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ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

摩訶不思議話100話 第49話 「ブリザードに鳴る鈴の音」

2008-08-09 17:10:04 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

tomoです。しつこいですが、このモードの時は霊能者ではなく、単なる霊感体質のおばさんとでも思ってください。

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子供が生まれる前にスキーに行きました。
主人と喧嘩の仲直りに組んだスキー旅行で、主人はあまり体を動かすことを好きな人ではなく、静かに本でも読んでいるタイプです。ですから、テニスに誘ってもあまり、私と対等にテニスはできませんし、どういうわけか、二人コンビを組んだときは、彼を後方にするのではなくいつも、前方に置いておくと、走らなくて済む分、彼氏は結構、高いところにあがってきたボールでも、ジャンプして、ジャンピングスマッシュを強烈にかまします。
後方の私ですが、球は、一ゲーム中、3回位くれば御の字です。彼氏が捕りきれないボールだけです。

で、これが、軟式だったか硬式だったかで、前方、後方が入れ替わると、とんでもないことになります。主人は後方になると、走ってボールに追いつくのが関の山で、相手のコートに返すだけの力はありません。私は、ジャンピングスマッシュと言えど、主人とは身長が17センチは違いますから、飛ぶ高さが違います。

勿論、これは、彼氏が、卓球だと凄いやつだと言うのもうなづけるでしょう。ですが、卓球ですと、私はものすごく速い球をスライスして送るのと、亡父譲りの、小手先の技術が得意なので、あまり一緒にやっても何も続きません。

まぁ、そんな事は置いておきましょう。
ひとつだけ言えば、主人と私は、同じときに苗場のスキースクールで初めて習ったのですが、主人は基本を覚えるのがうまく基本に忠実ですから、すぐ基本形を覚えてしまい、上達します。しかし、どういうわけか、同じ先生の話を聞いているにもかかわらず、私はやりながら覚える派なので、聞いても分からないのです。んなもんで、実は、私こそあまりうまくありません。

そんな私たち、何度か日本で出かけ、アメリカはユタ州のソルトレイク近辺の山にまで行きました。しかし、一緒に出発しても、必ず彼氏のほうが早いのです。スピードも速いですし、きちり、ターンが決まりますし、彼には転ぶというロスはありません。ですので、いつも私は、彼氏の持つ鈴の音を聞きながらどの辺で待っているか考えながら行きます。

しかし、いつもいつも不思議だったんですよ。友達と行っても、主人の弟たちと行っても、どういうわけか、私、いつもコースを走っているつもりなんですけれどね、時折どこか違うところにまぎれてしまうんです。そんなもんで、最後のときも主人は鈴を持ちました。

その時は、吹雪でしたね。
その中を本当に主人の鈴音を聞いて、大体の距離感を図って進んでいきます。ですが、その途中、どこからか、


「おーい」「おーい」


という声が聞こえたんです。

主人だと思いました。しかし、「なーに?」「なんなの」と聞いても主人から返事はありません。でも、鈴の音は聞こえないんですが、


「おーい」「おーい」


とは聞こえるんです。

まさか、主人が転んだのかしら。でも、自分の先に走った主人の滑走の跡はどんどん消えていきます。そして聞こえる

「おーい」「おーい」。


私は、主人がひねったんだと思いました。だから、鈴じゃないんだと思いました。

思い切り方角を変えました。そこでターンの予定を変えて、もう少し森林のほうに向かったのです。

「おーい」「おーい」

という声はどんどん大きくなります。私も、「大丈夫?」と言いながら、つたなく滑ります。

その時、「がこっ」といって、私が瞬時に普通に滑っている中で転びました。私のスキー板は片方外れ、どんどん先に滑って行きます。「まずい。あれ、履きに取りに帰るの大変だわ。」と思いながら、転んだ拍子に、ストックも手からひとつ離れてしまいました。

