連載の週末シリーズ「コンゴのビール事情」で、昨日、カタンガ・ビールについてレビューしたところなので、このあまりに特別な場所、カタンガ州についてもご紹介しておきたい。
といっても、それだけで長編シリーズが組めてしまうくらいネタが尽きないのだが、あくまでビールにつなげる復習編という程度で。
カタンガはコンゴ東南部、コッパーベルトに位置する州。その州都がルブンバシだ。
コンゴは銅、コバルト、金、ダイヤモンド、タンタライト、コルタン、錫・・・・ありとあらゆる資源にあふれる国であるが、その大半は国の東部、中でもこのカタンガに集中する。
(国連機から見下ろすカタンガ州)
全国には11の州があるが、国を養う「稼げる州」は、このカタンガと、西部のバ・コンゴ州の2つしかない。特にこのカタンガ州は、銅、コバルトを多く産出する。そしてこの州では歴史的に、大国や私企業が目を変えて資源争奪戦を繰り広げてきた地である。フランス、ベルギー、カナダ、アメリカなどの伝統的西側諸国のみならず、中国やインドなども資源と投資を携えてカタンガに「殴り込み」をかける。
かつて70年代、日本も日本鉱業が銅の採掘のために進出、SODEMIZAという合弁企業を設立し、操業するが、ザイールの国有化政策、国際市況、採掘技術の限界などにより、道半ばで撤退を余儀無くされる。
そして銅やコバルトがとれるところでは、地質学的にはウランの採掘も可能といわれるそうだが、当地もその例に漏れない。広島、長崎の原爆に使用されたウランはこの地、当時のベルギー領コンゴのカタンガで産出されたものが不幸にも使用された。
コンゴで最も資源を有する土地。コンゴ独立直後、ベルギーは混乱に乗じて、自国民保護を理由に自国軍を投入。チョンベ(Moise TSHOMBE)という男を建て、カタンガの独立を図る。ここにはベルギー系の鉱業会社、悪名高きユニオン・ミニエールの利権がからむ。そして、独立とともにコンゴの首相となったルムンバは、解任とともに拘束され、凄惨なリンチを受けた挙句、最後はこの地に連れてこられて、チョンべの前で惨殺された(→「映画評・キューバのアフリカ遠征~コンゴ編」参照)。
その後もコンゴ動乱、シャバ戦争の舞台となり、大国、国連もここに介入。紛争の当事者となり、多大な犠牲を産んだ。調停にあたった国連のハマショルド事務総長も、公称「事故により」この地で命を落とした。
カタンガは独自の文化と歴史をもつ。言語的にはスワヒリ語圏に属するが、リンガラ語優勢のモブツ独裁下で、スワヒリ語圏は冷遇を受けた。自由化、民主化、複数政党化の潮流の中で、ザイール政府は90年代に入り、いったん言論や結社の自由を認めるが、最も運動が高まったのがルブンバシ大学だった。自由化を標榜する当局であったが、ルブンバシ大学ではデモ学生を突如弾圧、虐殺した(ルブンバシ大学事件)。この際、国の西部で広く話されているリンガラ語ができない学生を選択的に殺害していったという。
カタンガの人々は、西に位置するカサイ州の人々と軋轢があるといわれる。歴史的にも土地や農地、鉱区労働における摩擦があった他、現代でも多くのカサイ人がカタンガに移民として居住しており、雇用機会を奪い、あるいは経済的にも幅を効かせているのではないかというカタンガ人の疑心暗鬼が背景にある。
カタンガの人々は自尊心、独自色が根強い。象徴するように、現在も町の中心部にはチョンベの銅像が堂々と建っている。またルブンバシには分離独立主義者(cessationiste)が地下に残存する。これまで顕在化した脅威があったわけではなかったのだが、先日は分離独立主義者が首謀したとみられる襲撃事件が発生した。これまで治安的には安定していたルブンバシであるが、今後このような動きがまたみられるのか、観察すべきポイントである。
(ルブンバシ市内に今もそびえ立つチョンべの銅像)
次回は、現代のカタンガ事情について、話を進めていきたい。
◆ンボテ★飯村出演情報
・JICAホームページ【ひと模様】ンボテ★アフリカ、トポ・ナ・コンゴ!
