燃えるような真っ赤な大地が地平線まで続いていた。サンパウロから車で約4時間。サンパウロ州の内陸部、グァタパラ移住地を訪ねた。ブラジル日系社会初の6世、大西エンゾ優太ちゃん(2)の先祖が100年前に働いた場所だ。 (中略)
「事件」は、2004(平成16)年9月14日に起きた。当時の小泉純一郎首相が空から「降って」きたのだ。
その日、日本の首相として8年ぶりに公式訪問した小泉首相はヘリコプターでの視察の途中、グァタパラ移住地の上空へ差しかかった。
「カンゲイ 小泉首相」。地上の赤土のグラウンドに石灰で白く大書され、こいのぼりが泳いでいた。100人ほどの住人の姿を見た首相は、急遽(きゅうきょ)ヘリを着陸させた。
予定外の行動だった。人々は歓声を上げ、われ先に駆け寄った。79歳の男性はひざまずき、タックルするように両手で首相の腰を抱きしめた。泣き出す人がいた。万歳の声がこだました。首相の高級スーツは人々の涙が染み込んだ土で真っ赤になった。
翌日、サンパウロの日系人1500人を前にあいさつした首相は、「涙をもって迎えてくれました」と話して突然、黙り込んだ。人目をはばからず涙を流した。
「…さぞ苦労が多かったんだなあと思いました。しかし、元気でブラジルに定着して頑張っている姿を見て、本当にうれしく思いました」
涙は日本で憶測を呼んだ。自民党内からは「一国のトップが感情の起伏を見せるのはいかがなものか」。随行記者の一部は「波乱含みの内閣改造を控え、感情も高ぶっているようだ」と伝えた。
カンゲイの文字を書いた佐賀県出身の脇山俊吾さん(60)は言う。
「僕らブラジルにきて45年になるが、やっぱり日本に対する思いは強い。衛星放送を見て日本のことが心配になったり、喜んだり、外国になめられたらいかんと思ったり。いくら帰化して外国人になっても、日本人だから…。小泉さんはそれを忘れないでいてくれた」
「日本人」であるということは、そこまで狂おしくも切ないものなのか。小林さんは「今の日本の人たちには理解できないかもしれないですね」と寂しげに言った。
移住地の公民館前に真新しい石碑が建っていた。「小泉首相着陸記念碑」だった。 →【記事全文】
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ブラジルには「ジャポネース・ガランチード」という言葉がある。
「日本人は保証付き」という意味である。
約束はかならず守る、借りた金は返す、会社でもきちんと役目を果たす。
日系人なら間違いはない。
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