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ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

一気読みSpecial Index 「不思議話100話」

2008-03-06 08:42:09 | 不思議100話
一気読み 不思議話100話

第1話 「村全体が同じ顔」

第2話 「産んだ子の顔を見ること」

第3話 「ミュリエルの大事な人形」

第4話 「ライク のりP プリーズ」

おまけ 1話 「円周率」

第5話 「祖父の客人」

第6話 「メル友」

第7話 「タビスト」

第8話 「保険大国日本その1」

第9話 「保険大国日本その2」

第10話 「マイナス30度の大学構内」

第11話 「州境越えですべてチャラ」

第12話 「東西に伸びた道」

第13話 「17年セミ」

第14話 「息子Bの不思議な記憶」

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不思議100物語 第15話 「裁判所」

2007-07-25 12:01:44 | 不思議100話
こんにちは。


tomoです。

USに住むときは、必ずIDってのが必要になります。そのIDの最たるものが、免許証です。それが無い場合は、パスポート。まぁ、免許証でなくても、DMVに行けば、IDカードってのも発行してくれます。

国際免許からの切り替えは、かなりめんどくさく、州によって渡ってきてから何日と決まっているのです。
で、話題の東海岸では、切り替えが30日間しかありませんでした。
しかも、西海岸で、何度も何度も実技検査を落ちたことがあり、かなりのショック状態に陥ったことがあるので、東海岸のテストははっきり言えば、恐怖そのものでした。

まぁ、西の敗退原因も、よく考えれば、単に教官の香水が猛烈に臭くて、バックをするときに、教官側からの後方確認をしなかった私が悪かったのです。たったそれだけで、OUT。しかも、受けたのは一番難しいとされる市内で。
で、その他にも「Pull Over」という単語があり、言われたときに、「何を引っ張るんだろう」と色々なスイッチを探して挙動不審の私。答えは、「そこで止めろ」なのです。
まぁ、何がPullでOverなのかと言えば、アメリカはカウボーイのお国柄。つまり・・・・PullでOverは、「手綱を引け」っちゅーことなんです。多分にして、アメリカだけの用語だと思うんですが、イギリスとかでもそう言われるのかわかりません。

まぁ、ありとあらゆる引っ掛けに、引っ掛かって、敗退し、一時期は車に自信があったせいもあって、因隠滅滅になっとりました。

で、東海岸に移って、実は一年間ずっと国際免許で通していました。勿論、切り込み隊長の主人が取ってきたので自家用車の確保ができています。後は、違反さえしなければ、決してばれません。
ですが、免許がないとかなり怪しい人物になってしまうのも、お国柄です。ですので、一年経つ前に、講習を受けに入って、試験を受ける準備をしようと思いました。

で、そんな思い立った講習会に行く道すがら・・・・やっぱり予感どおり警察に何の意味も無く捕まり・・・・
「無免許だ」
「嫌違う。今日、講習を受けに行くんだ。」
「本当か」
「本当だ」
と討論し、ついにそのポリスは私に黄色い紙(違反切符)を渡し、とある日時を指を指して言いました。

「もし、お前がこの日付までに免許が取れたら、この違反切符はチャラにしよう。この日、コート(裁判所)に行って免許証と一緒に合わせて出せ。そうすれば、チャラだ。」

その日までにたったの2週間。しかも、講習会、筆記試験、路上練習、本番までこなすのに、全て予約制で中々取れない状態。で、とある日本人の教習教官にお願いしました。

「この日までに取りたいんです。」・・・と。


その後はとてつもないマジックで、全てオールクリアで、本番の路上試験もすんなり通りました。

そして、その黄色い紙を持って私は、裁判所に行きました。
最初、行って事務員さんに免許を見せればいいのだろうと思っていました。


違います。


私は有罪判決待ちとして、コートのとある部屋の前で大勢多数の犯罪を犯したであろう人と並びました。部屋は幾つかに別れ、人を殺した者はこの部屋、麻薬はこの部屋と言う感じに別れていました。見た感じ、私のグループもかなり有罪率が高そう。そして、どうやら、雰囲気から、私はたった一人でコートに立って、自分の無実を証明すべく弁論をしなくてはならないようでした。

そう・・・素直に罰金を払えばそんな体験なんかしません。ただ、チャラにしてくれると言われて素直に信じたが為に、こんな体験になってしまったのです。

そして、時間が来て、コートの前の席には裁判官が座り、書記官もいました。
私達は一人一人、前へ呼ばれ、自分の犯した罪についてと、その罪を認めるかどうか、もし認めない場合の意義判決を弁論します。

