こんばんは。
相変わらずの百物語のアップです。
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転校するまで通っていた小学校には、新校舎と旧校舎がありました。
当時5年生だった兄は新校舎に、入学したての私は旧校舎になりました。
毎朝手をつないで、兄と学校にいくのがとても楽しみでした。
入学したての頃から、ちょっとこの小学校は変わっていました。
入学式の時、桜の木の下で、幼稚園のときからのお友達と三人で写真を撮ったところ、写真にうつっているお友達の指が3本ばかり多かったことがありました。また、その指は日によって、増えたり、変なところに腕が出てきたりと、忙しい写真でした。どうやら、この土地で死んだ兵隊さんの指らしいということで、ご供養に行ったのですが、相変わらず何十年たっても忙しいままです。
トイレも、入るたびに誰もいないのにノックされるのは、いつものことで、みんなあまりに日常的過ぎて、かまわなくなっていました。しかし、「入って3番目のトイレにはいくな」と兄に厳重に言われたことがありました。
旧校舎に新しいクラスができて、そこに入った私たちは、面白いことに気がつきました。当時、5組まで、一クラス50人ほどでした。「ちょっと多い。」という父兄の声がありました。1年6組という教室はあるのですが、いつも、どんなに入学生が多くても、5組に詰め込んでしまいます。
「先生がいないんだね。」
と、入学した手の頃、お友達と話していたことを覚えています。
しかし、1年6組は、教室があっても、できないクラスだということを、ある夏の夜に知りました。
その、空き部屋になっている6組を掃除するのは、一番近かった3組のお役目でした。
6組は、授業中でも、誰もいないのに、いきなりオルガンがなりっぱなしになったり、ガラクタが落ちてきたりする、うるさい教室だったのですが、掃除にいくと、ひときわうるさい教室でした。
そこの教室だけちょっと離れたところにあり、トイレの入り口にあるのですが、うるさいオルガンの音などしても、もはや先生は何も言わずにいつもどうり授業を続けていました。
一回だけ、先生とみんなで見にいったのですが、どこをどうやっても、なり続けてやまない、電源もないオルガンなので、放っておくことになったことを覚えています。でも、なぜ、そんなオルガンを捨てなかったのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・ある夏休みの夜でした。
学校で待ち合わせて、夜お祭りにいくことになりました。私は、兄と一緒に行ったのですが、途中でトイレに行きたくなりました。
「おにいちゃん、トイレいきたい」
と、ぐずる私に兄は、新校舎のドアを開けて新校舎のトイレに行かせてくれようとしました。しかし、新校舎のドアが開きません。
「おにいちゃん、こっちは職員室があるから、入れないよ。」
と言った私に、兄はしかたなく旧校舎の方にいけと言いました。
私は、はやく入りたくて、駆け出していきました。急いでいたのですが、入ってはじめのトイレには鍵がかかって入れませんでした。2番目もノックをすると返事が返ってきます。
はやくトイレに入りたかった私は、何も考えずに3番目のトイレに入ってしまいました。
入ってから、「ここは、おにいちゃんがいけないと言ったところだ。」と気づきました。
しかし、他をノックして返事が返っていたことなどで、トイレには誰か他に人がいるんだと思い、逆に安心しました。
何も起こらずに、トイレから出てくることができました。私は早く兄のところにいこうと駆け出しました。すると、右手にある6組の教室から、オルガンの音が聞こえます。しかし、いつもと違う音がなっています。ただの音ではなく、曲になっていました。私は、楽しそうなので、ちょっとだけ、6組を覗きました。
すると、たくさんの子がオルガンを弾いて、歌を歌っていました。私はてっきり、お祭りの練習だと勘違いして、教室に入り込んでしまいました。
・・・・・・入っていくと、がらっと教室の中の雰囲気が変わりました。
オルガンが鳴り止んで、そこにいるみんながとても恐い顔をして、振り向いて私をにらんでいます。
私は、邪魔しちゃったという気持ちと、恐くなって、教室を飛び出そうとしました。しかし、ドアは開きませんでした。
「おにいちゃん、おにいちゃん。」
私は、恐くなって、ドアをたたいて、外で待っているはずの兄を呼びました。しかし、誰も答えてくれません。私は、それからずっとドアを蹴ってなんとか出ようと、泣きながら兄の名前を呼んでいました。すると、ドアが開きました。
そこには、恐い顔をした兄がいました。
「だから、そのトイレに入るなって言ったろ。入ったら、中から開かなくなるからなんだよ。」
と兄は言って、私をなでてくれました。
なんと私は、トイレのドアをたたいていただけだったのでした。私はその時、なぜ1年6組が無人でもなくならないのか、オルガンが捨てられない理由もわかった気がしました。きっと、ずっとみんなが、あそこで歌を歌って、楽しく勉強をしているのだからかもしれないと。
私はそれから、旧校舎が取り壊されるまで、そこのトイレは使わず、新校舎の方のトイレしか使わなくなりました。
・・・・・・・・・・・・それから半年後、旧校舎が取り壊されることになりました。壊されるときに、2階で泣いている声を聞いたという人もいましたが、私は近寄りませんでした。
実は、その小学校は、お寺の裏にあり、戦後お寺から土地を分けてもらって建ったところだそうです。それも、お墓が建っていた土地の墓石を取り除いただけで、作ったということで、何が起こってもおかしくないところだったそうです。校庭で骨をひろった人もいたそうです。
でも、今はそんなことがないでしょう。そこは「いしぶみ」といいます。
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ちなみに私も人骨拾いました。母がめちゃめちゃ慌てていたのだけ覚えています。
現在も学区のいい小学校です。
