くりっとした目は、紛れもなく日本人の黒い瞳だった。南米ブラジルに暮らす150万人の日系人の中で初めての6世となる大西エンゾ優太ちゃん。まもなく3歳の誕生日を迎える。
5代前の先祖は1908(明治41)年、はるばる海を渡ってきた。来年は優太ちゃんの先祖ら日本人が初めてブラジルに移民してから、ちょうど100年。節目の年を前に、一世紀という年月を象徴する一家を現地に訪ねた。(中略)
優太ちゃんの母方の先祖は神戸港を出発したブラジルへの第1回移民船「笠戸丸」で海を渡った。以来、日本政府は戦争での中断をはさみ、ごく最近の平成6年まで中南米13カ国へ計約30万人を送り出した。うちブラジルは24万人余りを数え、8割以上。150万人の日系人は彼らの子孫である。
当初は農業移民だったが、やがて商工業や法曹界など各分野へ進出していった。現在、ブラジル連邦下院には4人の議員がおり、今年3月には空軍の最高司令官に2世の斎藤準一大将が初めて就任した。(中略)
ブラジルの日系人150万人のうち、日本生まれの1世は6万3000人まで減り、2世も社会から引退し始めた。日本語を話す1世と、ポルトガル語が混じる2世、日本語を話さない3世や4世とでは考え方が異なるというが、100年の時が育て上げた「日系人気質」は今も生きている。
ブラジルでは日本人のことを「ガランチード」と呼ぶ。英語のギャランティ(保証つき)と同じ言葉で、「確かだ」という意味だ。正直な人のことを「あの人はジャポネス(日本人)みたいだ」とも言う。 →【記事全文】
浜松市はスズキやホンダ、ヤマハなどの下請け企業がたくさんあるので早くから日系人を受け入れてきた経緯がある。だから市内でたくさんの外国人を見ても慣れてしまっていまさら違和感がないが初めて浜松市に来る人は一様に驚いてしまう。
確かに最初に来た日系人は日本人とほとんど変わらない容姿をしていたがいまではもろ南米人で誇らしげに自国の国旗を掲げている。
最初に来た日系人は寡黙で古き日本人といった感じだったが、今の自称日系人は改造車に乗り、酒場に繰り出し夜遅くまで遊ぶ、一昔前の不良日本人といった感じだ。(すべてそうとは言わないが)
一般の人はいまだに出稼ぎ外国人は安い賃金でこき使われていると思っているようだが、実際は時給的に言ったら日本人のほうが安い。だいたい時給1000以上はもらっている。それなのに、「腹が痛い」とか「子供を病院に連れて行く」とか「午前中に銀行に行く」、「寝坊した」など幼稚な理由で遅刻・早退したりして休んでしまう。そのしわ寄せは安い賃金でまじめに働く日本人にくる。
工場などのパート従業員は派遣会社に所属しているのがほとんどでドタキャンしても代わりはいるので結構安易に休む。あとわがままな外人は文句を言い続けて職場を替え続け最終的に楽なところにちゃっかり落ち着く。きつく言うと他の派遣会社に行ってしまうから派遣会社のほうも及び腰になるそれをまた逆手にとってやりたい放題という感じ。
そして知り合いのブラジル人に聞いたら今の出稼ぎは自国の家族にあまり仕送りはしないそうだ。だから結構生活に余裕があるため車や遊びにつぎ込めるわけだ。
あるブラジル人の家族は父親が工場の専門職で月40万円、長男は整備士で月30万円、次男は組み立て工場で月30万円、一家で月100万円の収入(もちろん残業も含めて)で月4万円の市営住宅に住んでいて車は3台持っている。
まあ地元浜松では彼らを日系人と思っている人はいないし、彼らもそう思っていない。
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ブラジルには「ジャポネース・ガランチード」という言葉がある。
「日本人は保証付き」という意味である。
約束はかならず守る、借りた金は返す、会社でもきちんと役目を果たす。
日系人なら間違いはない。
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