殆どの人は、金を盗んだとか、人を襲ったとかで、やはり即決有罪になります。そんな弁論を見て縮みあがったのですが、後の祭り。

私の番。私は名前を呼ばれ、法廷に立ちました。
「無免許だったのを認めるか」
「無免許ではない。国際運転許可証を持っている。が、一年間で切れるので、講習を受けに行こうとした道で捕まった」
「で、免許はどうした?」
「この切符をくれたポリスメンが、私に2週間で免許が取れたら、違反金をチャラにして、No Guilty(無罪)にしてくれると言った。なので、取ってきた。」
私は免許証を掲げました。

すると、裁判官は、私のほうを向かずに群衆のほうを向いて色々述べ始めた。

「切り替えの時前だから無免許ではないが、でもアメリカに住む者としては無免許である。彼女は外国人だが、現在はアメリカに住んでいる。だからアメリカの法律に縛られるべきなのだ。彼女は、そして、免許証を取ってきた。しかも2週間でだ。そこの場合、彼女は法に触れているのだろうか。」

「触れていない」 相方の裁判官。

「だが、ポリスメンは、幾ら2週間で取ってきたらチャラと言ったとはいえ、法を曲げるような発言は慎まなくてはならない。何故なら、捕まった段階で彼女は、アメリカに住む者として無免許だったからだ。」

相方「彼女は有罪か。」

裁判官「 XX?XX Guilty, so XXXXXXXXXXXX dollers pay.」 

この時、既に私は完璧にテンパってしまい、XX?Xを聞き取れなかったんです。_| ̄|○ もう、百パーセント位は、論理的に言えば、私は有罪だと確信しました。もう、ポリスがそう言ったの路線ではないのです。やっぱ・・・だめだったのか。

私はそして、完璧な敗北感でコートを出ました。コートの横で事務官に切符を返してもらい、出納窓口に行きました。間違いなく有罪であれば、150ドル+25ドルの手数料+αドルでした。

で、その出納事務官は私に言いました。

「30ドルです。払ってください。チェックにしますか?現金ですか?」

その途端、テンパっていた私の脳が素早く動き出し、

「現金で払います。」

と即座に30ドル出しました。出納事務官はそれを見て、私にレシートを寄こしました。

    25ドル
   +5ドル
   =30ドル


私はその瞬間、「No guilty」になったんだ・・・・と確信しました。震えが来ました。コートにいて、周りが怖かろうとどうでも良かった私が、ここに来て震えが止まりませんでした。
そう。150ドルの違反金は5ドルの特別手数料で済み、私は無罪になったんです。あまり、くどくど聞くと、もう一辺コートにぶち込まれますので、私はそそくさと帰ってきました。

不思議ですよねぇ。本当。
もう・・・あんな経験はコリゴリです。しかも、本当に良く裁判官に向かってしゃべりました。一生分話したかもしれません。一生分ツキも使ったと思います。
3時間に渡る経験でしたが、今思い返しても、その度胸の凄さに脱帽です。
と言うより、ポリスメンに結構な違反金の権限があるとは聞いていたのですが、いや・・凄かった。

日本のおまわりさんは、論理的かつ冷静思考で行くので、おまけしてもらったことなどありません。が、一生に一度の忘れられぬ、ビューな思い出でした。

tomo

PS:ちなみにビューというのは、犯罪で服役している方が、刑務所で「とても素晴らしい、いいもの」を指して言う時、使う言葉のようです。(by 花輪和政 Ex.デザートはあんこかぁ、びゅーだね)合えて、今使いました。

ほんと「びゅー」だぜ。ヒャッホウ。

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不思議話100話 第15話 補足

2007-07-25 08:38:35 | 不思議100話
こんにちは。


補足があまり無い不思議話ですが、一応後に続く者の為に補足を・・・
まず、ポリスとの会話も、裁判官との会話も、話す時のコツは、「渡米してから30日以内に切り替えをせよ」という法律を知らないと言うことで終始一貫します。そして、本当は相手の言うことが分かっても、微妙な単語が分からぬ振りをするんです。そう、そして、決して時折相手が誘導尋問的に「無免許ですね?」と聞いてきたら、

決して 「YES」と答えないこと。認めないこと。

が一番です。一応、国際免許は一年間有効ですからその路線で話を進めます。
ですが、間違っても、一年有効だから一年間取らなくて好いわけではありません。殆どの人は、単身で渡ると思うのですが、ないと車は買えないし、不便なことが沢山あります。銀行だって開設するのに色々手間が掛かります。

なので、とりあえず、渡ったら、IDカードの取得にDMVに行くこと。
そして、その手続きのついでに、筆記試験を見てくること(大体日本語版ってものもあるのですが、何問か問題と回答が合いません。それでロスすると、筆記試験自体でに落ちます)
そして、差しさわりが無ければ、スムーズに免許を取得してくることでしょうか・・・・