私はそれを見ながら、転びながらずるずる下がっていきます。止まらないのです。ずるずると下がって下がって、そのとき、私の前に見えたのは崖でした。

「まずい。」とにかく自分を止めなくちゃ。スキー板やストックより、自分が落ちる。
しかし、ずるずると下がっていきます。

「ちょっと、たすけてぇぇぇぇぇ。」

けれど相変わらず声は、


「おーい、ここだ。おーいここだ。」


と言う声。

主人もこのまんま落ちちゃったのかしら・・・どうしよう。私も落ちたら、誰が麓に知らせるのよ、止まってよ私。頼むから止まって、何なのこの新雪は、エッジも引っかかりもしないじゃないのよぉぉぉ。なんなのよぉ。ふざけんじゃないわよって、頼むからとまってよぉぉ。

その時、私、どう思ったんでしょうかね。いきなり凄く大きな声で、


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁあ。」と叫んだのです。
「止めてぇ、止まらないの、誰か助けて、止めてぇぇぇ。」
「この先に誰かいるみたいなんです。だれかぁぁぁぁぁ。」



それでも、ずるずる崖に落ち込むその時、後ろから、シュッツと言う音がして、突然私は、ガツンと、どこからか着た人のエッジで、頭を打ちました。頭をエッジで殴って止めてもらって、やっと、崖の下に落ちるのが寸前で止まったのです。

「やっばいなぁ。あんた。さっきから見てたけれど、何であっちに行ったんだよ。こっち、だめだって書いてあんじゃん。危ないよ」

私、ちょっとそのエッジで殴られたので、軽い脳震盪気味で、しばらくしゃべれなかったんですが、その人が、自分のスキー板を脱いで立てて、私を座らせてくれて、私のスキー板を探してきてくれました。

その人は主人ではなく、その人は監視員でした。

どうも、実は聞いてみると、私のスキーの滑走があまりにおかしかったのでずっと付けてきたそうです。しかし、「おーい」というのは彼の声ではなかったんだそうです。「おーい」と言う声は私にだけ聞こえていた声で、実はその後連れて行ってもらった主人に会った時、主人の手には鈴がありませんでした。

そう、主人は、最初から鈴を部屋に忘れていたんだそうです。私はそうではなくて、主人が鳴らしているとばかり思い込んでいたのです。

じゃぁ、あの鈴の音は・・・・私を誘導していたあの鈴の音は?

監視員さんが言いました。

「あのさーあなた、途中で見てあぶねぇと思って見てたんだけれど、ドンドンコースアウトしていくんだよ。それもさ、何度か止まって耳を澄ませているのも俺知ってたんだ。だから、知り合いが先にいるんだとおもって、ゆっくり滑っていたわけよ。」

「でも、あなた、どんどん、禁止区域に入っていってさ、それでまた立ち止まって何か聞いていたんだよ。それで、何か大きな声で言うじゃない?俺、友人がまずいことになったのかと思ったんだよね、で行こうと思ったとき、あなたいきなり転んで、そのまま崖に転がって落ちていくんだよ。しかも、止めようとあなたわめいても止まらなかったでしょ。
猛烈に俺、とにかくあぶねぇと思って、最終手段で、エッジで先回りしてあんたの頭をエッジで止めたんだよ。痛かったでしょ。ごめんなさいね。」

「主人が鈴を持っていてその音を聞いて、進んでいったんです。今日ちょっと見難い視界でしたしね。それに、おーいって聞こえるからてっきり私、主人が怪我したんだと思って・・・・・」

「僕は鈴を置いてきちゃったんだよ。って、君にゴンドラで言ったじゃない?忘れたの?」

「じゃぁ、私は何を聞いて、どこに行こうとしていたのかしら。とにかく、ありがとうございます。たんこぶ位で済んでよかったです。」

「・・・・・まじに気をつけて。あそこね、いつもはテープ張ってあるんだよ。禁止だって。それが今日はなかったんだよね。昨日の風で飛んだのかもしれないけれど、見回りに来ているからテープ無くなったら、俺、見落とすことないんだけれどさ。」

