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ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

摩訶不思議100物語 第26話&28話 補足の補足のおまけ

2008-04-28 22:23:28 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。


tomoです。
風が強くて、こんな日には手足から水芸のように、エネルギーが出て行きます。もちろん、アナーキーな頭からも、丹田から一気に駆け上がる勢いのエネルギーが出ています。

あえて言うなら、龍に乗っ取られた感じです。
頭のアナーキーが今日は一段と大きいです。このところ、日本は四六時中風が強いですね。強いと、神経が興奮します。_| ̄|○

で、もったいないくらいのエネルギー駄々漏れ状態です。
で、せっかくだから、出ているエネルギーを、魔女の宅急便のキキのお母さんのように、薬の上から当ててみました。30センチ離れても熱い気が感じられました。


・・・・・薬の味は変わりました。あらびっくり。キキのお母さんになれるかも。
まぁ、今日はどんな無駄遣いもできそうです。自分に思う存分して寝ます。その前に、力がどうせ出るなら、郵便ポストから、郵便を取るとか、宅配便に印鑑押して欲しい。そんな使い魔いませんか。。。。。。息子がなるほうが速そうですが。



GWに主人の実家に行きました。主人の祖父母が健在で、ただ、祖母は医療施設に入っています。ほとんどボケたそうで、介護レベルは4。

私は事前に、主人の祖父母の写った家族写真を、子供のよく見るアルバムに貼っておきました。主人の両親の写真、私の両親の写真は、壁に飾ってあり、いつでも見れるようにしてありますが、今回は、主人の祖父母をよく予習させてから挑みました。

私は、着いたときにはもうヘロヘロでした。生あくびが出て、龍神の気あたりをし、ありえない時間軸の着き方をしました。つまり、距離にしては速かったのです。


で、私はもう、

「おかあさん、お父さん。孫を堪能してください。じゃ、疲れたので寝ます」と言って6時間ほど横になっちゃいました。

ぐっすり熟睡していたのでわかりませんが、親子水入らずで、大変に楽しく過ごせていたようです。しかも、主人の祖母は、私たちが面会に行って、「何故か」私の顔を見たとき、目の奥が光りました。

そうです。その瞬間10分程度、確かに彼女は正気になったのです。



・・・・・・まぁ確かに、22からお世話になっている家で、お母さんにもお父さんにもおじいちゃんにもおばあちゃんにも、私は嫁っちゅーより、娘のようなものです。わがまま言われますが、今回も喧嘩していたことを飲み込んで会いに行きました。

息子AもBもGoodJobでした。

後は、私は、とにかく寝るのみ。じじばばよ、孫は来てよし帰ってよし。思いっきり、どうか、孫にエピソードをくれてやってください。
嫁は帰りの関越を夜中飛ばして帰るのに、体力蓄えておきます。寝かせてください。

じじばばのくれるエピソードは色々合ったようですが良かったと思っています。

この先も、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばぁちゃん、息子達をよろしくね。





tomo

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摩訶不思議100物語 第26&28話補足

2008-04-28 09:56:23 | 摩訶不思議100物語 & 補足
おはようございます。

補足のお時間です。ダブルで逝きます。

祖母ですが、49日の法要の日に夢を見ました。
ずいぶんと若い(40代くらい)祖母が、身支度をしていました。それこそ、伽半をつけて、わらじをつけて、笠をかぶって・・・・白装束のお遍路さんみたいな格好です。

私と言えば、お見送り用に喪服を探しているのですが、見当たらない。ぐずぐずしていました。

すると、そこへ、やはり白い装束を身につけた若い(40代くらい)男が来ました。祖父でした。


そして、祖父と祖母は、準備ができて、「もうありがとうよ」と私に手を振って煙の中を遠くに歩いていってしまいました。

私はそのとき、祖父が迎えに来て、二人は本当に逝ってしまったんだと悟りました。人間死ぬとき、一番自分の美しかった楽しかった時期に戻るのかもしれません。夫婦というのは、こういうものなのかと思いました。