今回、雄弁な弁護士として、自分を庇護する弁論をしましたが、決して相手に突っ込みどころがばれぬよう、地道に相手の言うことを一つ一つよく聞いて、理解してから進めました。特に日本人は、意外に簡単に分からないセンテンスに、平気でとりあえずYES?とかOKとか言ってしまいガチです。
「じゃぁ、無免許ジャン、違うの?ねぇ、どう?」と言われ、「あ・・・・YES」と言う可能性は大です。勿論私もその類でした。ただ、私は、以前会社でそのような受け答えをして窮地に追いやられた事を思い出し、その時と違い、慎重に且つ、相手の表情も読みつつ、話を進めたのです。
そこまで、慎重に頑張って冷静だったにも関わらず、判決迄持ち込んでおきながら、判決文が脳からセルフアボンになっているのは、やはり私も小心者であったのでしょう。_| ̄|○

でも、今でも自分で、ただ単にコートに出かけずに切符とチェック(小切手)を送り返し、支払いを簡単にスムーズに行えば、こんなめんどくさい体験をしなくて済んだのにどうしてなんだろうと思います。多分において・・・・・

周りの中で私が一番最初に切符を貰った、正にパイオニア的存在だったこと

で、どう処理すればいいのか回りも誰も知らなかった事ですかね。
その後、まもなく主人は、Uターン禁止の標識の前で大きなUターンを華麗に決め、反対車線で待っていたパトカーに連れ込まれて、切符を貰ってきました。彼氏は150ドルの罰金を即座にチェックで送りました。私も主人も、コートの件では嫌と言うほど、反論すべきは恐ろしい労力が要ると気づいたのです。

この恐ろしい労力、多分こんな事をして悠然と帰って来ているのは多分日本のおしとやかな女性の中で自分一人だと思います。

それ故、本当に莫大な労力と莫大な作戦を一人で決行し、無実を勝ち取った哀れな馬鹿に拍手をお願いいたします。

「目の前に山があったら、とりあえず登ってみる」

そんな生き方をしていますが、今回は上手くポリスに乗せられた気がします。で、誰かが無免許を通報したんじゃないかと聞かれたこともありますが、そんな事で捕まったんじゃありません。目の前にパトカーが来て、ついうっかり、ファビョった運転(右左の通行を間違えた)をしたのが運のツキでした。

マジで死ぬかと思った・・・・・・・_| ̄|○


tomo

ps:ちなみに日本では、父が亡くなる寸前にミスを犯したきりの優良運転者です。来年めでたくゴールド復帰です。

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不思議話100話 第14話「息子Bの不思議な記憶」

2007-07-24 16:35:17 | 不思議100話
こんばんは。


tomoです。


ちょっとメモ。
胎内記憶ってありますでしょ。あれ、息子Bにしてみました。聞いたってわかんないので、こうタオルを敷いて、その上に息子Bを横たわらせ、タオルの4隅を持ち上げる。

そう、胎内にいるように持ち上げるのです。


すると・・・息子Bの足が丸まり、手を何故か胸のところで組んで。割と収まりのいい形・・・・胎内にいる胎児の格好をし始めました。しかも本人、狭いとか言わない。なんかノスタルジック、センチメンタルな表情で喜んで、タオルの狭い空間に収まっています。時折思いっきり足を伸ばしたり、手を伸ばしたり。おお、これがあの超痛かった胎動の再現なのか。

ちなみに上下逆にしても文句言いません。そう、頭が上の状態は本来は逆子の格好ですし。

面白かったし、神秘的でした。
主人が後日、「いや・・・記憶があるって聞くけれど、いや本当に覚えているもんなんだねぇ」って言ってました。


tomo


息子Aは、タオルケットでやってみたんですが、彼は閉塞した空間が大嫌いな男なのです。息子Bは、超安産ですぐ出てきたのですが、息子Aは大難産。彼氏は、狭い暗い空間が大嫌いで、水族館の苦手な男です。水族館でのいるかを見る時、いるかと泳ぐのは好きですが、あの暗い雰囲気と閉塞感がだめなようです。
これって、何かで連動してますよね。面白いですねぇ。ちなみに私も閉塞した空間が大嫌いです。私は、未熟児で生まれたそうですが、因果律があまりよく分かりません。

PS:
そうそう、息子Aはディズニーのアトラクションが大嫌いです。あの暗い空間に入るのがどうしても嫌なようで、私は何度かディズニーワールドに行ってもアトラクションに乗ったことはありません。ディズニーランドでも行ったのはゴーカートですかね。_| ̄|○
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不思議話100話 第13話「17年セミ」

2007-07-23 12:44:29 | 不思議100話
こんにちは。

tomoです。

不思議話です。(今日の日経新聞の記事に触発されました_| ̄|○ )