「ただ・・・・・」


「ただ?」


「あんたの向かってた方向ね。あの崖に下に落ちて死んだ人がいるんだよ。だから危険でね、いつもテープを張ってあったんだよ。俺には、おーいって声は聞えなかったけれど、あんたマジであそこの崖から落ちてたら死んでたよ。本当にあんた、呼ばれるように、耳を澄ませながらあっちに行くのが本当に怖かった。」

「すみません。」

「呼ばれやすいと思うんだよね。」

「??」

「スキー。もうやめなよ。俺、監視員としてスキー一級持ってるんだけれどさ、あんた、呼ばれる人だから。もう、ゴンドラに乗るような所行ったら、真面目に何あっても知らないよ。」

「いるんだよ。よく呼ばれていく人がね。どうしてかわからないけれど、みんな鈴がとか、おーいって声がって言うよ。監視員を辞めるわけには俺、行かないんだ。だけど、毎回付き合って滑るわけに行かない。もうスキーはやめてください。」

「はい。」


そうして、私は二度とスキーをやらないことにしました。
本当にその脳震盪レベルのエッジで蹴られなかったら、私は今頃崖の下の死体の2番目になっていたんでしょうね。あのあるはずない鈴の音と声に惑わされて・・・・・・・。


tomo

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摩訶不思議話48話 「真夜中の海・夜明けの海」

2008-08-08 18:30:33 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

tomoです。
何度も言いますが、ここでは人格者もへったくりもなく、怖い思いは怖いのだという視点で語りたいと思います。

**************************************************

高校生のころ、サーフィンが流行っていましてね。その頃は、FINEという雑誌が流行って、「これからはスパッツが流行る」なんていう企画が組まれましてね、早速買い求めて履いた私に対する同級生の一言目は、「モモヒキ履いてどうすんのよ。恥ずかしくないの?tomoったら!」でしたね。あぁ勿論、父親も言いました。ストッキングはカラーストッキングが流行り、グレーの服が多かった私がグレーのベレー帽にちょっとかわいいショートジャケットを着て、ワインカラーのカラーストッキングに、グレーのふんわりしたスカートに足がちょっとした小さなブーツ。まさに、現代のコスプレを髣髴とさせるその17歳のカラーストッキングを見て、そのまま、はさみを入れて切っちゃったのは父でした。

で、問題は私は夏中、友達の車に乗ってウェットスーツを着て、サーフィンに行ってました。

高校三年生。受験は捨てたか、どうしたか。既に学校内の教師同士のトラブルの犠牲に巻き込まれ、私はちょっとした高校では有名な人でした。唯一ヤンキーではなかったのは、やはり、相変わらず好きな科目の点数は異様に高いこと、そして、嫌いな先生の科目は徹底して名前しか書かないことでした。それと、うちの高校は8時半から授業が始まって、9時25分に1間目が終わるのですが、5分前に教室に入室すれば、なんと単位が認められるのです。そこで、毎朝、9時20分に学校について、徐に、5分待ち、その後、弁当を取り出して食べ始めた私は、ふつーのじょしこーせーとはちょっと違っていました。

サーフィンに行く友人たちの学校は、小学校からの内部進学組みで、そのままK大の内部進学が決まっており、もう既に彼らは免許を取れる人から取っていました。私が、彼らに受け入れられた点は、ただ単に、猛烈な判断力と、即決力、また、難問中の難問の数学を、簡単に解くことができて、その当時、まぁよく夜も遊び、一緒にバイトに行き、まぁ、朝もこうして早くから、サーフィンに行くのでした。私は、自分のバイト料で十分、学費も、大学の入学費も貯え、そうして、遊ぶことができたのはたぶんバブルという時代のせいだったと思います。

