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塗り変わるアフリカの航空絵図(3)〜コートジボワール、地域ハブの復活

2017-12-14 12:30:09 | アフリカビジネス
西アフリカの現代航空事情についてお話を続けよう。前回まで、西アフリカの航空ハブをめぐる動向について振り返ってみた。

塗り変わるアフリカの航空絵図
第一話 ダカール新国際空港は地域のハブとなりうるか?
第二話 トーゴ・ロメの台頭

そして前回記事の結びに、「本命」の存在感が増しつつあるとの話に触れた。その本命とは・・・もちろん、当地、コートジボワールのアビジャンを指している。

第一話でも述べたエール・アフリック。設立は1961年、中西部アフリカの仏語圏を中心に、長く地域の空路を支えた半面、めちゃくちゃな運航、同族のコネ客贔屓など、悪評名高きキャリアとしても強烈に記憶を残した。

そのエール・アフリックの本拠はコートジボワールに置かれた。アビジャンのフェリックス・ウフエ・ボワニ国際空港は1996年に拡張・近代化を終え、地域の乗り継ぎ客を受け入れるロジスティックを整えていたが、ほどなくその地位を逸することになる。同社は2001年に経営破たん、倒産。その時期、同社が拠点としたコートジボワールは危機の最中にあった。のちにエール・アフリックの地位を継承しようとしたエール・イヴォワールも、同国の紛争を背景に採算ラインに及ばず、2011年に精算となる。


2011年、コートジボワール危機が収束すると、2012年、コートジボワール政府は「エール・コートジボワール」を設立、さっそく航空産業に返り咲く。そのさい、触手が早かったのは、やはりこの国と特別な関係を有してきたフランスであった。エール・フランス・KLMグループはここに20%の資本投入を行い、同社をリージョナルフラッグキャリアとして育て上げることを宣言した。現在、エール・コートジボワールは10機を保有し、25の就航先をもつ。安定的運航と定時制をアピール、この数年で、アスカイ航空を抜き去った。



2014年、エール・フランスは自社路線も強化。仏語圏アフリカ路線、また西アフリカ路線初となるエアバスA380型機、いわゆる二階建ての大型機をアビジャン線に導入。またバマコ、ニアメなどに寄港してアビジャンを結ぶ第二のフライト、また週3回の朝便フライトと、一日2~3便の運航体制を引いた。


2017年、エール・コートジボワールはさらに二つの強化策に織り出す。第一は機体整備への投資。アフリカ開発銀行は11月、同社の3機の新規航空機購入に対し2.5億ユーロの融資を決定した。この投資により、ヌアクショット、バンギ、ルアンダへの航路が新たに就航することが見込まれる。

第二として、アビジャン空港の再近代化、再拡張に向けたの事業が起工した。仏系BTP Spie Batignollesによる投資事業で、事業予算は420億フランCFA(約84億円)。離発着機受け入れキャパシティの増加やタクシーウェーの増設、旅客ターミナルの新設・拡張、搭乗ゲートの倍増など意欲的な計画となっている。


塗り変わる西アフリカの航空絵図。王者コートジボワールが返り咲き、盤石な地位を築こうとしている。しかしまだまだ激動は続く。

(つづく)

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