2004年、アメリカの東海岸にいた頃、ちょうど周期が合いまして、「17年蝉」の大量羽化がありました。
それはもう凄いもので、一戸建ての家の奥さんが申すには、迂闊に夜ドアを開けられないそうなんです。我が家の庭でも、夜、土から這い出てきて、至る所で羽化。いやもう、直列配列とか、行列とか並列行列とか言った話ではありません。実にぎっしり、夜になると庭の土から這い出てくる。庭は穴ぼこだらけ。


「どうしてこんなものが17年間もうちの下にいたのかしら(涙」

目が赤く、色が白いその蝉は、食用ともされるのですが、その羽化の量から食べきれるものではございません。
わざわざ見に行きましたが、行ってみて、ヒッチコックの鳥以上の恐怖がありました。

17年セミについては こちらを 沢山の話があります。
素数なのですが、その長さについては、まだはっきりしていないようです。13も素数。11も素数、19も素数です。でもこちらも読んでみて。生物の選んだ数字 ”13、17” 『素数周期ゼミの不思議』(1)

2004年+17年=2021年

ここらがまたNY州、CT州の大発生の年になるのですね。

私のであった種の次期発生は21年ですが、セミ本人たちの気持ちごとアメリカでは至る所で、17年と13年毎にどこかで羽化しています。つまり、ほとんど毎年、あの広いアメリカ大陸で、羽化の勃発が出ているわけです。

しかし、素数を使うって、生き延びるのは大変な事なんですね。


tomo


PS:確か記憶なんですが、2004年は、13年ゼミと17年ゼミがぶつかった年だったような・・・・それで大発生だったような・・違ったかな。確か当時のその場の日経新聞に書いてあった気が・・・

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不思議話100話 第12話 東西に伸びる道

2007-07-22 08:15:03 | 不思議100話
おはようございます。

tomoです。


以前フィラデルフィアに行った時に出会った不思議話です。

空港からレンタカーを借りてシティに行った時・・・
(シティって言う呼び名は大体、メインの都市、県庁所在地にあたります)

ハイウェイで、確実に東西に伸びる道がありました。その時、奇しくも夕方。そう私たちは西日の逆光線を浴びて、ほとんど前が見えない状態でした。また、途中に日光を遮るものが何一つありません。そうして、サングラスをしても、まぶしくて前の見えない見難い道路を、なんと皆さんきちんと65マイル出して走っていきます。

サンバイザーも出しましたが、かなりまぶしい。そして、ガラスが光ります。しかし、皆さん吸い込まれるように、西に向かっていくのです。

当時方角が分からないと道に迷う(アメリカ車にはナビゲータがなかった時代です)ので、その方位磁石で見ると・・・・


きっちり 東西に伸びた道なんです。


見難いとか、まぶしいとか、朝は嫌だけど、夕方も嫌って感じだろうに、よくまぁ、作ったもの。
そういえば、日本でもそんな道があります。夕方とてつもない死角ができてしまう道。そして、事故がかなり起こる道。

まぁ好きで作るわけではないですが、道って色々なものを運びます。で、奥行きの深いものなんですなぁ。簡単に線引いてアスファルトで舗装すればいいもんじゃないのですなぁ。


tomo

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不思議話 第11話「州境越えですべてチャラ」

2007-07-21 22:03:44 | 不思議100話
こんばんは。

アメリカって言う国は、幾つものの州で成り立っている合衆国です。ですので、州独自の決まりがあり、他の州で起こしたことも、隣の州に逃げ込むと「チャラ」になることが良くあります。
それはまるで、スピードオーバーした車が、東京から飛ばして神奈川県警管轄部署にまで逃げ込んだようなもの。(結果はOUTですよ)

私の医者が当時の時代でも使わなかった非常に中毒性の高い薬を私に与えていました。私にはその説明はありませんでした。そして、依存性が猛烈に高いことも知りませんでした。

気がつくと、猛烈な酩酊感で1錠で眠れた薬が、4錠~8錠にまで増え、効かなくなったのです。私は医者に相談しました。医者は次までに考えておくと言っていました。




次の予約の日、医者はオフィスにいませんでした。何度問い合わせても連絡も取れません。秘書さんはもう3日連絡が取れないとの事。私は薬も切れて禁断症状でした。(泡水クロラールです)で、私は、秘書のところに行ったところ、ある光景を見ました。


「夜逃げ」


です。うずたかく他の患者のカルテを積み上げ、必要な医師免許と最低限だけもって、彼女は隣の州へと逃げたのです。


その当時、とある州でしたことは、隣の州では罪に問わないことがありました。

不思議な国ですね。アメリカ。以前、あの医者の手がかりは掴めません。


tomo
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不思議話 第10話「マイナス30度」の大学構内