で、夜中の2時位には迎えに来ます。
こっそりこっそり、ウェットスーツやボードは既に馴染みの店においてあり、出かけるのみでした。まぁ、真っ黒に焼けるほど、よく海にいました。

ところで、ある日それはやはりお盆近かったのではないかと思います。当時の私は、お盆なんてどうでもいい投げやりな人間でしたから、お盆は逆に波が高くていいなと思っていたんです。で、いつもより少し早めに、みんなで出て、浜辺で花火したりして、そして待っていたんですよね。夜明けは4時位には始まりますから、もうその時には波に乗っているんですよ。ですから、2時や3時ってのはちょっと暇話をしていてね。

そのときじゃないですかね。
浜辺の向こう側に、明かりが揺れていたんですよ。見えましたね。ゆらっとひとつ。
船じゃないかとみんなで言って、見つめていたんですよね。イカ釣り船かとか、分けわからないことを言いながら、揺れた明かりを見ていた。その明かりが、すーっと波の上を走るようにして、あっという間に、目前10メートルに来てしまった。

焦りましたよ。そりゃ。だって、その明かり。どう見ても、もう人魂ですものね。
で、みんなで寄り添ってじっと見ていたんです。逃げるという気持ちがあー言うときはないんですよね。つい、見入っちゃう。で、その明かりに気を取られているうちに、音がしているのに気がつきました。

「ペタ」「チャプ」「ペタ」「チャプ」

・・・・・ん何の音?と思ったときには、既に遅かったですね。波から人がたくさん上がってきたんです。私たち、まじめに腰が抜けて、とにかく後ろずさりしながら、いつもの店に駆け込もうと思いました。上がってきた人の中には、私たちに興味のない人もいましたし、興味がある人は、やはり手で掴んできました。
で、大体こういう時つかまれるのは、私と愛ちゃんでしたね。
二人で必死に、相手を叩きのめして、それで、みんなに「逃げろー」と大声で叫ぶ。その時、灯台の明かりがふっとこっちに見える。その灯台の明かりで、相手の顔が見える。「馬鹿野郎、捕まってんじゃねーよー」と言われながら、それでも、引きずってくれる男の子がいて、みんなで、花火を押し当てようにも、ライターの火なんかそういう時に限ってつきませんし、マッチは折れていくばかり。

「畜生畜生」「なんなのよぉ、はなしてよぉ。」「いいかげんにしてよぉ。」

でも、沢山の人が上がっていきます。これはもしかして、目的のいつもの店に行っても危ないんじゃないかと思ったんですね。まだ、これがまた、幽霊経験の多いメンバーばかりで、私も愛ちゃんも足を捉まれても、大分色々体験したために、正気を失う事がなかったんです。それ故に、これをどうして外したらいいのか考えました。

「バチバチバチバチ」

いきなり私とその変なものの間に、煙と火花が散りました。愛ちゃんにも同様に、そんなものが投げ込まれました。一人だけ、車に戻ってあわてて爆竹をありったけ持ってきて、「なむあみだぶつ」とか、「南無妙法蓮華経」とか唱えながら、こっちに投げつけてくるのがいるんです。

「あつ、あっつ、あぶねーじゃんかよぉぉ。」とその爆竹音で踊りました。「きゃー、こっちに火がついたらどうすんのよぉ。きゃぁ。」「バチバチバチバチ」投げられる投げられる爆竹。終わりのないほど、投げてくる爆竹。
その時、相手と格闘していた私に、そいつが一瞬ひるむ隙があったんです。

「いまだ」

私は、手元にあった、水の入った大きなバケツを一気に持ち上げると、自分を掴んだやつに思いっきりぶつけました。それでも、飛んでくるくる、爆竹。その火花とその爆発音、凄い恐怖です。ですが、もうめちゃくちゃ。そこらへんにちょうどよく、座る席があった。その御座ごとまとめて、ぶつけて投げました。その縁台も投げつけました。