tomo
相変わらずの百物語のアップです。
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転校するまで通っていた小学校には、新校舎と旧校舎がありました。
当時5年生だった兄は新校舎に、入学したての私は旧校舎になりました。
毎朝手をつないで、兄と学校にいくのがとても楽しみでした。
入学したての頃から、ちょっとこの小学校は変わっていました。
入学式の時、桜の木の下で、幼稚園のときからのお友達と三人で写真を撮ったところ、写真にうつっているお友達の指が3本ばかり多かったことがありました。また、その指は日によって、増えたり、変なところに腕が出てきたりと、忙しい写真でした。どうやら、この土地で死んだ兵隊さんの指らしいということで、ご供養に行ったのですが、相変わらず何十年たっても忙しいままです。
トイレも、入るたびに誰もいないのにノックされるのは、いつものことで、みんなあまりに日常的過ぎて、かまわなくなっていました。しかし、「入って3番目のトイレにはいくな」と兄に厳重に言われたことがありました。
旧校舎に新しいクラスができて、そこに入った私たちは、面白いことに気がつきました。当時、5組まで、一クラス50人ほどでした。「ちょっと多い。」という父兄の声がありました。1年6組という教室はあるのですが、いつも、どんなに入学生が多くても、5組に詰め込んでしまいます。
「先生がいないんだね。」
と、入学した手の頃、お友達と話していたことを覚えています。
しかし、1年6組は、教室があっても、できないクラスだということを、ある夏の夜に知りました。
その、空き部屋になっている6組を掃除するのは、一番近かった3組のお役目でした。
6組は、授業中でも、誰もいないのに、いきなりオルガンがなりっぱなしになったり、ガラクタが落ちてきたりする、うるさい教室だったのですが、掃除にいくと、ひときわうるさい教室でした。
そこの教室だけちょっと離れたところにあり、トイレの入り口にあるのですが、うるさいオルガンの音などしても、もはや先生は何も言わずにいつもどうり授業を続けていました。
一回だけ、先生とみんなで見にいったのですが、どこをどうやっても、なり続けてやまない、電源もないオルガンなので、放っておくことになったことを覚えています。でも、なぜ、そんなオルガンを捨てなかったのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・ある夏休みの夜でした。
学校で待ち合わせて、夜お祭りにいくことになりました。私は、兄と一緒に行ったのですが、途中でトイレに行きたくなりました。
「おにいちゃん、トイレいきたい」
と、ぐずる私に兄は、新校舎のドアを開けて新校舎のトイレに行かせてくれようとしました。しかし、新校舎のドアが開きません。
「おにいちゃん、こっちは職員室があるから、入れないよ。」
と言った私に、兄はしかたなく旧校舎の方にいけと言いました。
私は、はやく入りたくて、駆け出していきました。急いでいたのですが、入ってはじめのトイレには鍵がかかって入れませんでした。2番目もノックをすると返事が返ってきます。
はやくトイレに入りたかった私は、何も考えずに3番目のトイレに入ってしまいました。
入ってから、「ここは、おにいちゃんがいけないと言ったところだ。」と気づきました。
しかし、他をノックして返事が返っていたことなどで、トイレには誰か他に人がいるんだと思い、逆に安心しました。
何も起こらずに、トイレから出てくることができました。私は早く兄のところにいこうと駆け出しました。すると、右手にある6組の教室から、オルガンの音が聞こえます。しかし、いつもと違う音がなっています。ただの音ではなく、曲になっていました。私は、楽しそうなので、ちょっとだけ、6組を覗きました。
すると、たくさんの子がオルガンを弾いて、歌を歌っていました。私はてっきり、お祭りの練習だと勘違いして、教室に入り込んでしまいました。
・・・・・・入っていくと、がらっと教室の中の雰囲気が変わりました。
オルガンが鳴り止んで、そこにいるみんながとても恐い顔をして、振り向いて私をにらんでいます。
私は、邪魔しちゃったという気持ちと、恐くなって、教室を飛び出そうとしました。しかし、ドアは開きませんでした。
「おにいちゃん、おにいちゃん。」
私は、恐くなって、ドアをたたいて、外で待っているはずの兄を呼びました。しかし、誰も答えてくれません。私は、それからずっとドアを蹴ってなんとか出ようと、泣きながら兄の名前を呼んでいました。すると、ドアが開きました。
そこには、恐い顔をした兄がいました。
「だから、そのトイレに入るなって言ったろ。入ったら、中から開かなくなるからなんだよ。」
と兄は言って、私をなでてくれました。
なんと私は、トイレのドアをたたいていただけだったのでした。私はその時、なぜ1年6組が無人でもなくならないのか、オルガンが捨てられない理由もわかった気がしました。きっと、ずっとみんなが、あそこで歌を歌って、楽しく勉強をしているのだからかもしれないと。
私はそれから、旧校舎が取り壊されるまで、そこのトイレは使わず、新校舎の方のトイレしか使わなくなりました。
・・・・・・・・・・・・それから半年後、旧校舎が取り壊されることになりました。壊されるときに、2階で泣いている声を聞いたという人もいましたが、私は近寄りませんでした。
実は、その小学校は、お寺の裏にあり、戦後お寺から土地を分けてもらって建ったところだそうです。それも、お墓が建っていた土地の墓石を取り除いただけで、作ったということで、何が起こってもおかしくないところだったそうです。校庭で骨をひろった人もいたそうです。
でも、今はそんなことがないでしょう。そこは「いしぶみ」といいます。
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ちなみに私も人骨拾いました。母がめちゃめちゃ慌てていたのだけ覚えています。
現在も学区のいい小学校です。
tomo