2007-07-20 21:52:19 | 不思議100話
こんばんは。

tomoです。

息子Aが自閉症かもしれないと言う診断を受け、私は息子Aを連れてとある大学に行きました。そこで視聴覚の専門的な検査を行ってくれると言うことでした。

時は1月。極寒の東海岸。で、指定された大学は始めていくところでした。当日の気温はマイナス30度。いい感じに冷えて、耳あてがないと耳は凍って千切れそう。手は、うっかり車のドアに濡れた手の甲をつけたら、貼りついた。_| ̄|○凍傷の痕が出来ました。

問題はその後起こりました。
入り口の警備員さんの案内をいい加減に聞いていた私は、実際に移動しようとしたとき、駐車場とホールの遠さに唖然としました。しかも、目的のところはあるけれど、構内が広すぎで、段差があって・・・子供をバギーにのせていたので、とにかく早くしなくては、息子もOUTになります。

私は長い道をバギーを押して走って、警備員のいるところにたどり着き、もう一回聞きました。なんとなく分かるけれど、はっきり分からない。問いただしたくても、寒すぎる・・・・・

私は結局、その場所まで、子供と随時他の建物に避難しながら進んでいきました。

あの時は命の危険性を感じました。しかも、汗だくになっちゃうんです。そりゃ、ストローラーを押しながら走るわけですから。それが、ひとまず落ち着くと汗が出て、その汗が・・・・・・


・・・・・・背中で凍るのです。汗で濡れた服がね、氷になるのです。そりゃ、もう踊っちゃいます。痛くて痛くて。で、私はとにかく、馬鹿力で、バギーを担ぎ上げ、やっとたどり着いたのです。汗をかいたらひたすら動く以外、汗を凍らせないために必要なことです。汗がなくちゃ寒くて動けないし。





検査自体は大丈夫で、やはり寒い中を通ってきたので、耳が聞こえにくかったのですが、文句なしに通りました。その州で義務付けられる自閉症対策のセラピーも超え、

「単なるゆっくりの発育のせいと、バイリンガルなので言葉の出が遅かった」

ということが、何度かの市役所とのミーティングで論議をぶちかまして納得してもらいました。



マイナス30度。ろくな準備もなく挑んだ私は、天候を甘く見ていました。あのまま、勘良く滑り込まなかったら、私は今頃、八甲田山状態になっていたと思います。
一生懸命歩き、汗をかき、休憩時間に汗が凍って、痛みで半狂乱に踊りながら亡くなった方がいたと聞きます。うっかりしてたら、明日はわが身。

天候の寒さを何度も映画で見ていたのに・・・・・

不思議ですよね。

tomo
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不思議話 第9話「保険大国日本」その2

2007-07-19 22:37:09 | 不思議100話
こんばんは。

tomoです。
あんまり政治経済金融について意見を述べたくはないのですが、まぁ、医薬は人体に繋がりますのでここだけは一応押さえたい私です。


で、ドラッグストアの品揃えですが、そこで売薬以外の薬を買うときがあります。それは処方箋で買いますが、日本のように処方箋の薬は沢山ありません。また、分けわからぬ包装もありません。3年前、ジスロマックが流行っていて、私が強烈な副鼻腔炎に悩まされたとき、ジスロマックを貰いました。保険が利いて30ドルの支払いでした。


・・・・・ってどんだけぇって感じですね。保険が利いて4000円近い払い。まぁ今でも日本でも高いですけれど。


で、アレルギーも何もかもこう・・・自分で選べば選べるんです。勿論先生の指示がある時もありますが、こう・・・医師にかかる費用が莫大なとき、夜中だったりすると、売薬で一応、

「命は繋がる」「一晩、生き延びることはできる」

わけです。どきどきですね。相当なストレスです。以前読んだ本に、「介護地獄アメリカ」って本がありました。当にアメリカは、「自己責任」の名に置いて馳せた栄華を自己責任で償おうとしているのです。


間違えて飲んだって、誰も責任を取らない。ライン外の医者は一回あたりとても高価。提携医に行くのに州を右往左往。何十マイルも走ります。元々高速に乗って行くので、歩いていける状態ではありません。風邪ひいて熱が39度で、とりあえず、高速で医者に行く。子持ちの奥さんがとっても悲惨です。自身も高熱があって、カーシートに乗せた赤ちゃんと、ちっちゃな子供連れ。遠くの医者に行き、途中の契約提携のドラッグストアに寄り・・・・・体力だけでなく気力もないと出来ません。


出産は一回1万ドル~2万ドル。しかも、日本のような寿司を握ってくれる板さんのついた産科病棟はありません。入院すれば高額。長引けば高額、何かアクシデントが起きると高額。気が気でありません。しかもお祝い膳て言ったって、焼きすぎたフィレットミニオン。産後で食いつこうにも歯が立ちません。でも朝から朝食のベーコンエッグにつくのは、淹れたてカフェオレ。

