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塗り変わるアフリカの航空絵図(1)〜ダカール新国際空港は地域のハブとなりうるか?

2017-12-12 14:30:05 | アフリカビジネス
12月7日、セネガルではブレーズ・ジャーニュ国際空港(AIBD)の開港式が行われた。この日を境に、ダサールへの乗り入れ国際便は、レオポルト・セダール・サンゴール国際空港(LSS)から、 AIBDに切り替わった。

今後、レオポルト・セダール・サンゴール空港は、軍用に供される。

INAUGURATION DE L' AIBD - L' arrivé du président MACKY SALL - TFM (Télé Futurs Medias)


新空港は首都ダカールから南東に47キロ離れた場所に存在する。ダカール市内中心部との間は、新規に整備された高速道路で結ばれているほか、都市高速鉄道の建設にも着手している。しかし現状、公共交通は十分に確保されておらず、タクシーは15,000フランCFA(約3,000円、旧空港から市内までの約3〜4倍)を要求する。ダカールっ子からすれば、かなり遠い。

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名を冠するブレーズ・ジャーニュは、セネガルのゴレ島生まれ。1914年、第一次世界大戦開戦のその年に、仏国民議会議員となった初めてのアフリカ人である。

マッキー・サル大統領はスピーチの中で「セネガル自身の離陸を確実ならしめる事業」とのべた。程なく一番機が3,500メートルの滑走路より飛び立つとともに、アビジャンからの初の着陸便を迎えた。


新空港建設の国家事業は、大型事業を巡っていろいろと悪評の耐えなかった先代のアブドゥライ・ワッド大統領の時代、2007年に着手された。そして完工まで、10年の月日を要した。当初の想定事業費は約3億ユーロであったが、実際には6.5億ユーロにまで膨らんだ。

新空港の建設は、10キロほど離れたディアムナディオ産業特区開発と合わせて、「セネガル経済を牽引する二大国家プロジェクト」として進められた。この着想と実現に向けての決断は、ワッド大統領の手腕によるところが大きい。


セネガルは長く西アフリカの航空輸送のハブとして君臨することを強く望んできた。新空港への莫大な投資にもその大きな役割が期待されている。

その期待には、当時の中西部アフリカにおける航空業界絵図が関係している。長く中西部アフリカの航空路を支えた、「悪名名高き」エール・アフリックが、2002年に倒産。地域の航空網が喪失したのち、モロッコ王室航空の資本を受けたエール・セネガル国際航空が徐々に西アフリカのハブとして機能していた。新空港とナショナルフラッグが、今後も西アフリカの航空界をささえていくことが期待された。


ところが、セネガルにとって航空会社の経営は鬼門となってきた。エール・セネガル国際航空は2009年にモロッコ王室国際空港との資本関係を解消すると、階段を転げ落ちるように業績が転落。あっという間に倒産を迎える。事業を継承した新航空会社、セネガル・エアウェイズは、2011年に就航するが、2016年再び倒産。実はエール・セネガル国際航空の前身となるエール・セネガル社も2001年に倒産するなど、これまでナショナルフラッグの経営はことごとく失敗してきた。

あ、やっぱり。セネガル・エアウェイズ倒産~アフリカの航空事情(14)

ちなみにセネガルは過去、落花生、りん、サトウキビなどの国営事業の経営にも失敗しており、公営事業の才覚にかけると評価される。ウォロフ族が世界規模で商才を広げているのと対照的だ。


ともあれ、ダカール新国際空港の開設は、西アフリカの航空業界絵図に大きなインパクトをもたらしていくことは間違えない。今、西アフリカの空は戦国時代の様相を呈している。

(つづく)

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