・Japan Times TICAD V Special
・ニコ生「藤岡みなみのI don't know Africa~発見アフリカ54の国~」(全編おまとめログ)
といっても、それだけで長編シリーズが組めてしまうくらいネタが尽きないのだが、あくまでビールにつなげる復習編という程度で。
カタンガはコンゴ東南部、コッパーベルトに位置する州。その州都がルブンバシだ。
コンゴは銅、コバルト、金、ダイヤモンド、タンタライト、コルタン、錫・・・・ありとあらゆる資源にあふれる国であるが、その大半は国の東部、中でもこのカタンガに集中する。
(国連機から見下ろすカタンガ州)
全国には11の州があるが、国を養う「稼げる州」は、このカタンガと、西部のバ・コンゴ州の2つしかない。特にこのカタンガ州は、銅、コバルトを多く産出する。そしてこの州では歴史的に、大国や私企業が目を変えて資源争奪戦を繰り広げてきた地である。フランス、ベルギー、カナダ、アメリカなどの伝統的西側諸国のみならず、中国やインドなども資源と投資を携えてカタンガに「殴り込み」をかける。
かつて70年代、日本も日本鉱業が銅の採掘のために進出、SODEMIZAという合弁企業を設立し、操業するが、ザイールの国有化政策、国際市況、採掘技術の限界などにより、道半ばで撤退を余儀無くされる。
そして銅やコバルトがとれるところでは、地質学的にはウランの採掘も可能といわれるそうだが、当地もその例に漏れない。広島、長崎の原爆に使用されたウランはこの地、当時のベルギー領コンゴのカタンガで産出されたものが不幸にも使用された。
コンゴで最も資源を有する土地。コンゴ独立直後、ベルギーは混乱に乗じて、自国民保護を理由に自国軍を投入。チョンベ(Moise TSHOMBE)という男を建て、カタンガの独立を図る。ここにはベルギー系の鉱業会社、悪名高きユニオン・ミニエールの利権がからむ。そして、独立とともにコンゴの首相となったルムンバは、解任とともに拘束され、凄惨なリンチを受けた挙句、最後はこの地に連れてこられて、チョンべの前で惨殺された(→「映画評・キューバのアフリカ遠征~コンゴ編」参照)。
その後もコンゴ動乱、シャバ戦争の舞台となり、大国、国連もここに介入。紛争の当事者となり、多大な犠牲を産んだ。調停にあたった国連のハマショルド事務総長も、公称「事故により」この地で命を落とした。
カタンガは独自の文化と歴史をもつ。言語的にはスワヒリ語圏に属するが、リンガラ語優勢のモブツ独裁下で、スワヒリ語圏は冷遇を受けた。自由化、民主化、複数政党化の潮流の中で、ザイール政府は90年代に入り、いったん言論や結社の自由を認めるが、最も運動が高まったのがルブンバシ大学だった。自由化を標榜する当局であったが、ルブンバシ大学ではデモ学生を突如弾圧、虐殺した(ルブンバシ大学事件)。この際、国の西部で広く話されているリンガラ語ができない学生を選択的に殺害していったという。
カタンガの人々は、西に位置するカサイ州の人々と軋轢があるといわれる。歴史的にも土地や農地、鉱区労働における摩擦があった他、現代でも多くのカサイ人がカタンガに移民として居住しており、雇用機会を奪い、あるいは経済的にも幅を効かせているのではないかというカタンガ人の疑心暗鬼が背景にある。
カタンガの人々は自尊心、独自色が根強い。象徴するように、現在も町の中心部にはチョンベの銅像が堂々と建っている。またルブンバシには分離独立主義者(cessationiste)が地下に残存する。これまで顕在化した脅威があったわけではなかったのだが、先日は分離独立主義者が首謀したとみられる襲撃事件が発生した。これまで治安的には安定していたルブンバシであるが、今後このような動きがまたみられるのか、観察すべきポイントである。
(ルブンバシ市内に今もそびえ立つチョンべの銅像)
次回は、現代のカタンガ事情について、話を進めていきたい。
◆ンボテ★飯村出演情報
・JICAホームページ【ひと模様】ンボテ★アフリカ、トポ・ナ・コンゴ!
・Japan Times TICAD V Special
・ニコ生「藤岡みなみのI don't know Africa~発見アフリカ54の国~」(全編おまとめログ)