いいか悪いかどうですか。
自己責任で、自分のことは自分でしか分からないのです。相当にストレスが溜まります。しかもうっかり歯痛が起きれば、途端にお金が飛んでいきます。救急に行けば、契約していないワンタイムの人や、とてつもない危険な人までいます。甘えて行けたもんじゃありません。

一回、主人が牡蠣にあたったことがあり、夜中ぶっ飛ばして行ったんですが、・・・・・もう待合室にヘロイン患者とかもいるわけで・・・・・・


どうですか。保険大国日本。こう書くといかに保険で日本人が優遇されているかわかります。これ、日本の独自の文化として維持していくには税金を無駄遣いしすぎています。赤字大国日本。健康保険の民営化は近いのでしょうか。

保険を使って自分の体のことを丸ごと人に預けられる国。自分で自分の本当の状態も知らずに、言われるがままの薬を飲めば安心な国。とりあえず、ワンタイムでも結果を出さなくちゃいけない重圧を医師に背負わせた国。安くても国民健康保険に入る限りは、医療に関しては、お金の心配のない国。

美しい国、日本。不思議な国の話です。


tomo

PS:またいつか何回かこのネタ行きます。今日のこの話は、「本当にあった怖い話、実話編」でしたね。

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不思議話 第8話 「保険大国日本」その1

2007-07-18 21:50:51 | 不思議100話
こんばんは。

今日は特に暑かったtomoです。
まぁ、冷房を入れて子供と行き倒れておりました。

うーん。昨日のトピックでのしまちゃんのコメントから受けてちょっと横道です。

海外で暮らして、海外の医療制度と日本の医療制度は違うことを知りました。アメリカだったら、まず健康保険会社(民間)とコントラクトを結びます。そこにあるオプションで、手厚いケアから手薄いケアまで選べます。勿論値段は目が出そうなレベルから下を見ればきりがなし。

で、ドクターもそこら辺のに行き放題ではなく、自分が選んだ保険会社と契約を結んだ医師のところに行くことになります。ですので、近場に契約医師がいないと、とんでもなく遠くまで通うことになります。

事実、私も車で20分かかるところの医者に通いました。

で、日本の場合は、簡単に抗生物質を出してくれます。ですがアメリカでは出ません。溶連菌の検査などして、初めて出ます。単なるウィルス性のものであった場合、確実に言えることは、

「wash out」

そう、水でも飲んで治せと言われるだけです。39度を超える熱が出て、ガタガタ震えていても、その一言で帰ることになります。後は売薬でも買って強烈な効果のある、「severe cold」シビアコールド つまり相当な関節痛などに効果のある売薬を自分の判断で買って飲むことになります。

手厚く点滴も致しません。


ですので、非常に日本の医者は手厚いのです。39度熱があって、一言で帰そうとしたら日本ではなんと言われるでしょうね。薬も処方しなかったら、なんて言われるでしょうか。しかも、売薬を自分で買う。まぁ、そうこうするうちに、店にある一通りの薬の銘柄と、棚の配列と、薬の効き目について詳しくなります。
まぁ、売薬でっていうので、ステロイド剤もきついものが置いてありますし、傷を化膿させない抗生物質入りの軟膏・・・・・・

思いっきり腹刺されても自分で対処できるものが一通り揃っています。

13年前のアメリカでは、それほどインターネットが普及していなかったので、(WEBという言葉が新鮮な頃でした)、調べようにも簡単にわかりません。今だと、薬の成分、簡単にWEBでひけます。これは生きていくうえで、かなり画期的なことです。

で、その肝心の契約ですが、会社は一杯あります。で、契約の医師が揃っていないと、ファミリードクターから、耳鼻科に回されたときとか、産科だったり、何だったりすると、地獄を見ます。何処にあるかわからないのです。自分で調べて行けですし。

勿論、MAPQUSTというサイトが役に立ちます。自宅と出先の住所を入力で、行き方が詳しく出ます。これもまた相当に画期的です。なんせ、ナビゲーターが車に搭載されていない国です。日本のような普及率はありません。

少なくとも2年前、帰国しようとしたマンハッタンのホテルに行く際のタクシーに搭載されていましたが、

「役には経っていませんでした」

日本ってどうなんでしょうね。医療も一種の・・・かなりな手厚いサービスになっているんです。実際自分の体は自分で責任を持ちたいもの。でも、保険大国日本。保険であんなに頻繁に誰もが医者に行ける。しかも選り取りみどり。どんなに低所得の家庭でも、世界中から見れば日本の家庭は上位のほうに入ります。

