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ピタゴラ「不思議」スイッチ

ヘタレ霊能者朋(tomo)の幼い頃からの心霊体験話をここで載せています。

摩訶不思議100物語 第27話「合宿にて」

2008-04-27 21:51:05 | 摩訶不思議100物語 & 補足
こんばんは。

長いことアップするのを躊躇っていました。

どうそ。


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今回は、河口湖のお話しをします。
音楽関係で、いつも合宿を組んでいた頃がありました。
もう8年も昔(1996年から8年前)のことです。

河口湖に合宿に行ったのは、3月の終わりの頃でした。その合宿所は、色々有名な人が使うところで知られていました。が、ちっともきれいではありません。有名な歌手の写真やサインがありましたが、どうやっても、ベニヤがはがれていたり、タイルがはがれていたり、ぼろくてあまり気持ちのいい合宿所ではありませんでした。

女の子に割り当てられた部屋は3部屋ありました。が、一つは部屋の畳がみんな裏返しにされていたので、使えませんでした。しょうがなく、3部屋分の女の子を2部屋に分けました。

しかし、私が入った部屋は、濡れてじとじとしていました。「これだから、隣の部屋は畳が裏返してあるんよ。」と誰かが言いました。畳が水っぽく、布団をしいてもなんとも言えない感じがして、ゆっくり休むこともできません。しょうがなく、女の子はなんとか無事なもう一つの部屋を全員で使うことにしました。練習、レコーディングを夜遅くまでやって、明け方眠るような形になりました。



ある晩、みんな早く寝た時のことでした。一人だけ起きて毛布を抱えている子がいるのです。

「何してるの?」「まっぁまぁ。」

その子は、何か耳をそばだてています。

「ねぇねぇ、どうしたの?」

と私が近づくと、その子は、私を押さえていいました。

「なんか、スタジオの方がうるさいでしょ?」「そう?」

と言って、ドアに近づくとなんか音がします。

「なんか、うるさいねぇ。でも、これ、スタジオの音じゃないよ。」と私は言いました。「だって、これって、話し声だもの。」




怒鳴っているようにも思えました。

「きっと誰かなんかヘマやったんじゃないの?」

と私は、その子うっちゃんとこっそり覗きに行くことにしました。

「どこだ。どこだ。」と探しているとうっちゃんが言いました。「この部屋だよ。」それは、畳が裏返っていて使えない部屋でした。「まさか。ここは、女の子が使うって、男の子はわかっているはずだよ。」というと、うっちゃんはしいっと指を口に当てました。

・・・・・・・すると、声の主は男の子と女の子のようです。「女の子と男の子がけんかしているよ。こりゃ、やっぱ喧嘩だったね。」私は、そのうるさい怒鳴り声で、この部屋なら誰もこないと思って、誰かどっかでくっついたにわかカップルが、痴話げんかしているんだろうと思ってしまったのでした。


「覗こう。のぞいたれ。へへへ。」

と、うっちゃんがとめるのも聞かずに、私はドアを開けてしまいました。



・・・・・・・・・・・・・すると誰もそこにいません。
「???」と思った私は、ますます、押入れの中だろうなどといい気になって、ずかずか部屋に入ると押入れを覗きました。

誰もいないんです。


じゃ、さっきのうるさいのはどうしたんだ、といえば、うるさくもなくなっているのです。うっちゃんは青くなって私の袖をひっぱりました。

「いこう。いこう。空耳だよ。隣のホテルじゃない?」

私は納得できなかっったので、その部屋の隅々見てまわることにしました。そのとき、裏返して立てかけてある畳がばたーんと音を立てて倒れました。



・・・・・・・・・「ひぇー。なんだぁこれはぁ。」倒れたその畳は真っ赤だったのです。即座に私はうっちゃんの手を引っ張ってその部屋を出ました。




翌日、オーナーから、2~3日前にその部屋で逆上した男の子が女の子を刺して、自分も自殺した、殺傷事件があったことを聞きました。
水をかけて洗ったので、隣の部屋まで水浸しになっていたということだったそうです。


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すでに合宿所、つぶれてます。20年くらい前の話ですし。

この話はこの辺でよろしくお願いします。

tomo

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摩訶不思議100物語 第26&27話 補足の補足

2008-04-27 10:22:49 | 摩訶不思議100物語 & 補足
おはようございます。

ちなみに、主人の祖父母はまだ健在です。
主人は、祖父がご飯時に一番最初にテーブルについて、孫の分の肉まで食べてしまう、祖父の肉が一番大きいという逸話を話してくれました。また祖母の作る食事は、朝から晩まで鰈を煮たか焼いたか、鰈を焼いたか煮たか、味付けは醤油しかなかったと言っていました。

そんなエピソードが、人を幸せにしていく要因なのかもしれません。
ちなみに、私は現在主人の母と喧嘩しています。それは、再三の無遠慮な主人の母の態度が私の沸点を超えたことにあります。
ですが、孫と祖父母ということでは、私は引き離すつもりはありません。

どんな祖父母であれ、そんな曹祖父母であろうと、血は繋がっているのです。そして、親にしては気に入らないことでも、気に入ることでも、他愛もないエピソードが子供たちの心の栄養になっていくのです。

私は何を言ってもやはり主人の母をある意味尊敬しています。過去に、何度も自分から折れて絆を繋いできました。ですが、今は自分が前に立ってやらなくても、主人が親として目覚め、子供たちに自分の親について継承していけることでしょう。私はその後ろで、黙って見ていればよいのです。

ってか、肉の話ですが、私の祖父母の家では、子供は子供のテーブルと言うのがあって、ちゃぶ台を出してきて、セットして、決して親たち大人のテーブルには邪魔をしませんでした。なので、肉は、従兄弟と兄との間の争奪合戦でした。

ある日の夕方、祖父が、「アイスクリームを買ってやるからおじいちゃんと散歩しよう」と言いました。私と兄は喜んでついていきました。アイスクリームもですが、祖父と散歩するのは楽しかったのです。
ですが、従兄弟たちは言いました。

「クソじじい。アイス買ってくれなくていいから、金だけ置いてけ」
「早く出てけ」

私は瞬間固まりました。今でこそ、この言葉は、本家と分家のやり取りや、揉め事で大人の使う言葉を真似ただけだとわかりますが、当時そんな口を目上の人にたたくのは、ショックでした。

主人を選んで。結婚する際、主人のうちに挨拶に行きました。とてもざっくばらんでした。そして主人の弟たちはきちんと祖父母のお世話をそれなりに焼いていました。決して、口汚く罵ることはありませんでした。

「はいはい、おばあちゃん、俺それやるから」
「いいから座っておきなよ、いいって。大丈夫だよまかせなよ」

嫁いだ先がこの家庭でよかったと思いました。いい息子達を育てた義母、義祖父母。ですから、きっと色々なエピソードを子等にくれることでしょう。怒りも悲しみも喜びも驚きも、人生に大事な栄養です。

ちなみに、お盆の習慣をきちんと私に継承してくれたのは祖父です。白樺の皮を燃やして、お迎え火を焚くこと。方言がきつい祖父母との会話で私はよく、母に、

「どうしよう、おじいちゃんとおばあちゃん、宇宙人になっちゃった。」

って泣き悲しむことがありましたが、祖先を敬うことの大事さを教えてくれていた気がします。



なんでこの話書くまで忘れていたんでしょう。
とても思い出せて、心が今温かくなりました。

この話はこの辺でよろしくお願いします。


tomo

コメント (3)
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