そいつがひるんだ隙に、私は、愛ちゃんの手をとって、奪取で走りました。元々逃げ足の速い、ダッシュで80メートルというと、男を引き離して早かったものですから、もうそのまま、店になだれ込みました。

結果いえば、店は閉まっていました。いつも開いているのに、閉まっていました。ゆっくりながら追いつかれる。私たちは即座に車を目指し、南無阿弥陀仏とか言いながら、爆竹を後方に投げ捨てて、走っていきました。

そうして、見つけたデニーズで、着替えをし、そうして夜明けを待ったのです。

もう一回見に行く勇気があったのかといえば、私たちその場の面子は、誰もが何が起きたのか本当のことを知りたかったのです。私たちは、そのまま、車で明るくなってからもう一度さっきの場所に行きました。

そこには、竹が刺さった箇所が二つ、その竹と竹の間に、しめ縄があって短冊がぶら下がっていました。私たちは知らないことに、そこにあったお供え棚に腰を下ろし、そして、どうも中の一人はそれを食べてたようでした。

私が狂乱した箇所は、アオグサが散乱しそこに、爆竹の後と、罰当たりにも、その慰霊のための物を壊して、バケツは割れて飛んでいました


私はその時、ふと自分の友人の語った話を思い出しました。

お盆の間にやっとデートができて、恋人と海に行った。夜明け前の海に行った。寒かったから、毛布を持っていった。二人で包まって、灯台の明かりを見ていると、自分たちはがけの下の岩のところにいたのだが、砂浜に向かってどんどん進む者たちがいた。
彼女はとっさに毛布で、彼氏と自分を頭から包んで、一心に思うお経を唱えたそうです。そして明るくなったとき、彼女は二度と、夜明けの海に行かないと思ったという話で・・・・。その子は確か38話で、キャベツ畑でのっぺらぼうを見た子です。

私は恐怖というより、罰当たりな気がしました。
急いで私はその精霊棚を直し、お供えを食べたやつには、お供えを買ってくるように言いました。そして、お供えを買って、お線香を焚いて、意味があるのかないのか、一生懸命、一心不乱にその場所に謝りました。

済みませんでした。知らなかったとはいえ、申し訳ありませんでした。もう、お盆の時期の海には行きません。どうも粗末にしてすみませんでした。


実際には私たちはそのまま、みな正気で、帰ることができ、みな正気で、翌日の夢も何ともありませんでした。

さて、時期はもうじきお盆。お盆は急に水の流れが変わったり、くらげが増えたり、それから、思わぬ事があります。
私たちは、幽霊にあったのが初めてというメンバーではなかったゆえに、このようではありましたが、初めて会った人にとっては、きっとあの後現場にもう一度帰る勇気もないかと思います。

台風が来ると波は高くなり、毎度ながら慢心するサーファーはその波にめがけて行き、台風の高波に飲まれて亡くなるケースが毎年あります。それでも、その自然を乗りこなす気持ちが面白かったのです。

ですが、私は、体調上もうサーフィンに行くことはできません。が、思い出します。そして、あの時瞬時に思い出した事も思い出します。

私の先輩に当たる方が、大学生でやはり台風の高波にのまれて、亡くなっていました。私はそういうことを即座に思い起こして、精霊棚を作り直して謝ったのです。


さてはて・・・冬はスキーで、スキーでもやはり私には、色々な経験があります。ですが、今回の話は、お盆は無闇やたらに海河川に行かないというお話しです。
実際に見て、足を握られるとですね、凄い腐敗臭がしてね。あんまり正気でいられるもんじゃないです。さすがに私たちのメンバーは、その夏でサーフィンをやめました。そして、各々大学に行き、私は何年か予備校に通って、大学にいきましたが、未だに、お盆のときの、屋形船も案外怖いです。

tomo

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