だって、健康保険・・・すごいもの。国の負担相当ですよ。


見直したほうがいいのでは、自分のことは自分で・・・という思いと、これはもうある意味、一種日本独特の素敵な風習かもしれないと思って甘受したい思いと心裏腹でっす。


tomo

PS:ちなみに契約会社の医師以外にかかったら、保険で出ませんので、全額自費負担。一回180ドルとか。どんだけぇ。

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不思議第7話 「タビスト」

2007-07-17 08:36:05 | 不思議100話
おはようございます。

続いてtomoです。


現在日本では薬が認可されるのが非常に遅くなっています。欧米では当たり前のように使われている薬でも、日本で認められるのは凄く遅い・・・・

で、そのメリットについてです。


やっぱり1994年のアメリカ。
私と主人は、シアトルの国立公園に出かけました。前日から風邪を引いていた私たちは、鼻水がひどく、「タビスト」という薬を見つけ買いました。

車でフェリーに乗り、「タビスト」を飲んだ私たち。





そうです。アンチヒスタミンの効力で無性に眠くなり、何とかフェリーから車で降りましたが、道路を運転しながら猛烈な勢いで意識が遠のきます。5秒に3秒は眠いというより、気を失うのです。
交代しながら、道を爆走し、途中であまりに眠いので、VISTA POINTに止めて・・・・

・・・・・・・・・・・って、そのポイントの駐車場で眠気で思わず、車ごと崖から落ちそうになりました。

私たちはそこで、車をロックし、2時間くらい寝て、なんとか宿に着きました。



日本の薬でここまでドラスティックになるものがありますか?
現在、「タビスト」は製造販売中止、眠気が出るものでないもの、きっちり明記されるようになりました。眠気の出るものは、逆に睡眠剤として一般に使われていますが、あの「タビスト」よりは穏やかな成分です。

SSRI、SNRI色々出て、自殺効果ありや、眠くなったときの行動が突飛だとか色々薬の副作用はありますが、思わぬ副作用には気をつけたいものです。

新薬を取り入れる時、ある意味、リスクテイクは必要です。ですが、今の日本人が皆、「乗るか反るか」「生きるか死ぬか」の状態になれるかどうかには無理があります。タビストなど簡単に取り入れた場合、何が起こるかわかりません。

ですが、日本の薬の使い方には不思議が多いと思います。

tomo
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不思議100話 第6話 祖父の客人

2007-07-16 21:38:28 | 不思議100話
こんばんは。

tomoです。

以前書いたとあるブログをやはり非公開にしなければならないほど、瘴気漂うものにしてしまった時に書いたデータです。

母方の祖父は大層な酒飲みでした。勿論、米農家の庄屋で、本家。もう、こうくれば、代々呑み放題の輩しかいません。
とある私の曽祖父は、大黒帳を片手に小作料を取りながら自分の敷地内を周り、半年呑んで呑まれて、小作料を取りにいく旅までしていたそうです。

で、祖父。いつのことか、祖父が酒を飲もうと野良から帰って晩酌の準備をすると、必ず客人が来るようになりました。どこそこの新しく来た奴らしい。で、そいつが、呑んだ時に一緒に話をする話が大層面白かったんだそうです。

毎晩。しかも、祖父が思い切って美味しい酒をこっそり飲もうとすると、

「ごめんくださぃ。」

との声。余りに楽しい会話に祖父もよくその人と飲んでいたそうです。




ところが、ある日、そいつを昼間思い出し、会いに行こうと祖父がした時、その該当する家にその方はいませんでした。
その晩、祖父は、

「嘘つきめ」とからかいながら酒を飲もうと思ったが、その日に限って来ず。

そして、それから毎日来ませんでした。


祖父はその人が誰だったか結局分からず仕舞。しかも、本家ってのは、四六時中客が飲みに来るので、構っていられませんでした。




で、ところで誰だったんですかね。
私が幼い時の記憶ですが、祖父が向こうの部屋で一杯呑みながら、

「あんたは面白いねぇ」

って、誰かに言いながら喜んでた記憶があります。
が、誰だかは私も分かりません。


昭和って不思議な時代でしたね。


tomo
コメント (3)
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不思議第5話 「メル友」

2007-07-15 08:20:59 | 不思議100話
おはようございます。

tomoです。

不思議第5話として何度か書いていたのですが、あまりに厳しい話なので、あらすじをかいつまんで書くことにいたします。


時は1995年。アメリカです。

当時COMPUSERVEで通信をしていた私が英語のレッスン用に見つけたペンパルがいました。彼女は東海岸のユダヤ人。当時私は、英語を上達させたく、とある日本人の方にしつこく英語でメールを送っていました。
当時は日本語をテキストで書いて、バイナリで送るしか他に方法がなく、それに付き合ってくれたのは、オタワに住む日本人サッキーでした。ですが、サッキーとよく弁論になり、わざわざ、日本語でメールしなくても・・・・と見つけた相手が、ジョディ〔仮名)でした。

