ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

おとといはコンゴ民主共和国独立記念日!

2013-07-02 07:30:19 | アフリカ情勢
コンゴ独立記念日に思う、シリーズ第三弾。前回はカサブブ大統領のルムンバ首相罷免、ルムンバのカサブブ逆解任まで話は進んだ。

◆ルムンバの惨殺とムレレの反乱
ルムンバはもともと弁が立ち、人心の心をつかむのがうまかった。以前は郵便局員の組合リーダーとして、そしてその後、ビールの販売促進員の職につき成果をあげた(→「コンゴのビール事情(2)」参照)。

首相就任後もルムンバの人気は絶大であった。それがゆえに、ルムンバは欧米諸国から危険分子とみられることとなる。そして解任後、ルムンバは身の危険を示唆され、逃亡を図るが、程なく拘束される。凄惨なリンチを受け、瀕死の状態でカタンガのエリザベスヴィル(現ルブンバシ)に護送され、最後は銃殺された。

この惨殺に最後の手をくだしたのが、ベルギー傀儡のカタンガ、モイズ・チョンべ(→こちらを参照)、また作戦の指揮をとったのが、ルムンバに見染められ独立会議に出席を許され、当時軍参謀まで上り詰めた、モブツだった。歴史の残酷である。

その後、ルムンバがいない、ルムンバが殺されたとの噂が国内を駆け巡る。当局は逃走ののち、村人によって殺害されたと発表したが、そんな話を信じる国民はいなかった。独立後の失望、生活への不満とあいまって、ルムンバ支持者が集結していたスタンレーヴィル(現キサンガニ)から、農民蜂起は一気に広がっていった。当局はルムンバの惨殺の痕跡がばれないようにと、遺体を再度掘り起こして、硫酸で溶かした、との逸話も残っている。

この農民蜂起に触発され、コンゴをアフリカにおける共産主義革命の拠点にしようと考えたのがキューバのカストロである。革命家、チェ・ゲバラがコンゴ東部に送られ、革命的闘争が繰り広げられる。・・・はずだった。しかしあまりに牧歌的なコンゴの「革命同志」に失望し、ゲバラはキューバに帰還するという逸話も残る。このあたりは、映画評「キューバのアフリカ遠征(コンゴ編)」でも述べさせていただいた。

(キンシャサ市内入り口に立つルムンバ像。モブツは自ら惨殺に関わりながら独裁時代に英雄化した。)


◆モブツのクーデターと独裁
コンゴは非力なカサブブ大統領のもと、混乱と無秩序の中で迷走を続けた。諸派の統合、離散、大国の介入、国連軍の展開が進行。冷戦が進行する中、対岸のブラザビルはその後共産主義に傾倒。あふれる資源を有し、ギニア湾にいたるまでの領土を有するコンゴ。アメリカはコンゴ・キンシャサをを資本主義の橋頭堡として築くことの重要性を認識。そしてモブツを担ぎ上げる。かくして1965年、モブツによるクーデターが敢行され、ここから30年に渡るアフリカ社会主義、冷戦構造化の開発独裁、腐敗と汚職に塗れるアフリカ悪政の権化の歴史が始まった。

コンゴの独立記念日に際して、独立前後のコンゴ史に焦点を当てて紹介した。この国の不幸の歴史はここに終わりをみない。この続編はまた歴史を振り返るべき日がきたときにご紹介することにしよう。

(コンゴ独立50周年を迎えた2010年、おなじみテンボビールの裏ラベルに張られた歴史シリーズから。1965年11月24日にモブツ政権樹立。)



(コンゴ独立物語、ひとまず了)

◆コンゴ独立物語
第一回 独立までの重い足取り
第二回 独立、そしてコンゴ動乱


◆ンボテ★飯村出演情報
JICAホームページ【ひと模様】ンボテ★アフリカ、トポ・ナ・コンゴ!
Japan Times TICAD V Special
ニコ生「藤岡みなみのI don't know Africa~発見アフリカ54の国~」(全編おまとめログ)


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