二人が私にくれた愛情は、掛け値なしの本物でした。朝早くから働き、夜遅くまで仕事をする背中。稲の籾殻で炊き上げたご飯。薪割りとお風呂のくべ方。お餅の杵つき、よもぎ摘み。畑から、採れたばかりの野菜の甘み。おいしさ。生みたて卵のおいしさ。川のせせらぎ、美しい水の色。泳ぐ魚。森の中の空気。池で冷やしたスイカのおいしさ。

そして、祖父も祖母も、できる限り物の色々な仕組みを私に教えてくれました。いつでも質素で簡素な古きよき時代のことを思い出せるように。

祖母は言いました。

「財産は頭の中に入れておきなさい。頭の中に入っていれば盗られることもない。そして、更なる資産を生み出すこともできる」


私は今、はっきりと思い出せます。深い愛情に包まれて育った子供時代を。幸せだった自分の子供時代を。無条件の愛情を注いでくれた祖父母と両親。不幸だと嘆いたこともありました。ですが、きちんと思い出せば、確実に幸せは私の手のひらに、まだぬくもりを残して残っています。

だから、私はこの温かい愛情を次世代に繋いでいかなくてはいけない。

どうやって、うまく伝えていけるでしょうか。それを考え、継承していく、これが、これからする私のする心の鍛錬なのでしょう。

できる限りあまねく子供たちに伝えたいと思います。
うわぉ、すっごいまじめな文章でした。
この話はこの辺でよろしくお願いします。


tomo

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摩訶不思議100物語 第28話 「祖母」

2008-04-28 09:13:46 | 摩訶不思議100物語 & 補足
おはようございます。

祖父とくれば、祖母です。両方とも母方の血縁です。
私の父方は、みな早死の系統があり、父が一番長く66までで、長生きした人はいません。母方の祖父母は、90まで行き、その当時は大往生でした。


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今回は祖母の話しになります。

昨年(1995年)逝去した祖母は、10年の間、寝たきりでした。
どんなに歩きたかったろう。どんなに、いろいろなところを見たかったろう。

そう、思うと、祖母が亡くなったと聞いたとき、思わず涙がこぼれて、

「おばあちゃん、やっと自分の足であるけるようになるんだね。」
「やっと自由になれるんだね。」

と泣き崩れてしまいました。かけつけて、祖母に、黄泉路の旅支度をさせるとき、私は足の方の準備にかかりました。たびをきちんとはかせて、きゃはんをきれいにつけて、わらじをはかせました。冷たくなった祖母の足でしたが、私は、しっかり歩いていけるように、しっかり、涙ぐみながら、本当に歩けるようにきちんと準備をしたのです。


祖母は、翌朝、何十年も住んだ家を離れて、斎場へとゆきました。

斎場で、最後の挨拶をして、しばらく待っていました。終わると、壺にお骨をおさめました。




・・・・・・そして、車に乗ろうとした時です。同じ車に乗るおばが、「え?」と、乗るのをためらったのです。

「おばさん、どうしたの?」
「いや、tomoちゃん、いまね、おばさんね、おばあさんに呼び止められたのよ。」「えっ?なんで?」
「のっけてくれですって。」
「やだなぁ、おばあちゃん、もう、車に乗らなくてもいいくせに。飛べるくせに。」

私は、涙がでました。私には、祖母の声が聞こえませんでしたが、一緒の車にのろうとしてくれたことが、なによりうれしかったのです。

帰る路には大きな虹がかかっていました。

私が一番始めの女の子の孫で、とてもかわいがってくれた人でした。

私は、秋の美しい景色を見せてくれた、祖母を、あの日を、忘れないと思います。

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補足は補足で祖父の話と抱き合わせで。


この話はこの辺でよろしくお願いします。

tomo

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