私はジョディにメールを送り、ジョディから、ピンポンのようにメールが来て・・・・・結果的に私のライティング力はついたのです。一万文字打ち込んで、一万文字の返事を受け取り・・・・・

程なく、彼女を訪ねる運びになりました。私は主人の東海岸の出張についていき、ジョディを訪ねました。
ジョディは約束の時間に遅れ、挙句、私たちをとても立派な二家に連れて行き、そこで待っているように言いました。

「ここは私の親の家。だから安全。私、自分のアパートを片付けてくる。だから、待ってて」

私は真っ青になりました。当時服部君事件もあったことですし、ジョディの家族がいつ帰ってくるか・・・そして私がここにいたら・・・・・・・・・

ジョディに何度も懇願しましたが、ジョディはそのまま私を置いて出かけました。

私は深く後悔しました。そして、家の中を見ると、ジョディの若い頃の写真や弟さんの写真が沢山飾られていました。嘘ではなく、そこはジョディの親の家。それはわかります。

途端、恐れていたことが起きました。

ジョディの弟が帰宅したのです。

当時、ゴールドマンサックスに勤めるというガタイのしっかりした弟さん。
自宅にいるのは見知らぬアジア人の女。

まぁ、簡単な話、ジョディがその場に帰ってきたからよかったものの、私たちは撃たれそうになったのです。まぁ、主人がいて、名刺を出して事なきを得ました。ジョディは詫びましたが、私はもはや聞かず。


それ以来ですか?
ジョディとメールで喧嘩し、音信普通になりました。まぁもっともその前に、ルーズな彼女を見抜けばよかったのです。

でも、運がいいほうですね。
もっと怖い目にあう方もいます。私は注意深くなりました。
まぁ、悪いことばかりじゃありませんけど。

危険は察知する前に、何か逃げ道は作ったほうがいいです。ちなみに、私はあの場にわざわざシャネルのキャビアスキンのバッグで訪ねていきました。当時の写真の私は西海岸受けするゴージャスで(ライクのりPですから)・・・・・。

それも、助かった要因のうちかななんて思いますが、本当は主人の名刺のおかげでしょうね(笑


tomo


PS:いや、こんなもんで済んでよかった。

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不思議100話 第4話 ライク のりP プリーズ

2007-07-14 19:11:29 | 不思議100話
こんばんは。


tomoです。


不思議4話です。

不思議って言うか、日本語ってグローバルだと思った言葉です。
1995年にサンフランシスコのチャイナタウンのはずれに台湾関係のものが集まった通りがありまして、コロンバスSt.から少し、エンバカデロセンターに向かって・・・・・

そこにあった髪の毛屋。美容院に前から入りたいと思っていました。駐在当初は日本人の美容室に行ったけれど、高い。で、次にアメリカンに入ったら、髪の毛はカーリー。で、伸びに伸びた髪の毛をもてあまし、考え付いたのは、台湾系。

入ると、台湾語が飛び交い、もはや英語ではない状態。
しかし、置いてある雑誌は、チャンス!みんな日本のヘアカタログでした。




・・・・・・そうです。私は座って、店のお兄さんに、

「ヘアカットプリーズ ライク のりP」


と言ったんです。で、お兄さんは、

「I see, I see, のりP. I know. are you a Japanese?」

と応えて、すいすいと、その当時より少し前の酒井典子さん風に切ってくれました。


今思うと不思議です。その時、日本のタレントさんについて話をしたのですが、日本語で通じたのは、のりPだけで、後は、英語風に言わないとわかってもらえませんでした。 Seiko Matsuda とか。
通じさせようという気合なのか、それとも当時ののりPが相当に有名だったのか、私にはわかりませんが、Noriko Sakaiで通じずに、のりPで通じたことが私にとっての不思議話です。

今で言えば、ラルクアンシエル、これが、結構日本語発音でいけます。ですが、CARAOKE。カラオケ。大概の方はキャリオーキー。
カラオケって「空オケ」で、ボイスが入っていないバックバンドの演奏を指しますが、キャリオーキーと呼ばれるとは、のりP以上に市民権は得ていないようです。

不思議な話でした。


tomo
コメント (1)
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不思議100話 おまけ1話 円周率

2007-07-13 11:34:22 | 不思議100話
こんにちは。


tomoです。


円周率、今小数点を切り下げて3で通っているそうですが本当ですか?
ミステリーサークルのようなオカルトものを作ろうとしたときに、絶対、ひずみがでますよ。3.141592位まで押さえておきましょうよ。
数学で小数点下二桁までは余裕で必要です。

ミステリーサークル、ピラミッドのためではありませんが、本当に必要なことは、数値をはしょらないことです。不思議です。

tomo

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