか?と思わざるを得ないような雰囲気が漂っています。
(きょうの分流の様子です。)
知り合いの顔もだいぶ減ってきました。かっては一年に一度の七夕みたいな出会いを懐かしんだものですが。話しかけ合う仲間が少なくなってきました。これは寂しいことですね。一抜け二抜けと大会に出なくなっていく仲間が増えていきました。
かっては我々も我々が主役だった時代がありました。そう確かにそういう時代がありました。同じような年代の壮年が腕を競い合っていた、あの胸の高まるような雰囲気があり、我々が大会をリードしていたところがありました、かっては。むかしの話しですが、われわれも若かったのです。
雰囲気として若い人たちが増えたこと、そして彼らの服装がすっかり釣り具メーカーのロゴが入った派手な、かつ少しでも他を圧倒するかのような模様のはいったシャツの人がほとんどです。私には考えられません。メーカーから支給されたのなら別ですが、1着1万円以上もするシャツなんて買いません。
シャツはかって買い揃えたものが一杯あります。色としても白・黒・赤・黄色・青と揃っているし、他にもシャツはもっています。一杯あるのに、まだまだ着れるのに、いや新品同様でもあります、もったいないと思ってしまいます。しみったれというのではないと思います。ものを大切にするということだけです。
それは必需品のベストについても言えます。これも最先端のでっぱりがない、それでいて収納力はあるベストの釣り人が多くなっています。ベストだって、まだまだ着れるようなベストを5,6着は持っています。彼らの最新のベストと比較するとかなり古臭く感じてしまいます。
タイツもタビもそうですね。 かってもう少し若かりし頃の私は、やはり大会に出るには自慢の”腕”だけではだめで、服装から他を圧倒するようにしていかないと勝負には勝てないと思っていました。並んでいるときに他の人たちの装備に圧倒されたらもうその時点で勝負には負けていると思っていました。
竿やタモもそうですね。曳舟自体は早々変わるものではなかったですが。ここまで書いて来て分かりました、もう自分には服装等で負けないようにしようという気持ちが全くなくなっていたということです。竿からはじめ服装なんかどうでもいいというか、気にしなくなってきたということがいえます。 そこに”違和感”が生じるのかな。
(くまん蜂の写真を撮ろうとしたら、アゲハチョウも近寄ってきましたのでパチリ。)
釣り方について少しだけ書いてみると、こんなところで”おもり”を使うのかと思うようなことが多くなってきました。 1回戦でも2回戦の様子でも、ほぼ全員がおもりを装着しています。黄色いおもりが多いかな。 私としてはもともとおもり釣りが苦手ということもあって、ノーマル仕掛けでは駄目な場合は、ほとんど極楽背バリを使っています。
背バリとおもりの違いですが、みなさんおもりでの釣り方が上手です。感心しながら見ていました。 もっとも今回の小国川は水量が多かったこと、とくに10日のシマノの大会は増水していましたし、ダイワのときだってまだ増水気味でした。 それに加えて小国川のオトリ鮎の貧弱さというか、小ささ、弱々しさ、白さがおもりを多用させたということも言えるでしょう。
思いついたことはそんなところでしょうか。時代は確かに変わってきています、天皇陛下が生前退位しようと思うような時代になっているのですから。
ここからはきのうのことになります。
①
②
③
実は(また始まりました、実は、が)一昨日か釣り友から友釣り用にと大中の2匹のアユを頂戴しました。翌日に使用するつもりでした。 2匹をありがたくいただいて、生簀用?の盗まれてもしょうがない古い曳舟に入れて置くつもりでした。
しかしタモから曳舟に移す時に、嫌な予感がしたのですが、そういう時って不安が的中するものなのですね。曳舟に入るはずの中型のアユはあろうことか水のなかへ帰って行きました。滑って逃げられたのです。いささかショックでした。オトリ鮎が2匹と1匹ではかなり精神的な度合いが変わってきます。
でもまあ元気な大きなオトリ鮎が残っているので、楽しみも残っていると思い直して帰宅して、翌日(つまりきのうですが)広瀬川での友釣りへ喜び勇んで向かいました。 何といっても広瀬川での友釣りは3日以降一回もやっていないのですから。
2匹のオトリがあるのなら牛越橋の下流へ行くつもりでした。でも1匹だけですので、心もとないためまずは2,3匹に増やしてから上流へ向かおうと決心して、2日ですか、7匹掛けた美術館下の岩盤のタルミに入ることにしました。
ここでなら確実に2匹くらいは掛かるだろうと楽観視していました。 上の写真の②のところです。2日よりも水量は多かったですね。 竿はシモツケのブラックバージョン90PSです。この竿はまだまだ広瀬川のアユと格闘していません。経験が少ないのです。
午前9時にスタートです。今すぐにでも掛かりそうなのです(そう思えました)。オトリ鮎はよく泳ぎました。これで掛からないはずはない!と確信みたいなものに変わっていきましたが、その割には目印をひったくっていきません。手応えがありません。
しかし、ときは平成28年7月13日朝の9時8分、掛かりました、岩盤に。そうです、根掛かりです。引いても押しても?外れません。そこまで入っていけません。仕方がないので竿を仕舞って、天上糸を引っ張ります。するとどうなるか、そうです、切れるのです、大体が。
複合メタルの水中糸の上の方から切れてしまいました。岩と摺れていたかもしれません。それできのうの広瀬川での鮎釣りは終了です。THE END! それでなくても体調が悪かったのに、さらに追い打ちをかけるかのように根掛かりOUTです。
帰宅して少々早い午前の昼寝です。 そういうことがありました。 大会以来、広瀬川でも全くいいことがありません。ひどい話じゃありませんか!?十分に同情に値することだと思いませんか?御同輩!
(きのう分流には8羽のカモがいました。)